広葉樹の木立を揺らしていた風はいつの間にか止み、深夜のキャンプ場は昼間の喧騒とは別世界のような沈黙に包まれている。 新一は身体を解すように大きく伸びをすると読みかけの本を閉じ、目の前に広がる光景にフッと目を細めた。つい先程までトランプゲームに興じていた子供達はすっかり静かになり、小さな寝息の三重奏がテントの中に流れている。 「ったく。本当、コイツら限界まで遊ぶよな……」 溜息をつきながら小さな手に握られたままになっているトランプを回収して行く。 「お、元太はあと一枚でストレートフラッシュじゃねーか。光彦は――ツーペア狙いか。相変わらず手堅いヤツだな」 そのまま抱き上げて寝袋へ連れて行くが、夜が更けるまで遊び尽くした三人は完全に夢の世界へ行っているようで起きる気配は全く感じられなかった。 Rhododendron kaempferi そもそも今回のキャンプを計画したのは阿笠だった。『ナイト・バロン』シリーズ新作映画の映像製作に協力して欲しいという優作の依頼でロスへ行く事になった阿笠が寂しがる探偵団に「帰国したらキャンプにでも行こうかの。ちょうど冬名山のツツジが咲く頃じゃろ?」と約束したのである。 ところが彼が映画に提供した特殊技術が思いのほか高い評価を受け、三週間ほどで帰国するはずだった予定が狂ってしまったのだ。キャンプの約束が反故になってしまっただけでなく、阿笠がいない寂しさにすっかり気落ちした三人を見かねた志保が阿笠の代わりをかって出たのは自然な流れだった。『灰原哀』だった時に何度か付き合いで同行した事はあったものの、元々アウトドアというものに縁がない志保から申し訳なさそうに「一緒に行ってくれないかしら」と頼まれた新一に『否』という選択肢は考えられなかった。 キャンプ当日は昨夜までの雨が嘘のような快晴で、太陽に照らされた冬名湖が冬名富士といわれる秀麗な山肌の鏡像を見事に映し出していた。額縁のように満開のヤマツツジが彩る湖畔を散策していると元太が目ざとくちょうどいいベンチを発見し、少し早目の昼食を取る事になった。 「わ〜、美味しそう!」 「これ全部食っていいのか!?」 「元太君、手を拭いて『いただきます』してからですよ」 志保が作った弁当を広げた瞬間、歓声を上げる三人に新一は割り箸や紙皿を手渡して行った。 「よし、準備はいいな。じゃ、『いただきます』」 「いっただっきま〜す!」 「オレ、トンカツ食いたい!」 「肉ばかり食べてると博士みたいになっちゃいますよ?」 手を合わせた次の瞬間から猛烈な勢いで箸を進める子供達に新一が圧倒されていると「油断してるとなくなっちゃうわよ?」と悪戯っぽい声と共にスッと紙皿が差し出された。 「お、サン……」 「兄ちゃん!このトンカツすっげえうめえぞ!!」 「志保お姉さんのお弁当、本当に美味しいもんね!」 「こんな美味しいものを始終作ってもらえるなんて……新一お兄さん、幸せ者ですね」 口々に志保の料理を讃える探偵団に「そっか?」と大した事ではないと言いたげに答える新一だったが、我知らず得意顔になっていたようで、志保に「……鼻の下が伸びてるわよ」と脇腹を抓られた。 昼食の後はロープウェーで山頂へ登った。雨上がりの澄んだ空気のせいかこの時期には珍しく遥か富士山まで望める絶景に三人は大はしゃぎだ。 「すっげー!あっちが東京か?」 「確かあの辺りにベルツリーが見えるはずなんですけど……」 「ええ〜、どこどこ?」 地図を見ながら光彦が指差す方向に背伸びしている元太と歩美の姿に新一は感慨深い表情で三人の後ろ姿を見つめた。 「……どうしたの?」 「いや、コナンだった時もこうやってアイツらと富士山を眺めた事があったなと思って……ツインタワービルだったかな?」 「そういえばあの時もキャンプに行った帰りだったわね」 志保が懐かしそうに眼を細める。 「あの時も大騒ぎするアイツらをオメーと二人で後ろから見てたんだよな」 「そうね。でも……」 「でも?」 その時、振り返った歩美に「新一お兄さんと志保お姉さんもこっち来てよ!」と呼ばれ、二人の会話は中断してしまった。 山を下りてキャンプ場へ向かう。テントを張り、火を起こす段になるとあわよくばサボろうとする元太に光彦と歩美が雷を落としている。その様子に新一は苦笑いすると寝具の準備に取り掛かった。一方、志保は夕食の準備に取り掛かっているようで、食欲をそそる美味しそうな匂いが漂って来る。敏感な三人がそれに気付かないはずはなく、いつの間にか志保の周囲をウロチョロ動き回っていた。 途中起きたちょっとした事件の解決には元太を中心に三人が色々手伝ってくれ――そこにはまだ小さい身体だった時と変わらない景色があり、その事が新一と志保には嬉しかった。 夕食の片付けをしながら 「さっき言い掛けた事だけど……元の身体に戻った事であの子達との関係はコナンと哀だった時とは違う形になってしまったわ。だけどあの子達は私達を同じように受け入れてくれる……そんなあの子達と過ごす時間が私にはとても愛おしいの」 そう呟いた志保の瞳が少し揺らいで見えたのはキャンプファイヤーの炎のせいだけではなかっただろう。 すっかり寝入った三人を寝袋に移動させると新一は大きく息をついてグルリと肩を回した。 「コイツらもずいぶん大きくなったよな……」 出会った二年前、今よりも少し幼かった三人を思い出す。とはいえ身体が大きくなったという点においては自分達が言えた義理ではないのだと苦笑が漏れた。 明かりを消して三人の寝息を確認すると新一は静かにテントを後にした。隣に張られた一回り小さなテントへ向かうと「志保」と小声で呼びかける。「工藤君…?」という声に入口を開けると志保が手に持っていたバインダーを閉じるのが見えた。こんな所まで来て実験結果を検討しているワーカーホリックな彼女に呆れるが、それを指摘すれば『こんな所でも事件に巻き込まれている貴方に言われたくないわ』と辛らつに返される事は間違いなく、ここは黙っておく事にする。 「あの子達は?」 「三人とも遊び疲れて撃沈しちまった。歩美ちゃんはこっちへ連れて来ても良かったんだけどさ、あんまり気持ち良さそうに寝てるからそっとしておく事にした」 「そう、お疲れ様」 「ったく、体力尽きるまで遊ぶんじゃねーよ……」 「仕方ないじゃない、私達と違って子供なんだから」 「だったらオレ達は大人の時間を過ごすとするか?」 顔を寄せると「調子に乗らないの」と鼻先を弾かれる。いつもと変わらない志保に新一は「……ったく、本当はこの週末は二人きりで過ごすはずだったのによ」と拗ねたように頬を膨らませた。 しばらく取り留めのない話をしているとふいに志保が「そういえば……あの時も満月だったわね」とテントの明かり取りの窓に映る月に視線を向けた。 「あの時?」 「以前、このキャンプ場で一時的に元の身体に戻って一晩過ごした事があったでしょ?」 「ああ……」と頷きつつ当時の苦い記憶が蘇る。ちょうど世良真純が謎の女子高生探偵として現れたり、『バーボン』こと安室透が自分達の周囲を嗅ぎ回っていた頃の話だ。安室がまだ公安警察の人間と判明しておらず、緊張が続く日々の中で起きた事件だった。当時『灰原哀』だった彼女と子供達を絶体絶命の危機に晒したその事件を思うと今でも胸に苦いものがこみ上げて来る。 「あの時も今日と同じ満月だったの。でも月は段々陰ってしまうし寒くて暗くて……そんな時に貴方が来てくれたわ」 「志保……」 満月を見上げていた志保がこちらに柔らかな微笑みを向ける。淡い月の光に照らされた白い頬が神々しいまでに美しかった。 「寒気で震えが止まらなかった私を貴方が膝に座って温めてくれて……心までじんわりと暖かくなって……気が付けばすっかり安心して寝ちゃってたのよね、私」 「せっかく来てくれたのにね」そう苦笑いを零す志保を新一は堪らず後ろから抱きしめた。 「ちょ、ちょっと、工藤君……!?」 突然の行動に驚いて振り向こうとする志保の首筋に顔を埋めたまま新一は「本当は……」と口を開いた。この情けない表情を彼女には見られたくない。 「本当はあの時、こうやって抱きしめたかったんだ。けど……オレはガキの身体でそんな事不可能で……実は結構落ち込んだんだぜ?」 「……バカね」 新一の沈んだ声に志保は彼の腕にそっと手を重ねると「この山には貴方がたくさん居てくれたじゃない」と微笑んだ。 「え…?」 「この山は桜の名所で有名だけどヤマツツジの名所でもあるでしょ?」 「あ、ああ……」 志保は身体を捩じるととっておきの事を教えてあげると言いたげな表情で新一の耳元へそっと唇を寄せた。 「ヤマツツジは5月4日の誕生花なの。私ね、あの時『貴方に包まれているんだ』って自分で自分を励ましたのよ?」 触れるような唇で「ありがとう」と囁く志保に新一は「灰原……」と今は二人きりの時にしか口にしない名前を呼んだ。 「絶対、守ってやるから」 自分に言い聞かせるようにそう呟くと新一は抱きしめた腕に力を込めた。 あとがき 8周年記念リクエストから『少年探偵団と父親母親な新一君&志保さん』で、原作のベルツリー号事件と拙作『明かり先』の二年後という設定です。探偵団の引率という事で色々お預けな工藤君ですが、その分いつもより糖分をサービスしてみました。 タイトルの『Rhododendron kaempferi』はヤマツツジの事で、5月4日の誕生花と知った時からいつか使ってみたいと思っていたネタでした。とはいえ実際にヤマツツジが山の主役を務めるのは6月から7月……工藤君の誕生日とはズレるので今回こういう形にしてみたのですが、いかがだったでしょうか? 最後になりましたが、リクエストありがとうございました。 ![]() |