ロクな奴じゃない?



 意識を取り戻したものの、ぼんやりとする頭を覚醒させるべく瞬きを数回繰り返す。瞳に映るのはコンクリートが打ちっぱなしの壁だけだった。腕が後ろ手に縛られている事を確認すると、哀はゆっくりと身体を起こした。床に転がされていたせいで身体のあちこちが痛んだが、幸い大きな怪我はなさそうだ。
 「気が付いたか」
 声が聞こえた方向へ顔を向けると目出し帽を被った男がこちらを見つめている。簡素なスチール机の上にはモニターが数台置かれており、暗闇の中で赤いタイマーが不気味に光る様子が映し出されていた。ウィンドウがいくつも見える事から五ヶ所から六ヶ所の光景と思われる。
 「これが気になるのか?そう、爆弾さ。都内のあちこちに仕掛けてある。君が見付けた米花駅の爆弾は……ああ、これだ」
 そう言って男が指で示したモニターに目をやると四角いプラスチックの箱がアップで映し出されていた。


1.


 ここ一ヶ月ほど米花町を中心に連続爆弾事件が起きていた。最初は廃ビル、続いて人気のない小さな公園、そして商店街の路地裏――と犯行が次第にエスカレートする一方、警察の捜査は完全に後手後手に回っており、新一の言葉を借りれば「あれは犯人に裏をかかれてるって感じだな」という事だった。捜査網を巧みに掻い潜る犯行に市民の不安の声も高まり、警察はついに名探偵、工藤新一に捜査協力を要請した。そしてその翌日、新一の参戦をあざ笑うかのように日売テレビに犯人を名乗る犯行声明が届いたのである。

  勇敢なる名探偵と愚かな警察諸君

 という挑発的な呼びかけで始まり、己の犯行を賛美し、警察の捜査を揶揄するような文言で綴られているその声明文は、

  ここで私は諸君らにゲームを提案しようと思う

 と新たな犯行予告で締め括られていた。
 「なるほど?自負心が肥大したガキの犯行って訳ね」
 新一が持ち帰った犯行声明文のコピーを一読すると哀は眉を顰めた。
 「もしくは余程オレや警察に捕まらない自信があるか……だな。いずれにしてもハッキリしてるのは――」
 「警視庁の内部情報が漏れてる……あなたが捜査協力してる事は世間には公表されていないはずだから」
 哀の言葉に新一は「ご名答」と満足げに頷いた。
 APTX4869の解毒剤を服用し、工藤新一に戻って約三年。新一は以前のようなマスコミへの露出をほとんどしないようになっていた。そればかりか警視庁捜査一課の面々に対し、自分が事件に関わった事をできるだけ口外しないように要請している。小さな身体で過ごした一年近くの間に探偵である自分にとっては世間の注目を浴びる事はデメリットにしかならないと痛感したせいでもあったが、一番大きな理由は哀の存在だった。想いを確かめ合って恋人同士になったとはいえ、外見的にも社会的にも哀は十歳の女の子であり、大学生の新一の交際相手として世間が放っておくはずがなかった。好奇の目に晒されればそれだけ哀の身に危険も及ぶ。それ故新一自身も自分に注目を集めるような事は極力避けているのだった。当然、今回の連続爆弾事件についても警視庁に協力する際、自分が捜査に加わっている事は内密にという条件付だったのだが。
 「ここまで裏をかかれると犯人は警察内部にいる可能性もあるわね」
 「警察内部で盗聴やハッキングってのは考えにくいからな。間違いなく関係者だろう」
 「それで?」
 「え?」
 「『気になる事がある』って顔してるわよ?」
 ジト目を向ける哀に新一は「さすがオレの相棒」と嬉しそうに笑った。
 「オメーと事件の話をしてると考えが整理されて推理が冴えるんだよな」
 臆面もなくそんな台詞を吐きながら自分の頭を撫でる新一の手を「子供扱いしないで」と払うが、仄かに染まった頬を隠せた自信はなかった。
 「警察内部に犯人がいるとなると一つ引っ掛かる事があるんだ。連続爆弾事件の捜査本部は24時間体制、いつ呼び出しがあってもおかしくない。刑事の聞き込みは二人以上が原則だ。そんな状況で都内のあちこちに爆弾を仕掛けるなんて無理だろ?」
 「内部情報をリークしている人間とは別に実行犯がいれば可能なんじゃない?」
 「ああ、声明文には『私』と書かれているが、犯人はおそらく複数……警視庁の人間がどの程度関わっているのか分かればもっと絞れるんだろうけど……上層部はこういう話になると『Need not to know』だからな」
 「『知る必要のない事』ね。極秘に内部調査は進めているんでしょうけど。それにしても警察組織の理屈って相変わらず歯がゆいのね」
 「ま、あんまり進展しないようならちょっと揺さぶってみるつもりだけどよ」
 顔をしかめる哀に新一は不敵に笑ってみせた。
 「でも……気を付けてね。単なる愉快犯とは思えないから」
 「それって心配してくれてるって事?」
 隣に座っていた哀をヒョイと自分の膝の上に抱き上げると新一は彼女の顔を覗き込んだ。子供扱いされたようでムッとする哀だったが、深い海を映したような瞳に捉われた次の瞬間、唇を塞がれて反論は叶わなかった。


 それから十日以上経っても犯人が動く気配はなく、世間は連続爆弾犯が出した犯行声明の話題で持ちきりだった。文章のそこかしこに意味深な言い回しや記号が使われている事もあってマスコミは「暗号なのでは?」と色めき立ち、捜査に協力していると名指しされた新一にこぞってコメントを求めに来た。いかに隣家とはいえ目立つ事を嫌う哀を思うと阿笠邸へ頻繁に出入りする事も憚られ、久し振りにすっかり時の人となった新一は彼女と顔を合わせる事すら叶わなかった。僅かなメールのやり取りで家には帰らず、ずっと警視庁に詰めている事は伝えていたが、内部犯の可能性を考えると捜査の進捗状況をメールする事もできなかった。
 「じゃあ哀ちゃんは新一お兄さんから何も聞いてないの?」
 「それどころかここ数日は声も聞いてないわ」
 歩美の残念そうな声に哀はそう肩をすくめた。下校途中の少年探偵団の話題はもちろん連続爆弾事件である。
 「でも新一さんが警視庁にいるって事はまだ犯人は逮捕されてないって事ですよね?」
 「そういう事になるわね」
 「よしっ!少年探偵団の出番だな!」
 「そうですね!」
 「歩美、頑張る!」
 元気な声を上げる三人に哀は嫌な予感を感じながら「何を頑張るの?」と恐る恐る尋ねた。
 「オレ達が事件解決してやろーぜ!」
 「そうですよ、こんな時こそボク達少年探偵団の出番ですから!」
 「哀ちゃんも頑張ろ!」
 歩美にそうニッコリ微笑まれると断れるはずもなく、哀は力なく頷いたのだった。


 「哀ちゃん、こっちこっち!」
 米花駅前の雑踏で歩美がピョンピョン飛び上がって手を振っている。その両側には元太と光彦の姿もあった。
 「遅くなってごめんなさい。実は工藤君から連絡があって……」
 「新一さんから?という事は事件が解決したんですか?」
 「『着替えを用意して欲しい』ですって。どうやら事件解決はまだのようね」
 「着替えって……なんか灰原、あの兄ちゃんの母ちゃんみたいだな」
 元太の言葉に哀は先程の新一とのやり取りを思い出した。
 『着替えを高木刑事に渡して欲しいって……私はあなたの母親じゃないんだけど?』
 『そう言うなよ。家の前にはまだマスコミがいるんだろ?取りに戻ったりすれば只じゃすまねーからさ』
 『高木刑事、係長に昇進しても相変わらずの使いっ走りなんて気の毒ね』
 『最初は捜査一課の新人が行くって言ってたんだけど……』
 『この前、高木刑事と一緒にいた背の高い人?』
 『ああ。冬原刑事っていうんだ。ベテランの夏木刑事と組めば夏と冬でちょうどいいと思わねえ?』
 『何それ?博士のダジャレ?』
 『博士と同じレベルで語るなよ。さすがに凹むだろ?とにかくオレとオメーの事を知らねえ奴に頼む訳にはいかねーし……と困っていたら高木刑事が引き受けてくれ――あ、悪ぃ、何か進展があったみてーだ。どうやらやっとオレが切ったカードが効いて来たようだな。じゃあ頼んだぞ』
 それだけ言うと新一は慌てて電話を切ってしまったが、久し振りに聞いた声にスマフォを見つめる顔は我知らず綻んでいた。


 「よし!それじゃ灰原も揃ったし少年探偵団出動!!」
 「おー!」
 「警察より先に犯人見付けるんだから!」
 元気な声にハッと我に返れば子供達は既に行動開始している。振り返った歩美に手招きされ、哀は慌てて三人の後を追った。
 駅前の広場から物陰になるような所を順次見ていくものの、落ちているのは空き缶やゴミばかりで怪しい物など見当たらない。
 「チェッ、ここもゴミしかねーな……」
 「う〜ん、やっぱりこんな人の多い所を狙ったりはしないんでしょうか?」
 拾った空き缶をゴミ袋に入れながらぼやく元太に光彦が難しい顔で首を捻った。
 「『どんどん犯行が過激になっていますから次は目立つ所ですよ』って言ったのはお前だぞ、光彦!これじゃ少年探偵団じゃなくて美化委員じゃねーか!」
 「でも『だったらまずは駅前だな!』って元太君もノリノリだったじゃない」
 歩美の指摘にウっと言葉を詰まらせる元太だったが、「なあ、今日はもう爆弾探しは止めてサッカーでもやろーぜ」と半ば自棄になったように呟いた。
 「いいですね」
 「ここからなら米花公園は目と鼻の先だよ」
 そんな相談を始めた探偵団に哀は江戸川コナンが解毒剤を服用する直前に言った『アイツらを頼むな』という言葉を思い出し、フッと苦笑した。
 (確かにいきなり駅前に爆弾を仕掛けるなんて事はしないでしょうけど……この子達を事件に関わらせる訳にはいかないしね)
 どうやら探偵ごっこはお開きらしいと安堵して息をついた次の瞬間、瞳の端にスーツ姿の男が映った。駅前のベンチの横に立つその長身の男は哀の記憶にある顔だった。
 (あの人、確か捜査一課の新人刑事……冬原さんだったかしら?)
 落ち着かない表情でキョロキョロと付近を警戒している様子にもしかしたらこの辺りが捜査対象になっているのだろうかとそれとなく周囲を見回すが、見知った刑事達の顔は見当たらない。不審に首を捻っていると光彦が「あ!」と声を上げた。
 「見て下さい!爆弾魔から新しいメールが来たそうです!」
 「本当かよ!?」
 「光彦君、見せて!」
 顔を寄せ合って食い入るようにスマフォ画面を見ている子供達の後ろからチラリと覗くとどうやら犯人が昨夜から今朝にかけて都内数ヶ所に爆弾を仕掛けたようだ。先程新一が電話の途中で呼ばれたのはおそらくこの件だったのだろう。

 我々を止める事ができるかな?

 という言葉で始まる高慢な文章は相変わらず不快なもので、哀は我知らず眉根を寄せていた。
 (主語が『私』じゃなくて『我々』になってる……!)
 そういえば新一が『カードを切った』って言っていた。おそらく捜査本部で内部犯だと言い切ったのだろう。彼がこういった駆け引きをするのは犯人の目星が付き、決定的な証拠が欲しくて罠にかける時だ。おそらく冬原を犯人と思っているのだろう。
 容疑者である冬原を再び視界に捉えると哀は小さく頷いた。
 「よし!博士の家で作戦会議だ!」
 「サッカーなんかやってる場合じゃないですね!」
 「早く犯人捕まえないと!」
 新たな展開に張り切って駆け出そうとする三人に哀は「ごめんなさい、先に行っててくれる?」とその場に立ち止まった。
 「灰原、どこか寄る所でもあるのか?」
 「一緒に行こうよ、哀ちゃん」
 「ひょっとしていきなり押し掛けるのは迷惑ですか?」
 「違うの。家へ来てくれるのは構わないんだけど……お菓子を切らしてるのを思い出して。スーパーに寄って行くから先に行っててくれない?」
 「だったら歩美も一緒に……」
 「一人で持てるから大丈夫よ。それより先に行って飲み物の準備をしてくれると助かるわ」
 その言葉に歩美は納得したように頷くと元太と光彦を伴って駆け出して行った。三人の後姿を見送ると哀はベンチの辺りでウロウロしている冬原に改めて視線を投げた。
 (新しい犯行声明が来たっていうのに新人刑事が一人、こんな所にいるなんておかしいわ)
 しばらく様子を伺っていると一人の男が冬原に近付いて来るのが見えた。男は冬原と二言三言会話を交わすと何やら紙切れのような物を受け取った。そして冬原のポケットに厚みのある封筒を入れると少し離れた所にあるベンチに腰を下ろした。一方、冬原は男を一瞥すると足早に去って行く。
 (どうしよう……どちらを追うべきかしら……?)
 哀は一瞬逡巡したが、子供の足では成人男性が歩くスピードに追いつけるはずもなく、残った男の様子を観察する事にした。慎重に距離を取りながら見張りやすい場所を確保し、新一にこれまでの事を報告しようと電話をかけてみるが、コール音が虚しく響くだけだった。
 数度試みた後、諦めてスマフォをポケットにしまったその時、男が座っていたベンチの足元に何かを押し込んで立ち去る姿が見えた。ここからだとよく見えないが四角い箱のような物だった。
 (まさか……爆弾!?)
 哀は何気なさを装って件のベンチに近付くと男が座っていた場所にゆっくりと腰を下ろした。足元の箱を確認すると袋の入り口から電子光が漏れているのが見える。我知らず汗が一条頬を流れた。
 ふと近くに人の気配を感じて顔を上げると隣に人が座っていた。それが先程の男だと気付いた時、哀の意識は途絶えたのだった。