2.
「これが杯戸デパート、こっちが鳥矢大橋……」
「あなた、今ニュースで話題の爆弾魔ね?」
「ご名答。賢いんだね、君は」
モニターに映る爆弾を解説していた男が喉の奥でククッと笑うと哀の方へゆっくりと振り返った。
「あと四時間でその爆弾が同時に爆発するって訳?」
画面に映し出されたタイマーの時刻が全て同じ事に気付いた哀がそう問うと男は目出し帽の間から僅かに覗く細い目をたがめた。
「ほう、偶然爆弾を見付けた運のない子供かと思ってたけど……もしかしたら違うのかな?」
「さあ、どうかしら?」
厳しい眼差しを向ける哀を躱すと男は「ま、どっちでもいいか」と呟いた。
「ちなみにそこにあるのも爆弾だよ。ボクはもう少ししたらここを出て行くつもりだけど」
生白い細い指で机の下に置かれたデジタル時計のついた箱を示すと男はニヤリと笑った。
「勿論、一人でね」
獲物を捕える爬虫類のような視線を哀は正面から睨み返した。と、その時、張り詰めた空気を裂くようにスマフォの着信音が室内に鳴り響いた。
「君の電話だ」
笑みを含んだ声で机の上にスマフォを置く男だったが、ディスプレイを見た瞬間眉根を寄せた。
「どういう事だ?」
低い声と共に哀に向けられたディスプレイには『工藤新一』という文字が浮かび上がっている。
「工藤君……」
哀の口から我知らず新一の名が零れた。こんな時でも名前を見ただけで安堵する自分に小さく息を吐く。
「お前は工藤新一と知り合いなのか?」
先程までとはうって変わった男の様子に哀は内心の驚きを隠しながら小さく頷く。すると男は冷笑するとスマフォの通話ボタンを押した。
「灰原か?」
「こんにちは。名探偵の工藤新一サン」
「……誰だ?」
探るような声音で誰何する新一に男は先程までと同じ人を食ったような口調で「今、世間を騒がせている爆弾犯ですよ」と答えた。
「灰原サンっていうのかな?君の知り合いの女の子は今、ボクと一緒に居るよ」
「灰原は無事か?本当にアイツと一緒なのか?」
抑えた声は平静さを装っているが、その実相当苛立っているようで哀は思わず首をすくめた。
「そんなに疑うならちょっと声を聞かせてあげるよ。ただし余計な事言ったら灰原サンの身の安全は保障できないからね」
男はスピーカー通話に切り替えると哀の足元にスマフォを置いた。そしてポケットから小さなナイフを取り出すと刃先を見せ付けながら「灰原サンも余計な事は言わないようにね」と彼女の向かいに腰を下ろす。男にチラリと視線を向けると哀は新一に「工藤君……?」と呼びかけた。声が震えていない事に胸を撫で下ろす。
「灰原!無事か!?怪我は!?」
「大丈夫、心配しないで」
「失礼だな。ボクは女の子に怪我させるような事はしないよ。それより余計な事聞くなって言ったでしょ?電話切っちゃうよ?」
男の挑発的な態度に電話の向こうで新一が小さく唸るのが聞こえる。そんな新一の様子に男は残忍な笑みを浮かべた。
「ま、今のところ彼女は無事だ」
「『今のところ』ってどういう意味だ?」
「言葉通りだよ。名探偵なんだろ?自分で推理しろって言いたい所だけど……そうだね、ヒントをあげるよ」
電話超しでもあからさまに伝わって来る新一の怒気に男は興奮しているようにすら見える。
「実はここにも爆弾を仕掛けてあるんだ。ボクはこの電話を切った後、この場所を離れるつもりだけどね。勿論一人で」
「灰原をどうするつもりだ?」
「爆破時刻までに君がこの場所を見付ける事ができれば彼女は助かるんじゃないかな?間に合わなければ……」
「灰原は必ず助け出す。お前とお前の仲間を捕まえた後でな」
新一の挑発に男はニヤリと笑うと哀の目前にディスプレイを突き付けた。
「ほら、囚われのお姫様からも名探偵に一言言ってあげなよ」
もう片方の手に握られたナイフを視線に入れないように目を瞑ると哀は大きく息を吸った。
「工藤君、爆弾犯もその仲間もロクな奴じゃないわ!だから早く助けに来て!!」
「灰原……!」
哀の叫びに新一が息を飲む。その様子に男が満足したような表情で通話終了のボタンを押した。
「全く……『ロクな奴じゃない』なんて酷い言い草だな」
通話が途切れたスマフォをぼんやり見つめていた哀は背後から掛けられた言葉にノロノロと首を上げた。いつの間にか男は荷物が詰まったバッグを肩に担いで立ち上がっていた。
「そこまで言われたらさすがのボクもちょっと傷付いたよ」
次の瞬間、哀は後ろ手に縛られたまま身体をズルズルと引きづられた。無理やり立たされたかと思うと部屋の隅にある排水パイプに腕を縛られる。ロープがあまり長くないのか少し背伸びした格好になってしまい、足が地面に付くか付かないかという姿勢は苦痛を伴った。
「本当は縛るだけにしておくつもりだったけどボクを侮辱したお仕置きだ。まあでもそんなに長い間じゃないと思うからさ」
その言葉に男の視線が示す先に目をやるとタイマーの表示が三時間を切る所だった。
「それじゃ灰原サン、サヨウナラ」
男はいやらしい笑みを浮かべるとスマフォの電源を切り、部屋から出て行った。
タイマー表示は一時間を切ってしまった。後ろ手に縛られた腕がロープに擦られ、苦痛に思わず声が出た。つま先立ちを続けた足はとっくに感覚を失っている。男が放置していった哀のスマフォは先程まで何度も着信を繰り返してはディスプレイに『工藤新一』という文字を表示していたが、遂に電池が切れたのだろう。少し前から動かなくなってしまった。
(工藤君……)
それでも自分のスマフォに電話をかけ続けているであろう新一を思い哀はディスプレイに視線を向けた。
(彼だったらあのヒントで犯人が分かるはず。きっと助けに来てくれるわ……!)
工藤新一が名探偵だと誰よりも信じている――それだけは断言できた。
『ヤバくなったらオレが何とかしてやっからさ』
三年前、まだ『江戸川コナン』だった頃の彼の台詞が意識を失いそうになる度に頭の中で響いた。
(こんな時でもあなたの声が聞こえるなんてね……)
そう苦笑した時、「はい……ら……いばら……」と遠くから呼ばれたような気がした。驚いて顔を上げると今度はもっとはっきり「灰原!」という声が聞こえた。
「工藤君!!ここよ!」
応えた声は虚しく部屋に木霊するだけだったが、構わず哀は叫び続けた。
「灰原!!灰原!!」
「工藤君!ここよ!!」
切羽詰まった新一の声に必死で返すも届かない。視界の端に映るタイマーは残り五分を切ろうとしていた。このままでは新一も爆発に巻き込まれてしまう、その恐怖に哀の身体が震えた。
「工藤君!!工藤君!!」
何度も新一の名を呼び続ける。と、扉の向こうで「灰原!そこか!?」という声が聞こえた。
「工藤君、逃げて!あと少しで爆弾が……!」
言葉の続きは扉を蹴破る音に飲み込まれた。
「灰原!!」
新一に抱きしめられ、その腕の暖かさを感じた瞬間、哀は意識を失った。