かくして店番を始めた二人だが、元太の意外な働きぶりに哀は驚かされた。普段から両親の働く様子を見ているのだろう、品出し、陳列、ディスプレイと慣れた様子で次々とこなしていく。大きな身体で汗をかきながら一生懸命動く姿は見ていて微笑ましかった。哀が元太の側へ行き、陳列を手伝い始めると、
 「灰原はお客が来た時だけ手伝ってくれればいいぜ。お前は身体も弱いし力もねーから」
 「あら、優しいじゃない」
 「なんだよ、オレはいつも優しいだろ?」
 得意の揶揄するような口調は素直な元太には全く通用しないようで、哀は思わず苦笑するとその言葉に甘えることにした。しかし、元太が頑張っているのに自分が全く協力しないというのも大人気ない気がして、レジの横に置かれていた値段表や在庫表といった資料を手に取り、ざっと目を通していく。哀が大体の値段と在庫数を記憶し、レジの横へ手にした資料を戻したのと元太が在庫管理を終えたのはほぼ同時だった。
 「これでいつお客が来ても大丈夫だな」
 「随分手際がいいのね。小嶋君、普段からお店の手伝いやってるの?」
 「そうだな、店にいる時は結構やってるぜ」
 「ふーん、偉いのね」
 哀が感心して呟くと、元太は「家が商売やってるヤツはこれくらい普通だぜ?」と、自分用の『小嶋酒店』と書かれた前掛けをしてタオルで額をグッと縛ると、すっかり小さな酒屋の店主といった風情で照れたように腕をグルグル回した。

 
 しばらくすると最初の客が店内に入って来た。年齢は六十歳を少し過ぎた辺りだろうか。眼鏡をかけた穏やかな風貌の男だった。
 「いらっしゃい、おっちゃん」
 元気良く挨拶する元太にどうやら常連らしいと哀は推測する。
 「やあ元太君、おはよう。そちらの可愛いお嬢さんは君の友達かい?」
 「灰原っていって同じ少年探偵団の仲間なんだ」
 「ほお…女の子なのに探偵団とはずいぶん勇ましいんだね」
 そう言ってにっこり笑う男に哀も小さく会釈を返す。
 「おっちゃん、注文は?」
 「あれ、今日はお母さんはいないのかい?」
 「今はいねー。オレと灰原で店番してるんだ」
 「おやおや、じゃあ配達は無理かな?」
 「夕方なら父ちゃんが配達できるぞ」
 「店を開けるのは夜だからそれで結構。いつものように店の方へ直接配達してもらえるかな?」
 「分かったよ」と頷く元太に男が次々と注文の品を挙げていく。リキュール、ジン、ウイスキー、ジュースといった注文を必死にメモする元太だったが、その様子があまりに危なっかしく、見かねた哀が途中でペンを取った。
 「お店をなさっているんですか?」
 「ああ、駅の反対側でバーをやってるんだ。夜の店は君達にはまだ早いけど、昼間は喫茶店だから良かったら一度来ておくれ」
 そんな台詞とともに男が哀に名刺を差し出す。そこには『ユークリッド』という店名と三ツ矢直哉という名前が書いてあった。
 常連の注文は月締め、月末払いにしているということで、哀が注文を確認し、合計金額を計算して注文伝票に記入していると、元太と三ツ矢は焼酎の棚の前で何やら話をしていた。
 「お待たせしました」
 哀が二人のところに近付くと、元太が一本の焼酎を棚から下ろし袋に入れているところだった。
 「すまないがお嬢ちゃん、これは個人的なものだから別に会計して欲しいんだ。レシートはいらないから現金で払わせてくれないかな?」
 元太に聞くと『燕』という名の焼酎だった。
 「1,520円です」
 何も見ず代金を即答する哀に元太も三ツ矢も半信半疑で棚を見て彼女が口にした値段が間違いないことに目を丸くする。
 「何ですぐ値段が分かったんだ?」
 「さっき値段表を見て覚えたの」
 「まさかお前、全部覚えたのか?」
 「大体だけどね」
 何でも無いように答える哀に元太は唖然とし、三ツ矢はしきりに感心している。
 焼酎の清算を終えた三ツ矢を元太は元気よく、哀は小さな声で礼を言って店から送り出した。

 「あの人はよく来るの?」
 「お得意さんだ。飲み屋やってて父ちゃんはたまに行くけど、食いもんがあんまりねーからオレは一緒に行かねーけどな」
 あまりに元太らしい答えに哀は苦笑すると、「夜の店じゃ小嶋君の好きなものは無いでしょうね」と肩をすくめた。
 「それにしても、いつもは店の注文だけなのに自分の分も、ってのは珍しいな。あのおっちゃん、『バーなんか開いてるくせに自分はあんまり飲めないんだ』てよく言ってるのに」
 「そう」
 何となく気になって哀は三ツ矢が出て行ったばかりの扉を見やった。

 その後もどうやら駅前商店街の中央にある小嶋酒店はなかなか繁盛しているようで、息をつく間もなく数人の客が店を訪れた。どの客も三ツ矢のように常連という訳ではないらしく、小学生二人が対応する様子を複雑そうに見ていたが、何も言わず買い物を済ませていった。 
 元太が子供らしい明るさで元気に客の注文をさばき、哀が清算して包装する。別に相談した訳ではないが、いつの間にか二人の役割は上手く分かれていた。人付き合いの苦手な自分に気を遣ってくれているのだろう。哀は元太のそんな気遣いにホッとしつつ、いつの間にかそんな配慮ができるようになっている彼の成長に驚きを隠せなかった。

 哀が少年探偵団の子供達と出会って数ヶ月が経つ。ずっと大人の中で生活してきた哀にとって最初はこの年頃の子供達と接することは苦痛以外の何物でもなかったが、この数ヶ月の間に彼らは驚くほど成長した。
 子供達はびっくりするほど周囲を見ている。幸か不幸か、事件吸引体質の少年のおかげで日常に無い経験を素直な目で見ることで彼らは多くのことを学んで来た。時には大人の自分でも辛い現実を正面から見据え、強い心で乗り越えて来た。そしてその成長を自然な気遣いや優しさといった形で周囲の人間に惜しげもなく返していく。その温かさに哀は時に火傷しそうになりながらも、折れそうな心に力を与えてもらっているような気がしてならなかった。