2 「新一…?」 翌朝。帝丹高校への道を歩いていたオレは信じられないものを見たような幼馴染の声に振り返った。 「よお、蘭。久し振り」 極上の笑顔で応えるオレに蘭は肩を震わせると「いつもいつも何にも言わずにいなくなっちゃってたくせに…一体いつ帰って来たのよ!?」と、もの凄い剣幕で詰め寄って来た。 「昨夜遅くだよ。さすがに午前0時過ぎじゃおめえだって寝てるだろーが」 「そりゃ……」 言葉を飲み込む蘭にオレは「そういえば……」と思い出したように話題を切り替える。 「博士の家の前でコナンのヤツに会ったぜ。何でも両親の元へ戻れるかもしれないって言うんだがよ……」 「えっ…!?」 オレの言葉に蘭が慌てて携帯を取り出す。受信メールの中にオレが昨夜打ったメールを見つけたのだろう、「コナン君ったら。そういう事情だったら一言言ってくれれば良かったのに……」と寂しそうに呟いた。 昨夜、はやる心を抑え、自宅へ駆け込むや否やコナンとして電話した時、「コナン君ったら!こんな時間にどこ行ってるのよ!?」と開口一番怒鳴る蘭にオレは『ちょっと博士に呼ばれて……』とだけ答えた。蘭にしてみればまさかそのままコナンがいなくなってしまうとは思っていなかっただけに悔やまれて仕方ないのだろう。 「んな顔すんなって。アイツの事だ、また押し掛けてくるに違いねえよ」 「うん、そうだよね……」 自分に言い聞かせるように呟く蘭に思わず顔をしかめてしまう。 「で…?」 「え…?」 「突然コナンのヤツがいなくなって寂しい気持ちは分からなくもねえけどよ、オレには怒鳴るだけ怒鳴っておしまいな訳?」 「え?あ……」 オレの指摘に初めて気付いたのか、蘭は頬を赤らめると「ねえ、もうどこにも行かないよね……?」と、探るような視線を向けた。 「ああ、事件が起きない限りはな」 「事件事件って……本当、推理オタクなんだから!」 「仕方ねえだろ?オレは探偵なんだからよ」 ニカッと笑ってみせるオレに頬を膨らませる蘭だったが、「事件って言えば……」と思い出したように呟いた。 「どうした?」 「明日の夜、お父さんが米花ホールへ行くって言ってたよ。何でも明日の市民コンサートを潰してやるっていう電話があったらしくて……」 「恐喝か」 「うん、お父さんはどうせ酔っ払いの悪戯だってあんまり乗り気じゃないんだよね……」 事件が起こってもいない状況でせっせと動くようなおっちゃんじゃねーからな。しかし、知っちまった以上、このまま放っておく訳にもいかないだろう。 「……しゃーねーな、オレも一緒に行ってやるよ」 「本当!?」 「オレがいない間に蘭の父さんも随分腕を上げたようだけどよ、あんまり時間もねえんだろ?」 本音を言えばオレ一人で動いた方がよっぽど事件は早く片付くだろう。しかし、黒ずくめの組織が壊滅していない今の状況であまり目立つ行動は取れない上、毛利小五郎にいきなりヘボ探偵に戻られても困る。 当然、蘭はそんなオレの思惑を知る由もなく、「新一が行くって言えばお父さんも黙ってないと思うしね」と悪戯っ子のような笑顔を向けた。そして急に頬を赤らめると「ねえ」と再び口を開く。 「明日…クリスマスイヴでしょ?事件が早く解決したら二人で美味しいものでも食べに行かない?」 「あ、ああ、構わないぜ」 オレの答えに蘭は嬉しそうな笑顔になると、「それにしても……まるで歌の世界だね」と空を見上げた。 「歌?」 「新一も知ってるでしょ?『恋人がサンタクロース』って歌」 「あ、ああ……その歌が何だってんだよ?」 「何って……探偵なんでしょ?それくらい自分で調べたら?」 蘭は心底呆れたと言いたげに肩をすくめると、「ホラ、新一、遅刻しちゃうよ!」と、一人さっさと駆け出してしまった。 そして迎えたクリスマスイヴ。 毛利のおっちゃん、蘭と三人で米花ホールへ向かったオレを出迎えたのは博士に連れられた歩美、元太、光彦、そして灰原だった。 「な、何でコイツらまで…!?」 「今日のコンサート、クリスマスソングもたくさん演奏するんだって。それなら歩美ちゃん達も楽しめるでしょ?お父さんに無理言って席取ってもらったの」 ニコニコと笑顔で説明してくれる蘭にオレは引きつった笑みを浮かべる事しか出来ない。そんなオレに灰原がそっと近寄って来ると、「……どうやら身体の方は大丈夫なようね」と小さな声で囁いた。 「ああ」 「分かってるでしょうけど……あなたが生きていると知ったら組織は黙ってないわよ?」 「バーロー、黙ってないのはこっちだぜ?身体の事もあるし、年内は大人しくしてるつもりだけどよ、年が明けたら奴らをガンガン追い詰めてやっからさ」 自信満々に宣言するオレに灰原が複雑な表情を向ける。そういえば灰原はどうやってあの魔女の事を知ったんだろう?コイツにも何か叶えたい願いがあるんだろうか?そうだとしたら何を対価に差し出したと言うんだ…? 次から次へと浮かぶ疑問に「な、なあ、灰ば……」と切り出したオレの言葉は「毛利さん、よく来て下さいました!」という大きな男の声に遮られた。 「はじめまして。私、このホールの館長をしております小柳と申します」 「毛利小五郎です。小柳館長、早速ですが大まかな事情を聞かせて頂けませんか?」 「か、構いませんが……」 小柳館長の視線がおっちゃんを擦り抜けオレに注がれる。 「君は……」 「工藤新一です。毛利探偵が事件の捜査に出掛けると言うので同行させてもらいました」 「やはり…!」 小柳館長は嬉しそうな笑顔を浮かべると、おっちゃんを押しのけオレに握手を求めてきた。 「いやぁ、娘が君の大ファンでね。活躍は耳にタコが出来る程聞かされているんだよ」 「そ、そうですか……」 おっちゃんと蘭の冷たい視線が背中に突き刺さるが、久し振りに高校生探偵として受ける歓迎にどうしても優越感を抱いてしまう。 「盛り上がってるところ大変恐縮ですが……小柳館長、時間もありませんし、そろそろあなたが受けたという例の電話の話を……」 しびれを切らしたように会話に割り込んで来るおっちゃんに小柳館長は「し、失礼しました」と慌ててオレの手を放すと、「こんな所で話をしたらどこで誰が聞いていてもおかしくありません。詳しい話は奥の会議室で……」と、オレ達をホールの奥へと案内した。 蘭に元太達を任せ、おっちゃんと共に館長の話と件の脅迫電話を録音したテープを聞かせてもらうとオレは一人捜査を開始した。あの迷探偵と一緒に行動してたらこっちまで調子を狂わされかねない。幸いおっちゃんもオレと一緒に捜査する気など更々ないようで、「ま、オレ様には敵わないと思うがせいぜい頑張るんだな」と高笑いを残し、反対方向へと姿を消してくれた。 楽屋でコンサート出演者やスタッフから一通り事情を尋ねると、頭の中を整理するため情報を書き溜めた手帳を取り出す。関係者の話によると今回の公演は当初、かの有名なソプラノ歌手、秋庭怜子が出演する予定だったらしい。ところがその彼女がウィーンで開催される国際的コンクールに特別ゲストとして招かれたため、藤崎裕二という新進テノール歌手が起用されたという事だ。市民向けのクリスマスコンサートとは言え、秋庭怜子の代役という事で色々噂が絶えないようである。 それにしても引っ掛かるのは犯行予告の電話に微かに流れていたメロディーだ。どこかで聴いた事があるような気がして仕方ないんだが…… 「早速捜査に行き詰まるなんて……推理力が対価じゃなかった割に手こずってるんじゃない?」 からかうような声とともに現れたのは灰原だった。いつもの癖で反射的に「うっせーな」と返してしまう。 「なあ、オメーはこの事件、どう思う?」 「どうって?」 「確かに無名の歌手には一つのチャンスかもしれねえけどよ、たかが市民向けのクリスマスコンサートだろ?それを妨害して犯人にどんな利益があるってんだ?」 「普通に考えたら何の利益もないわよね。それにしても『コンサートを潰す』って……犯人は具体的に何をしようって言うのかしら…?」 「念のためホールを一通り捜索したが怪しい人影も爆発物のような物もなかったし……後は主役の歌手が歌えないようにでも……」 その時、オレと灰原の思考を打ち切るように舞台からメロディーが聴こえて来た。 「……どうやらゲネプロが始まったみたいね」 「ああ」 「それにしてもコンサート一曲目がこの曲だなんてベタな選曲よね」 「……」 「何よ?」 「へえ、おめえでも音楽に興味あるんだな」 「失礼ね。いくら私でも『恋人がサンタクロース』くらい知ってるわよ」 演奏がサビに差し掛かりオレはハッとなった。この曲、あの脅迫電話のバックで流れていた曲に間違いない…! 「おい、灰原!この曲、ひょっとして歌詞があるんじゃねえか!?」 「は…?」 灰原にしては珍しい間抜けな反応にオレはイライラする。 「だから!歌詞はあるのかって聞いてんだよ!」 「私と違ってずっと日本で生活してたあなたが知らないなんて……『平成のホームズ』が聞いて呆れるわね」 「携帯くらい持ってるんでしょ?歌詞検索してみたら?」という灰原の台詞に検索サイトを覗いたオレはそこに現れた歌詞に確信する。 「……なるほどね」 オレはニヤッと笑みを浮かべると楽屋にいるだろう今夜の主役の元へと駆け出した。 テノール歌手、藤崎裕二の楽屋前。オレは一つ咳払いするとドアをノックした。本番前の音楽家を刺激したくはないが、犯人の狙いが分かった以上止むを得まい。 「すみません、工藤新一と申しますがちょっとよろしいですか?」 声を掛けても何の応答もなく、仕方なくドアを開けたオレの目に喉を押さえ、床に転がるタキシードを着た男の姿が映った。 「おい、大丈夫か!?」 慌てて駆け寄り身体を抱き起こす。救急車を呼ぼうと携帯の番号を押そうとしたオレの動作を「必要ないわ。命に関わるような症状じゃないから」という冷静な声が遮った。気が付けば灰原が男の手首で脈をとっている。 「そっか……」 ホッと息をつくものの、この状態では今夜は歌えまい。犯人の狙い通りになってしまった事が口惜しくて思わず唇を噛むオレを「工藤君、ちょっと水を持って来てくれる?」と灰原が呼んだ。 「水って……この人の喉、いかれちまってんだろ?時間経たなきゃ治んねえ……」 「工藤君、あなた、私を誰だと思ってるの?」 そんな台詞とともに灰原が不敵な笑みを浮かべるとハンドバッグからポーチを取り出す。中に入っているのはピルケース。ま、まさか…… 「お、おい、まさかその薬……」 「以前、秋庭怜子さんのお茶に刺激物が混入された事があったでしょ?あの時思い付いた薬よ。意外と需要があるんじゃないかと思ってね」 そういうのを需要と言っていいんだろうか…?そんなオレの疑問を無視するように灰原は取り出した錠剤を粉砕すると、苦しそうに顔を歪める歌手に飲ませていった。 それから約五分後。「……どうやら上手くいったみたいね」という声とともに灰原がホッと息をつく。その言葉を聞くとオレは楽屋の外に出て「そろそろ出て来たらどうですか?」と廊下の端に向かって声を掛けた。その声に二十代前半と思われるロングヘアーの女が姿を現す。 「……犯人はあなたですね?」 「……」 「恋人と二人きりのクリスマスを過ごしたいというあなたの気持ちも分からなくはありませんが……せっかくの初舞台を潰さなくてもいいんじゃありませんか?」 「確かに…私のわがままかもしれないわ。でも……こんな小さな舞台でデビューしたってお父様が私達の結婚を認めてくれるはずないもの!それを分かっていない彼が許せなくて……!」 「小さな舞台かどうかなんてあなたが決める事じゃないと思いますが……」 「偉そうな事言わないでよ!あなたにこの世界の何が分かるって言うの!?」 「確かに……彼も私もあなたのような高尚な世界の人間じゃないわね」 少々面白くない台詞とともに姿を現したのは言わずもがな灰原だ。 「でも、『恋人がサンタクロース』なんて曲に想いを重ねる人がサンタを信じている子供達のために開かれるコンサートを潰すっていうのはどうかしら?」 灰原の言葉にやっと気付いたのだろう。女がハッとしたように息を飲む。 「あの脅迫電話の声だけでは犯人は男か女か判断出来ませんでした。でも、バックに流れるあの曲が犯人が女性で、そしておそらく今日、急遽出演する事になった藤崎さんの恋人だと教えてくれたんです」 オレの言葉に女がガクッと肩を落とすと、「まさかあのオルゴールのメロディを聴かれてたなんて……」と苦笑する。 「まあでも探偵だったら気付いて当然よね」 「え…?」 一瞬、妙な違和感に捉われたもののとりあえず一見落着だ。 「灰原、オレ、館長に一通りの事情を話して来っから」 女を灰原に任せるとオレは小柳館長の元へ駆け出した。 「そうですか、では藤崎君は……」 「ええ、本番までには喉も回復するはずです」 事件について一通りの事情を聞き終えると小柳館長はホッと息をついた。 「それはそうと……館長、今回の脅迫事件の事ですが……」 「私共に被害が出た訳ではありませんし、判断はすべて藤崎君に任せます。彼とその女性の未来に関わる事でもありますから」 警察沙汰にするような事ではないと判断していたオレは館長のこの言葉にホッと胸を撫で下ろした。 「お世話になりましたな。後の事は私の方で上手く処理しますので……」 クルリと背を向ける館長のあっさりした態度に再び違和感を覚える。さっきの加害者の「気付いて当然」という言葉といい、この『解決して当たり前』な反応は何なんだ…? その時、「新一〜!」と呼ぶ声が聞こえたかと思うと蘭が姿を見せた。 「蘭……」 「どうしたの?顔色悪いよ」 「な、何でもねえよ。とりあえず事件も解決したしな」 「そうなんだ。じゃ、私、お父さんに伝えて来るね。多分またとんでもない所を捜査してると思うし」 さっさと踵を返す蘭に絶句するオレの背中から「……そう、これが貴方の対価」という女の声が聞こえた。どこから現れたのか、蝶柄の和服に身を包んだ壱原侑子がオレを見つめている。 「対価…だと?」 「貴方にとって一番大切なモノは事件を解いた時、貴方自身が受ける人々の賞賛……」 「……!?」 「貴方はこの先、どんな難解な事件を解いても人々から注目される事はないでしょうね。探偵が対価に相応しい仕事をしたと思われるだけ……勿論、貴方の大切な人達からも」 その言葉にオレは力を失い、「そん…な……」とその場に跪いた。確かに推理力は衰えていないし蘭との関係も以前のままだ。ままなんだが…… 胸を締め付けるような虚無感に暗闇に突き落とされたような感覚に捉われる。 「うわああああぁぁぁぁ…!!」 「工藤君、工藤君ったら…!」 突然、激しく身体を揺すられ、目を開けると心配そうな表情で灰原がオレを覗き込んでいた。 「はい…ばら……?」 「どうしたの?ぐっすり寝てると思ったら急に大声出して……」 「……」 身体を起こすと視界に広がったのは見慣れた博士の家だった。おまけにオレはコナンに戻っちまってる。 「オレ、一体…?」 「間抜けた顔しちゃって。悪い夢でも見たの?」 「……」 灰原の言葉にオレは額の汗を拭うと、「夢…か。そうだよな、あんな事、現実にある訳ねえし……」と乾いた笑いを浮かべた。 「……どうでもいいけどもう夜の十時よ。クリスマスイヴだっていうのに今夜はこのままここに泊まる気?」 「いや…蘭のヤツが心配するからな、探偵事務所に帰るよ」 「そう……」 「悪かったな、すっかり迷惑かけちまったみたいで……」 「どういたしまして」 いつもと変わらない灰原の澄ました顔に心の中で安堵の息をつくとオレは博士の家を後にした。 進ム |