時刻は約三時間遡る。
山梨県警の捜査報告書を元に平林果音の足跡を辿っていた新一だったが、亡くなった母親と親子二人ひっそり暮らしていたらしく、目ぼしい情報はなかなか得られなかった。彼女に関する評判も似たり寄ったりな物が多く、人間関係でトラブルがあったという話も全く聞こえて来なかった。
そのジオラマを見かけたのは藁にもすがる思いで甲府市役所を訪れた時の事だった。
「ん…?」
『甲府駅前開発プロジェクト』というプレートが付けられたジオラマは見事なシンメトリーのデザインだったが、昨日立った駅前の風景とは趣の異なるものだ。随分ひっそりした場所に置かれている事からおそらく没になったプランだろうと推測する。
(それにしても……)
心の中に引っ掛かる『何か』に新一が物思いに耽っていると背後から「探偵の工藤新一さんじゃないですか?」と声が掛けられた。
「そうですけど……あなたは?」
「望月と申します。ただのしがない甲府市職員ですよ」
人の良さそうな笑顔を向ける望月に新一は「このジオラマ、現在の甲府駅前の風景とは違うようですけど……」と世間話のように切り出した。
「ええ、十年程前に一度決定したものなんですが……」
望月は苦笑いを浮かべると「デザイナーが逮捕されてしまったもので没にせざるを得なかったんです」と意味ありげに新一を見た。
「逮捕された?」
「覚えていませんか?森谷帝二……工藤さんにも無関係な人物ではないと思いますけど?」
「……!?」
数多くの事件を解決して来た新一だったが、その名前は忘れるはずもなかった。約十年前、西多摩市の新都市計画を台無しにした自分に復讐するため連続爆弾事件を起こした男だ。そして『森谷帝二』の名前に先程自分の中で引っ掛った『何か』を自覚する。
(似ている……壊された平林果音のオブジェに……!)
その事実に気付いた瞬間、新一は「すみません、平林果音という建築デザイナーをご存知ですか?」と望月に急きこむように尋ねていた。
「勿論知ってますよ。この甲府の公共施設をいくつも手掛けて下さっていますし……ああ、平林さんといえば高校生の時、このジオラマが公開されていた正面玄関によく来ていました。当時新入職員だった私に『私もいつかこんな素敵なデザインを手掛けるデザイナーになりたい!』と目を輝かせていたものです」
「……」
森谷帝二を敬愛する彼女が彼の罪を暴いた自分に近付いて来たのは果たして偶然だろうか……?快斗から聞いた話を照らし合わせても答えは否としか思えなかった。これだけ捜査したのに手掛かり一つ掴めないのも一連の事件の犯人は彼女自身で、探偵である自分に接触するための材料だったと考えれば辻褄は合う。
新一は望月に礼を言うと足早に市役所を後にした。



「そう……あのジオラマを見たの」
新一の推理を黙って聞いていた果音は煙草を灰皿に置くと「そうよ。私、あなたに復讐するために近付いたの」と妖艶な笑みを浮かべた。
「私が高校生の時だったわ。この街に来た森谷帝二が私のデザインを褒めてくれたの。『高校を卒業したら上京して来ないか?何なら私の事務所で修行すればいい』とまで言ってくれた……それなのに……」
「彼が逮捕されてその夢が閉ざされた……そうですね?」
新一の問いかけに果音は「あなたさえいなければ……」と彼を睨んだ。
「西多摩市の新都市計画が頓挫してしまった件は森谷氏にとって残念な結果だったと思います。しかし、だからといって彼が犯した罪は許される事じゃない。それにあなた自身、森谷氏の力を借りなくても立派な建築デザイナーになれたというのに何故……?」
「あら、『平成のジェームズ・ボンド』なんて呼ばれてる割に疎いのね」
「何…?」
「私ね、彼が手掛けたデザインは勿論、それらを生み出した森谷帝二という男の全てを愛してるの。だから今回の復讐計画の第一歩として彼を表舞台から消し去った工藤新一とその彼女の思い出の場所を汚して行ったのよ」
トロピカルランドも米花水族館も米花センタービルも『現場』として選ばれた――その事実に新一は強い憤りを感じた。そんな新一の様子を面白そうに見つめていた果音だったが、「あ、そうそう……」と一枚のデザイン画を取り出すと彼に差し出した。
「最後のターゲットはこのビルよ。酷かったデザインが十年前の事件後に行われた改修工事で更に酷くなっちゃって……森谷が唯一抹消出来なかったこのビルを彼の代わりに消し去る事が私の最大の夢だったの」
「……!」
そこに描かれていたのは今夜グッドデザイン賞の受賞パーティーが執り行われる米花シティービルだった。
「まさか……蘭を招待したのは……!?」
「最終的に森谷の破壊を阻止したのはあなたの奥様だったんだもの。彼女にもビルと一緒に吹っ飛んで頂くつもりでパーティーに招待したのよ?妻を助けられなかった事であなたの探偵としての評価はガタ落ちでしょうね」
新一は勝ち誇ったように高笑いする果音を「クソッ…!」と睨みつけると、服を身に着けるのももどかしくスイートルームを飛び出した。廊下を全速力で走りながら携帯を取り出すと快斗の番号を呼び出す。
「黒羽か!?」
「あれ?名探偵がきちんとかけ直して来るなんて……明日は雨かなぁ?」
「冗談言ってる場合じゃねえ!蘭と灰原が危ないんだ!」
「危ない?一体何が……」
その時、携帯の向こうで地鳴りのような音が響き、快斗との通話が遮断された。
「黒羽!?おい……!」



雷のような轟音と地震のような揺れにパーティー会場はパニックに包まれた。
「キャアッ!!」
「何!?」
非常電源の暗い照明の下、哀はざわめく客達の間を縫って出入口になっている扉の方向へと移動した。状況から考えておそらく事件だろう。
(全く……疫病神は甲府へ行ってるっていうのに……)
異変を察知して溜息をついたその時、マナーモードにしていた携帯が揺れた。ディスプレイに表示された見覚えのない番号に一瞬躊躇するものの、哀の勘が相手は当の探偵だと告げていた。
「はい?」
「灰原、無事か!?」
「『無事か?』って……どうやらこの騒ぎの原因はあなたのようね。どういう事か説明してくれる?」
「呑気に話してる暇はねえ!そのビルに爆弾が仕掛けられてる!今すぐ逃げろ!」
「残念だけど手遅れよ。入口の扉が開かなくなっちゃったみたいでパニックになってるわ」
「な…!」
「今のところ会場にいる人達は全員無事よ。もっとも……この先の保障はないのかもしれないけど」
「心配すんな。今、黒羽に頼んで爆弾の設計図を探してもらってっからよ」
「宝探しの人選はバッチリみたいね。それより……その口ぶりだと爆弾を仕掛けた犯人、あなたには分かっているみたいだけど?」
「ああ、平林果音だ。昔、オレが解いた事件でオレと蘭を恨んでる」
「つまり私はあなたと蘭さんのとばっちりを受けたって事?」
不機嫌そうに言う哀を無視して新一は電話の向こうでタブレットを操作しているようだ。
「ところで灰原、オメー鋏持ってるか?」
「え…?」
「彼女の計画を見るとどうやら一番でかい爆弾はパーティー会場に設置されてるみてえだ。黒羽の話だとさっきの爆破で積もった瓦礫に妨げられて最上階にはとても近付けないらしい。こうなったらもう解体出来るのはオメーしかいねえだろ?」
「……!」