防犯対策にと阿笠から半ば強制的に持たされていた腕時計型ライトのスイッチをオンにすると、哀は会場内をゆっくり歩いて行った。パニック状態に陥った群衆の中を進むのは至難の技だ。身に着けているカクテルドレスが動きを更に制限する。
(こんな事ならやっぱり制服で来れば良かった……)
盛大に溜息をついたその時、「哀ちゃん…!」と呼び止められた。振り向くと蘭が安心したようにこちらへ向かって来る。
「良かった!無事だったのね!」
「合流出来て良かったわ。手伝ってくれる?」
「え…?」
「どうやらこの会場に爆弾が仕掛けられているみたいなの。一刻も早く探し出して解体しないと……」
「爆弾!?」
哀の話に血相を変える蘭だったが、「ねえ、哀ちゃん。爆弾の事は新一から……?」と探るような視線を向けた。哀からすれば「今はそんな事、気にしてる場合じゃないでしょう?」と一蹴したいところだったが、言ったところで互いに傷付くだけだろう。そもそもあの名探偵は妻がこのパーティーに出席している事を知らないはずで、その点を指摘すると蘭は「あ…!」と恥ずかしそうに顔を赤らめた。
「とにかく爆弾を探しましょう。私は会場の正面向かって右側を中心に探すから蘭さんは左側をお願い」
「……」
「蘭さん…?」
「あ……ゴメンね、実は十年前にも似たような目に遭った事があって……」
そういえばまだ組織で研究をしていた時、工藤新一の幼馴染が連続爆弾魔のターゲットになった事件の記事を見た記憶がある。『名探偵への挑戦!赤い糸が命を救う!』という煽り文句に当の名探偵が全く出て来ない事や今時赤い糸の伝説を信じている女子高生がいる事に驚いたものだ。
「携帯の電源は入れっ放しにしておいて頂戴。見付けたらメールで連絡、いいわね?」
哀の言葉に蘭は「分かったわ」と真剣な表情になると彼女とは反対の方向へ歩いて行った。



同じ頃。事件の元凶とも言える男は中央高速を抜け、首都高速を爆走するパトカーの中にいた。
「まさかオメーが山梨県警に異動してたとはな。けど……いいのか?絶交だって言ったじゃねーか」
運転席でハンドルを握る服部平次は新一の問いに「嫁さんと小っさい姉ちゃんの命がかかっとるんや。和葉も文句言わんやろ?」と笑顔を向けた。
「そもそも俺にとっては工藤が名探偵やったら嫁さんと上手く行っててもあかんかっても関係ないねん。たとえ『平成のジェームズ・ボンド』やったとしても友人でありライバルや」
平次の言葉に新一は「『平成のジェームズ・ボンド』か……どうやらその呼び名は返す事になりそうだ」と窓の外に視線を投げた。
「さすがの工藤も今回の件で女は懲りたんか?」
「懲りたっつーか……オレに相応しい女は一人しかいねえって分かったっつーか……」
「小っさい姉ちゃんか?」
ズバリ核心を突いて来る悪友に新一は「そういう事になるのかな?」と苦笑した。
「何や?小っさい姉ちゃんへの気持ちを自覚したんとちゃうんか?」
「灰原への気持ちが恋とか愛とかそういう感情かと問われると正直分からねえんだ。ただアイツといると面白いし、何より等身大の自分でいられる。それが心地よくてさ」
「自分の心の内は自分にしか分からへん。この事件を片付けたら落ち着いて考え」
「ああ。それにしても……」
「何や?」
「いや、何でもねえ」
今回の件では快斗にも平次にも大きな借りを作ってしまった。持つべきものは友だと心の中で感謝の言葉を述べたその時、快斗からメールが入った。添付されて来た画像ファイルを確認すると哀の携帯を呼び出す。
「灰原、爆弾は見付かったか?」
「ちょうど今、外装パネルを外したところよ。それより設計図は見付かったんでしょうね?」
「その台詞、黒羽が聞いたら泣くぜ?」
稼働中の時限爆弾を前に交わす言葉ではないと分かっていながらも相手が哀だとつい軽口を叩いてしまう。そんな自分に苦笑すると新一は改めて設計図に視線を落とした。
「灰原、時間は後何分になってる?」
「たった今、15分30秒を切ったわ」
「一刻の猶予もねえな。早速取り掛かるぞ。最初は……一番下の方にオレンジのコードがあるだろ?それを切るんだ」
「分かったわ」という哀の心持ち緊張した声が返って来たその時、運転席の平次が「……どうやら工藤の相棒はあの姉ちゃんしかおらんみたいやなぁ」とからかうような視線を投げて来た。
「あん?」
「確かお前、十年くらい前にも同じような事件に巻き込まれとったやろ?現場にはあん時爆弾を解体した嫁さんもおんのになんで小っさい姉ちゃんに解体させんねん?」
「それは……」
「女っちゅう生き物は面倒やからなぁ〜。嫁さんからしたら自分がおんのに何で工藤はあの姉ちゃんにやらせるんやって心中穏やかちゃう思うで?」
「服部、オレさ、自分でも驚いてるんだけど……オメーに指摘されるまで蘭に連絡するという選択肢すら思い付かなかったんだ。もっとも……蘭が今のオレの言う事を信じるとも思えねえけど……」
「工藤……」
「どうやらオレ達夫婦は自分達が思ってる以上に修復不可能な所まで来ちまったのかもしれねーな……」
自暴自棄に呟く新一に平次はそれ以上何も言わなかった。



携帯から届く指示に従ってコードを切る事約十分。残るコードは3本になったが、極度の緊張状態に哀の額から汗が落ちた。
「哀ちゃん、大丈夫?」
心配そうに自分の顔を覗き込む蘭に「何とかね……」と応じるとハンカチで汗を拭う。
「工藤君、紫のコードは切ったわよ。次はどれを切ればいいの?」
「次って……もう黒いコードしか残ってねーだろ?」
「何言ってるの?まだ3本残ってるわよ」
「何だって…!?」
「な、何よ?黒と赤と青、3本残ってるけど?」
「……」
電話の向こうから声が聞こえなくなったと思った瞬間、蘭が「あ、あの時と同じ……」と声を震わせた。
「十年前の事件かしら?」
「ええ、爆弾の設計図に最後の2本が書かれてなくて……赤と青、どちらを切るか命がけの賭けだったの」
当時を振り返り、懐かしそうに話す蘭に哀は「なるほど?だから『赤い糸』だったのね」と肩をすくめた。
「感傷に浸ってる余裕はないわ。まずは黒いコードを切るわよ?」
新一の指示を待たずに黒いコードを切るものの、やはりタイマーは止まらなかった。
「さて、最後はどちらを切ったらいいものか……」
独り言のように呟いたその時、携帯のスピーカーから「オレだったら青を切るぜ」という新一の声が聞こえた。
「随分自信があるようだけどその根拠は何?」
「自信なんてねーよ。ただ平林果音は森谷帝二を愛してる。そんな彼女なら森谷帝二と同じ答えを用意するんじゃねーかと思っただけさ」
「一理あるわね……」
「ただオレの選択には何の裏付けもねえ。どっちを切るかはオメーと蘭に任せる」
「任せるって……ご自分は安全圏にいるからって随分無責任なのね」
「バーロー、オメーらが吹っ飛べばオレの命もねえよ」
「え…?」
「たった今、米花シティービルの前に着いた。これからそっちへ向かう」
「わざわざ犠牲者を増やす事はないと思うけど?」
「灰原、オレがしぶとい事はオメーが一番良く知ってるだろ?」
根拠のない自信家なところは相変わらずのようで、哀は「そうだったわね」と苦笑した。