12



「……藤君……ちょっと、工藤君?」
我に返った新一の耳に飛び込んで来たのはコナンではなく哀の声だった。
「灰原…?」
「何か思い付いたの?急に黙り込んじゃって……」
「あ…その……ちょっと考え事しててよ。それより……アイツはどうしたんだ?」
「さあ。盗聴器の受信機と引き換えに通話中の携帯を押し付けてどこかへ行っちゃったけど?」
コナンが被害者の父親を疑い始めているとしたら予測出来る行動は一つしかない。
(ま、父親の件はアイツに任せておくのも手だな。だったらオレは外堀から攻めるか……)
自分を落ち着かせるように深呼吸すると新一は「灰原、頼みがある」と再び口を開いた。
「アイツの事だ、どうせ歩美達の存在なんか忘れて一人さっさと行っちまったんだろ?」
「ええ」
「オレの方から蘭に迎えに行くよう頼んでおくからさ、あの二人をどこか適当な場所へ放り込んでおいてくれねーか?」
「適当な場所って……随分簡単に言ってくれるわね。そんな場所があるなら教えてくれない?」
もっともな言い分に一瞬返す言葉を失った新一だったが、目の前にそびえる高層ビルにニヤッと笑みを浮かべた。
「なあ、ミラクルランドの真ん前にホテルがあるの覚えてるか?」
「ええ、ホテルレッドキャッスルだったかしら?」
「ガキには少々勿体ないけどよ、ホテルのティーラウンジならアイツらも大人しくしてるだろ?」
「小嶋君がいないから大丈夫だと思うけど……で?私もそこでケーキでも食べていればいいのかしら?」
「バーロー、頼みがあるって言っただろ?」
「一体何をしろっていうのよ」
「空室がなければ最悪スイートでもいい。あのホテルを一室押さえてくれ」
「……なるほど?さっさと事件を解決して今夜は彼女と素敵な時間を過ごそうって訳ね」
「んな訳ねーだろ。ちょっと調べたい事があるんだ」
「調べたい事…?」
「横浜港病院のいわゆる派閥ってやつか?罪もない子供を殺すほど被害者の父親に恨みがある医者が果たしているのか……それが気になってな」
「お言葉だけどそれくらい警察がとっくに調べてるんじゃないかしら?」
「警察に調べられるのは所詮表面上の事実と人の噂だけさ。そんな氷山の一角を調べたところで何も出て来ねーよ」
新一の言葉にどうやら哀も察したらしい。
「そういえばあのホテル、ネット設備が凄いのもウリの一つだったわね」
「ああ。だからこそあの事件の時、犯人の伊東は部屋から一歩も出る事なくオレ達を監視出来た訳だからな」
「それにしても小学一年生にハッキングさせるなんて……いい根性してるじゃない」
「何が小学一年生だ、84歳のババアじゃなかったのかよ?」
「高齢者を労わるのも若者の義務だと思うけど?」
他愛ない会話を続けていても仕方ないと判断したのだろう。「ホテルの部屋代とお茶代はあなたにつけておくわ。いくら請求書が回っても文句言わないでね」とだけ言うと哀は一方的に通話を切ってしまった。



横溝重悟にとって職務上一番苦手な事は子供を亡くした親の事情聴取だった。一見突っけんどんで無愛想に見られがちだが、こういう場面で感情移入してしまうのは横溝家の遺伝としか思えない。兄、参悟のように感情をストレートに出せればどんなに楽かと思いつつ、そう出来ないのは性格の違いだろう。
横溝はそんな自分を否定するかのように咳払いすると「もう一度確認しますが……あなたが息子さんとアトラクションの順番待ちをしていたのはこの辺りですね?」と、ミラクルランドの園内見取図を上村医師に見せた。
「はい、光輝がお腹が空いたと言うもんですから千円札を渡して買いに行かせたんです」
「その際、例えば光輝君の後を尾けて行くような怪しい人物は見かけませんでしたか?」
「いえ、特に……」
「携帯に出た犯人の声に聞き覚えは?」
「それが……マスクをしているのか妙にくぐもった声で……男の声だという事は分かったんですけど……」
「え〜、それっておかしくない?」
横溝と上村の会話を無邪気な声が遮った。言わずもがな声の主はコナンである。
「コラ、坊主、あっちへ行ってろ!」
シッシッと手を振る横溝に構わずコナンは上村の隣の椅子に腰を下ろすと「だってこの人、お医者さんなんでしょ?お医者さんってマスク越しに会話する事って多いんじゃない?」と、いかにも子供らしい笑顔を向けた。
「確かに…言われてみれば……」
「それに光輝君はすぐ近くのファーストフード店に行ったんでしょ?なのにこのおじさん、どうして15分も経ってから電話したの?いくら混んでてもテイクアウトなら10分もあれば買って来られると思うけど?」
「……」
考え込むように顎に手を掛ける横溝に「ま、まさか警部さん、私を疑ってるんですか!?」と上村が声を震わせる。
「べ、別にそういう訳では……ただあなたなら犯行に使われた毒を入手するのは他愛ない事でしょうし……」
「光輝は私の子供ですよ!そりゃ…最近は色々な事件が起こっていますけど、どうしてこの私が実の子供を殺さなければならないんです!?」
怒りに声を震わせ掴みかからんばかりの上村をなだめる横溝を尻目にコナンはさっさとその場を後にした。
(あの様子だと犯人はあの人に間違いねえな。問題は動機だが……)
自分の子供を殺したからには相当の理由があるに違いない。とりあえず上村が勤務する病院に向かい捜査を続けると哀に連絡しておくか……とポケットを弄ったコナンはここに来て初めて自分が携帯電話も探偵バッジも持ち合わせていない事に気付いた。
「やべっ!携帯、灰原に預けちまったんだっけ……」
さすがに何の連絡手段もないまま動き回る訳にもいかず、困窮するコナンの頭に一つの疑問が浮かんだ。
「そういえば……あれはまだ見付かってないのか?」
闇雲に探すにはあまりにこのテーマパークは広すぎる。コナンは哀と連絡を取るべく視界に入った公衆電話に向かって駆け出した。



「うわー!歩美、こんなの初めて!」
「英国式アフタヌーンティーですね!ボクも初めてです!」
ホテルレッドキャッスル一階ティーラウンジ『ル クール』。ボーイが運んで来た三段重ねの本格的ティースタンドに歩美と光彦は目を輝かせた。
「でも……哀ちゃん、歩美達だけこんな所でのんびりしてていいの?」
「そうですよ。コナン君は事件の捜査してるんじゃ……」
予想通りの反応に哀は内心苦笑すると「実はさっき江戸川君から連絡があったんだけど……」と声を潜めた。
「どうやら犯人がこのホテルに逃げ込んだらしくてね」
「えっ!?」
「本当ですか!?」
「ええ。『ロビーの近くでホテルに出入りする客を見張っててくれ』って頼まれたのよ。ここならホテルの玄関がばっちり観察出来るでしょ?」
無論、哀の作り話だが二人は彼女の言葉をまったく疑っていない様子で黙って顔を見合わせると真剣な表情で頷いた。
「でも灰原さん、一つ心配があるんですけど……」
「何?」
「ミラクルランド内の飲食はすべて無料ですが、さすがにここは違うんじゃ……IDも預けて来ちゃいましたし……」
「大丈夫よ。工ど…じゃなかった、新一お兄さんの奢りだって話だから」
『工藤君』と言いそうになり慌てて言い直す哀に普段の歩美と光彦なら怪訝な表情を見せただろう。しかし、他に何やら気になる事があるらしく互いに顔を見合わせている。
「……どうしたの?」
「その……元太君に悪いなと思って……」
「ボク達だけこんな美味しいものを食べて……」
相変わらず友達思いの幼い親友達に哀は小さく微笑むと「心配ないわ。小嶋君にもここへ来るよう連絡してあるから」と、紅茶のカップを口に運んだ。
「哀ちゃん、それ本当?」
「だったら遠慮は無用ですね。元太君、ボク達の倍は速く食べますから」
歩美と光彦は笑顔になると「いっただっきまーす!」と嬉しそうにティースタンドへ手を伸ばした。
「おいしい!」
「このスコーン、ホクホクです!」
楽しそうに初めてのアフタヌーンティーを満喫する二人の様子を15分ほど伺っただろうか。
「ごめんなさい。私、ちょっと席外すわね」
それだけ言って立ち上がる哀に「哀ちゃん、どこ行くの?」と歩美が不安そうな視線を投げて来る。
「実は新一お兄さんからも野暮用を頼まれててね」
「だったらボク達も一緒に行きますよ」
「そうだよ。歩美達、仲間でしょ?」
「バカね。江戸川君に頼まれた事を忘れたの?」
「それは……」
「じゃ、こっちは任せたから」
考える隙を与えないようにティーラウンジを後にした瞬間、待っていたかのようにミニポーチの中に忍ばせた携帯が着信を告げる。
「はい……江戸川君?」
「灰原、おめえ、今、どこにいる?」
「ホテルレッドキャッスルのロビーだけど?」
「ホテルのロビー?何やってんだよ、そんな場所で」
「工藤君にちょっと厄介事を頼まれてね」
「厄介事って……一体何だよ?」
「ちょっとここでは言いかねるわ。誰がどこで聞き耳を立てているか分からないし」
哀にしては歯切れの悪い口調にコナンも厄介事の内容を察したのだろう。「……んじゃオレもついでに調べてもらうとすっか」というふてぶてしい言葉が返って来る。
「5分後に掛け直すから部屋番号を教えてくれ」
さっさと通話を切ってしまうコナンに哀はやれやれと言いたげに肩をすくめるとフロントへと歩を進めた。



「先に灰原に頼んだのはオレだぞ!第一おめえだって犯人が被害者を殺した動機が気になってんだろ!?」
「バーロー、こっちは証拠の品がかかってんだ!そんな悠長な事言ってられっか!」
ホテルレッドキャッスル最上階に位置するエグゼクティブスイートルーム。どちらの調査を優先するか尋ねるや否や言い争いを始めるコナンと新一に哀は思わずこめかみを押さえた。
(これが『日本警察の救世主』とまで呼ばれた人物だなんて……聞いて呆れるわね)
阿笠から新一に関して多少子供っぽいところがあると聞かされていたし、コナンと一緒にいる時、自分と年が一つしか違わない割りに幼さを感じる事は多々あったが、同じ背丈でそれを感じていただけに元の身体に戻った彼に対しても同じような印象を抱いてしまうのは辛いものがある。
「ちょっと、下らない事で争ってる場合じゃないでしょう?」
いつもより低い哀の声に彼女の堪忍袋の尾が切れかかっている事に気付いたのだろう。
「そ、そう……」
「……だな」
バツが悪そうな表情で黙り込む二人に哀は「……で?どちらを先に調べればいいの?」と先程の質問を繰り返した。
「それは……」
「お前に任せるよ」
言い淀む新一に対しきっぱり言い切ったのはコナンだった。
「どういう事を調べるのにどれくらい時間がかかるか……お前の方が分かるだろ?手っ取り早く調べられる事から調べてくれ」
「なるほど?賢い選択ね」
やっとまとまった意見に哀は肩をすくめると「じゃ、江戸川君の方から調べるわ」とパソコンを操作していった。大手警備会社のメインコンピューターに次々進入すると目当てのものがあるかどうか調べていく。
「……見付けたわ」
約10分後、哀の口から出た言葉にコナンは「さすが灰原、早いな」と満足したように呟いた。
「で?どこにある?」
「ちょっと待って」
パソコン画面にミラクルランドの地図が読み込まれ、園内にいくつもの光点が現れたかと思うとアッという間に一つに絞り込まれる。
「……どうやら園内のようだな」
コナンはニヤッと笑うと携帯を取り出し平次を呼び出した。
「服部、オレだ」
「その声は小っさい工藤やな。何か分かったんか?」
「ちょっと探し物があるんだけどよ、手伝ってくれねーか?」
「探し物って一体何や?」
「詳しい話は合流してからすっからよ」
「もったいぶんなや。わざわざ電話して来たっちゅう事はオレの方がターゲットに近い所におるんやろ?」
「まあ…そうだな」
相変わらず鋭い親友にコナンは思わず苦笑すると「被害者の携帯を探したいんだ」と続けた。
「携帯やと?何でそんなもん……」
「通常、親が幼い子供に携帯を持たせる理由で考えられるのは子供の安全を守るためだろ?」
コナンの言葉に平次もピンと来たのだろう。「そういやああの父親、携帯の事一言も言わへんかったなぁ」と面白そうに呟く。
「ほんなら先に探してるからな。工藤にも連絡し……」
「その必要はねえよ。実はアイツも今ここにいるんだ」
「なんや、お前らいつの間に合流したんや?」
「たまたま偶然……な」
「さっすが同一人物ちゅうだけあるな。辿り着く先は一緒ちゅう訳や」
電話の向こうでゲラゲラ笑う平次にコナンの表情が一瞬にして渋くなる。
「とにかくオレも今からそっちへ向かうからよ、おめえは先に……」
「探しててくれ」と言いかけたコナンの目に新一と共に真剣な表情でパソコン画面を見つめる哀の横顔が映った。おそらく横浜港病院の裏事情を探っているのだろう。
そこまで分かっているのに何故か不機嫌になる自分にコナンは戸惑いを隠せなかった。
(何だ?このイライラした感じ……)
二人の姿から視線を外す事が出来ず、黙って携帯を握り締めていたコナンを平次の罵声が現実へと引き戻した。
「おい、コラ、工藤!聞いとるんか!?」
「あ…ああ。じゃ、また後でな」
自分の中のモヤモヤした感情を振り切るように頭を強く振るとコナンはスイートルームを後にした。