「おい、まだかよ?」
「うっせーな。こっちは小学生のお子様と違って色々時間がかかるんだから仕方ねえだろ?」
「……」
嫌味な台詞にカチンと来るものの相手は自分の分身で、コナンは苦虫を噛み潰したような顔でいそいそと支度する新一の様子を見つめた。
解毒剤を飲んで早一週間。新一とコナンが同時に存在するという厄介な事態に対し、哀、阿笠、有紀子の意見はバラバラだったが、「まあ兄弟が出来たと思って仲良くやるんだな」という優作の台詞が決め手となり、二人は揃って工藤邸で生活する事となった。新一の帝丹高校への復学手続きも終わり、今日からいよいよ登校である。
支度を終え玄関を出ると待ちくたびれたようにこちらを睨む哀の姿があった。
「……あなた達、私まで一緒に遅刻させる気じゃないでしょうね?」
おはようという挨拶も抜きに文句を口にする哀に新一は思わず「へえ……」とからかうような視線を投げた。
「何よ?」
「灰原、お前、オレ達と一緒に登校するつもりなんだ?」
「『少年探偵団の仲間が隣に住んでいるのに一緒に学校へ通わないなんて不自然よ』って主張したのはあなたのお母さんでしょう?」
「そりゃそうだけどよぉ、さっさとアメリカへ帰っちまった母さんの言う事を律儀に守る必要なんか……」
「あなた達の事は私にも責任があるし。もっとも私が一緒に登校すると何か不都合があるっていうなら話は別だけど?」
「不都合なんて別にねえけど……」
口ごもる新一に哀が「そんな事より……」と、本題に入ると言わんばかりの真剣な表情になる。
「あん?」
「何だよ?」
「この一週間、あなた達の身体に異常らしい異常は現れなかったわ。でも、いつ何が起こっても不思議じゃないって事くらい分かってるわよね?」
「ああ」
「何かあったらすぐ連絡しろってんだろ?」
「ええ。それから……」
哀は言葉を切ると新一の顔を正面から見据えた。
「工藤君、私とほぼ行動を共に出来る江戸川君はともかく、あなたにはフォローする人間が誰も傍にいないんだから。いくら元の身体だからっていい気になって派手に振舞っちゃダメよ。くれぐれも慎重に行動してくれないと」
「心配すんなよ。何かあったらすぐ連絡すっからさ」
「……あなたのその『心配するな』って言葉ほど信用出来ないものもないんだけどね」
冷たい視線とともに呟く哀にコナンがプッと吹き出す。
「……どうやら元の姿に戻っても灰原には敵わねえようだな」
「冷静に分析してる場合か?オレに言われた言葉はお前に言われた言葉でもあるんだぞ?」
「そりゃまあ……けどよ、同じ小学生ならまだしも高校生が小学生に言い負かされる姿は情けねえぜ?」
「高校生って……おめえだって中身は高校生じゃねえか!」
どんどん脱線して行く会話の流れに哀は大きく溜息をつくと「とにかく!」と二人の会話を遮った。
「工藤君も江戸川君も一人で勝手に突っ走る事だけは謹んで頂戴。いいわね?」
厳しい口調の哀に新一とコナンは顔を見合わせると「はい……」と首を項垂れた。



「あ、コナン君!哀ちゃん!」
路地を抜け大通りへと出た途端、歩美の賑やかな声がコナン達を歓迎した。
「よぉ」
「おはよう」
「おはよう。コナン君、久し振りにお父さんやお母さんと過ごせて楽しかった?」
「あ、ああ。まあな」
「それにしても予定より随分早く戻って来たんですね」
「コナン、お前、ひょっとしてオレ達に会えないのが寂しくなったんじゃねえだろうな?」
「バーロー、んな訳ねーだろ?」
心外な発言に眉をしかめるコナンをよそに三人の注意はすでに新一に向かっているようだ。
「ねえコナン君、このお兄さん確か……」
「ああ、博士の隣の家に住んでいる高校生だよ。帰って来たんだってさ」
「高校生探偵の工藤新一さんですよね?勿論知ってますよ。でもなぜコナン君や灰原さんと一緒に登校しているんですか?」
「実はオレ、今度は新一兄ちゃんの家に居候する事になったんだ」
「え?」
「ああ、おめえらには言ってなかったかもしれねえな。実は新一兄ちゃん、オレの爺さんの姪の従兄弟の父さんの弟の曾孫でさ」
「爺さんの姪の……何だって?」
首を傾げる元太に「……一言で言えば遠い親戚って事ね」と哀が肩をすくめる。
「あれ?でもコナン君は博士の親戚だったはずじゃ……」
「博士とその高校生も遠い親戚なのよ。つまり私とも遠い遠〜い親戚って事になるわね」
「……」
話を断ち切るように言う哀に光彦が「……な、なるほど。それでコナン君、工藤新一さんとどことなく似てるんですね」と納得したように呟く。
「ああ。コイツに推理のいろはを教えたのもオレだしな」
新一は得意げに呟くと「よろしく、米花町イレギュラーズ諸君」と、三人組に笑顔を向けた。
「新一お兄さん、歩美にも推理のいろは教えて!」
「ボクにも是非!」
「コナンだけに教えるなんてずるいぞ!」
「そうだな……じゃ、今度家へ遊びに来いよ。事件の事とか色々話してやっからさ」
「お、おい…!」
すっかりヒーロー気取りの新一をコナンが慌てて抑制しようとしたその時だった。
「新一…!?」という驚いたような声に振り向くと蘭が呆然とした様子でこちらを見つめている。
「よぉ、蘭。久しぶり」
目の前の光景が信じられないのか、蘭は慌てて駆け寄って来ると「本当に新一なの…?」と大きな瞳を更に大きく見開いた。
「バーロー、何寝ぼけた事言ってんだよ」
「だって……」
言葉を飲み込む蘭を更に驚かせたのは「おはよう、蘭姉ちゃん」という聞き慣れた声だった。
「コナン君…どうして……!?」
「その……三日前、お父さん達とドライブに出掛けたんだけど途中で交通事故に遭っちゃって……お巡りさんと近くの警察署に行ったら新一兄ちゃんがいたんだ」
「え…?」
「たまたま遭遇した事件の事情聴取に付き合ってたらこのボウズが警察官に連れられて来てよ。話を聞くと高速で起きた多重事故に巻き込まれたらしくて両親揃って入院しちまったっていうんだ。遠縁とは言え一応親戚だし、米花町ならこのボウズも住み慣れてるだろ?そういう訳で両親が退院するまでオレが面倒をみる事になってさ」
あらかじめ用意しておいたシナリオだけに完璧に頭に入っているものの、さすがに蘭を前にすると緊張するようで笑顔が引きつっているのが自分でも分かる。幸い蘭は二人の言う事をすっかり信じているようで、コナンの視線の高さまで腰を落とすと「それで?コナン君は怪我とかしなかったの?」と、心配そうにコナンを見つめた。
「ボクは大丈夫。かすり傷で済んだから」
その答えに蘭が「良かった……」とホッとしたように息をつく。
「ねえ、コナン君、お父さんとお母さんが退院するまでどれぐらいかかりそうなの?」
「その……ボク、子供だから良く分からないんだけど……三ヶ月くらいかかるみたい」
「そう……残念だったね、せっかく一緒に暮らせる事になったのに……」
「う、うん……」
でっち上げられた話を疑うどころか逆に自分の身を案じる幼馴染に胸が痛み、思わず視線を逸らそうとしたコナンは「でも……」という蘭の笑顔に「えっ?」と目を瞬かせた。
「コナン君とまた一緒に登校出来るのは嬉しいな」
「蘭…姉ちゃん……」
「……」
コナンが自分の分身である以上、その行動パターンが自分と同じ事ぐらい頭では分かっているものの、蘭を相手にポーッと頬を赤く染める姿は面白いものではなく、新一は自分でも意識しないうちにコナンの頭をポカッと殴り付けていた。
「痛ッ!」
「このマセガキ、朝っぱらから鼻の下延ばしやがって…!」
「マセガキって……てめえ……!」
「ちょ、ちょっと、止めなさいよ、新一」
蘭が慌てて新一からコナンを引き離すと「大丈夫?コナン君」と、コナンの頭を優しく撫でる。蘭の父、小五郎に殴られる度繰り返された光景ではあるものの、どうにも苦々しい思いが拭い切れず、新一は「蘭、行くぞ」とだけ言うとさっさと踵を返し歩き出した。
「あ……待ってよ、新一」
「じゃ、またね」と笑顔を見せ、蘭が慌てて新一の後を追って行く。高校生二人が去った途端、待ってましたとばかりに三人組がコナンを取り囲んだ。
「コナン君、大丈夫?」
「いくらあの姉ちゃんの恋人だからって殴る事ねえよな」
「高校生探偵と名高い方なのに小学生に嫉妬するなんて……意外と子供なんですね」
三人の台詞にまさかアイツもオレだとは言えずコナンはハハと乾いた笑いを浮かべた。
「それはそうと……コナン君、一つ聞いてもいいですか?」
「何だよ光彦、改まって」
「今の蘭さんの話だとコナン君は米花町に戻って来る予定がなかったみたいに聞こえたんですが……」
「え?あ……」
さすがに理論派を自認する光彦だけに話の矛盾には敏感である。
「その……確かに戻って来ない可能性もあったんだけどよ、色々事情があって小林先生には少しの間親元へ帰るって連絡したんだ。ま、結局戻って来た訳だし結果オーライだろ?」
「はあ……」
分かったような分からないような表情を浮かべる光彦にふうと大きく息をつく。その様子に哀がクスッと皮肉めいた笑みを浮かべた。
「あんだよ?灰原」
「別に」
「……」
含みのある物言いに思わず顔をしかめるものの口で勝てる相手ではない。
「そろそろ行くぞ」
吐き捨てるように言うとコナンは一人さっさと歩き出した。



「よぉ、工藤、復帰早々夫婦で登校かよ?」
2−Bの教室に足を踏み入れた途端、以前と変わらぬ野次が飛んで来る。懐かしさは感じるものの鬱陶しい事には変わりなく、新一は「バーロー、んなんじゃねえよ」と呟くとさっさと自分の席に腰を下ろした。
「なあ、工藤、一体どんな事件を追ってたんだよ?」
「お前らしくねえじゃんか。一つの事件にこんなに長くかかるなんてよぉ」
「……」
クラスメイト達の遠慮ない発言に眉をしかめる新一だったが、今の状況で自分が件の組織と対決していた事を明かす訳にもいかず、「ま…色々あってな」とだけ呟くと肩をすくめた。元々新一の探偵活動に興味を抱いていないせいか友人達はそれ以上突っ込んで来なかったが、例外が一人。園子である。
「ちょっと新一君、あんた蘭に何も話してないって本当なの?」
野次馬を退け凄い剣幕で迫って来る姿にさすがの新一も逃げ腰になる。
「蘭はあんたの帰りをずーっと心配して待ってたのよ!せめてどこでどんな事件を追ってたかくらい説明しなさいよ!」
「それは……」
まさかこの米花町で『江戸川コナン』として生活しつつ組織を追っていたと言えるはずもなく言葉を濁す。そんな新一の様子に園子はふーんと目を細めると「……事件事件って言ってたけど、あんた、本当は女の所にしけ込んでたんじゃないでしょうね?」と探るような視線を向けた。
「バ、バーロー、んな訳ねーだろ!」
「じゃあなんで蘭に帰って来たって連絡も寄こさなかったのよ?」
「べ、別にいいだろ?学校に来れば会えるんだからよ!」
「良くないわよ!あんた、蘭の事、一体何だと思ってんの!?」
次第に大きくなる声に蘭が「ちょ、ちょっと、園子……」と親友の行動を諌める。
「もういいよ、今度こそ新一は戻って来てくれたみたいだし……」
「何お人好しな事言ってるのよ?蘭、あんただって本当は気になって仕方ないんでしょ?」
「それは……」
蘭は言葉を飲み込むとそのまま俯いてしまった。
姿は違えどずっと傍にいただけに蘭がどれだけ自分の事を心配してくれていたか嫌というほど分かっている。そんな彼女が真実を知りたいと思うのは当然だろう。新一はフッと息をつくと「いつか……お前にはすべて話すからさ」と彼女を見た。
「え…?」
「その……今はまだ事情があって詳しく話せないんだ。けど……いつか必ず、な」
「本当に?」
「ああ。約束する」
約束という言葉に安堵したのか蘭はやっと笑顔を見せると「……うん」と頷いた。
「『いつかお前にはすべて話すから……』だって。あ〜、もう完全に夫婦の会話ねv」
「そ、そんなんじゃないわよ!」
「照れない照れないv」
園子の突っ込みに蘭は頬を赤らめ慌てて自分の席へと戻って行く。その様子に新一は思わず深い溜息をついた。