その日の夜は阿笠が知り合いの博士の論文発表会に出席したため、新一、コナン、哀、三人での夕食となった。
「灰原、この煮込み美味いな。おかわりあるか?」
「……」
すっかりご機嫌な様子の新一に哀は黙って差し出された器を受け取ると、椅子から立ち上がりキッチンへと姿を消した。
「……で?」
その瞬間、待ってましたとばかりにコナンが口を開く。
「じっくり話を聞かせてもらおうじゃねーか」
「話って……何だよ、急に改まって」
「『何だ』じゃねーだろ?今日、学校帰りに蘭を泣かせたのは一体どこのどいつだ?」
コナンの台詞に一瞬きょとんと目を瞬かせた新一だったが、「……なるほど?あの後、妙におめえの態度が刺々しかったのはあれが原因だったのか」と、合点がいったと言いたげに肩をすくめた。
「涼しい顔してんじゃねーよ!オレは……他の誰よりも蘭の涙を見たくねえんだ!それはおめえも同じじゃねえのか!?」
「んな事、当たり前だろ?」
「だったら……どうして今更アイツの涙を見せられなきゃならねえんだよ!?こっちはお前さえ傍にいればアイツが寂しがる事もねえだろうと思って我慢して小学生してんだぜ!?」
すっかり頭に血が上ってしまっているコナンに新一は余裕の表情でチッチッと人差し指を振ってみせると「オレはオレの真実をアイツに話しただけさ」と、ニヤッと笑みを浮かべた。
「真実って……まさか蘭にオレ達の事を…!?」
「バーロー、んな訳ねーだろ?」
「だったら一体…!?」
「……ちょっと、江戸川君」
冷静な声に振り向くと、いつの間にか哀がコナンを呆れたような表情で見つめている。
「あなた、仮にも探偵でしょ?工藤君のこの締りのない顔を見れば嫌でもピンと来ると思うけど?」
「うっせーな!分からねえから聞いてんだろ!?」
相変らず鈍感なコナンに哀は小さな溜息を落とすと「……工藤君、あなた、彼女に告白でもされたんじゃない?」と、からかうような視線を投げた。
「……」
誤魔化しが効かない相手だという事くらい百も承知で、新一は観念するように「……まぁな」と肩をすくめると哀の手から煮込みが盛られた器を受け取り、大きなじゃがいもを口に放り込んだ。
「正確に言えばオレの方から告白したんだけどよ」
「なっ…!」
絶句するコナンとは対照的に哀は「そう、あなたから……」と、関心なさそうに呟くと再び椅子に腰を下ろした。その突き放したような態度に新一は逆に焦りを感じ、箸を動かす手を止める。
「あ、いや……オレだって復帰早々告白するつもりはなかったんだ。けどよ、オレは『江戸川コナン』という別人として蘭に接する事で図らずもアイツの気持ちをすべて知っちまった訳で……アイツがどれだけオレの帰りを待っていたか、どれだけオレを想ってくれているかって事をさ。知っちまった以上、こっちが自分の気持ちを全く言わないのはフェアじゃねえだろ?」
「ま、あなたの気持ちも分からなくはないけどね」
「それに……蘭のヤツ、オレがどこで何をしてたのか気になって仕方ないくせに自分からは一切聞いて来ようとしねえんだ。それどころかオレやコイツの食事の心配をする始末で……」
「あなたの日頃の食生活をよーく知る彼女なら無理もない事でしょうけど?」
嫌味な台詞に眉をしかめるものの反論の余地はなく「それで…?」という哀の催促に話を続ける。
「そんな健気な蘭を見てたらオレ、抑えられなくなっちまってさ。園子にも『いい加減はっきりさせろ』って葉っぱ掛けられちまったし……」
今度はどんな反応を返されるかと思わず上目遣いになる新一だったが、哀は穏やかな表情で箸を動かしている。
「灰原、おめえ……怒らねえのか?」
「怒るって何を?」
「蘭に告白した事に決まってんだろ?お前、今朝オレ達に言ったじゃねえか。『一人で勝手に突っ走るな』ってよぉ……」
「あれはあくまで下手な事件に首を突っ込まないで欲しいって意味で、あなたの私生活までとやかく言うつもりはないわ。第一、私、あなたの恋愛事情まで面倒見るほどお人好しじゃないし」
「……」
見事にバッサリ自分を切り捨ててくれる哀に新一が絶句したその時、それまで黙って二人の会話に耳を傾けていたコナンが「そんな事より……」と口を開いた。
「アイツは……蘭はおめえに何て答えたんだよ?」
「心配すんなって。アイツもオレへの気持ちをはっきり口にしてくれたからさ」
「……」
「……んだよ、もっと嬉しそうな顔しろよ。オレの事はおめえの事でもあるんだぞ?」
「そりゃ……」
コナンの言葉を遮ったのは新一の携帯の着信音だった。
「はい、工藤……蘭?」
新一がパッと顔を輝かせると慌ててダイニングを出て行く。その様子に哀はクスッと笑うと「……面白くなさそうね」とコナンを見た。
「別にそういう訳じゃ……」
「その割に不機嫌な顔だけど?」
「……」
哀の他に自分の本音を話せる相手がいるはずもなく、コナンはふうと小さく息をつくと「なんか……オレの気持ちはすっかり置いてけぼりにされちまったような気がしてさ……」と苦笑した。
「まあ、それは仕方ないわね。彼女を想う気持ちは工藤君もあなたも同じでしょうし。でも、それもきっと今だけよ。二つの魂が一つに戻れば解決する問題だと思うわ」
「……」
「江戸川君…?」
「なあ、灰原……薬が完成したらオレは無事に元の身体に戻れるのか?それともコナンに戻っちまうのか?」
「残念だけど断言は出来ないわ。あなたの本来の姿は『工藤新一』、これは間違いない事よ。でも、あの薬を飲んだオリジナルは『江戸川コナン』だった訳だから……」
哀の返事にコナンは「そうだよな……」と、溜息混じりに呟くと「オレ、思うんだけどさ……」と、真剣な表情で彼女を見た。
「もしオレ達二人がコナンに戻っちまったら……なまじ気持ちが通じ合った分、蘭はもっと寂しい思いをする事になるんじゃねえか?」
「え…?」
「確かに蘭はオレの帰りをずっと待ち続けてくれた。誰にでも出来る事じゃねえし感謝もしてる。けどよ、言い方は悪いかもしれねえが今までは幼馴染で片思いの相手が帰って来るのをアイツが勝手に待ってたって話だろ?」
「まあ…そうね」
「ところが今日アイツが告白した事でオレと蘭の関係はいわゆる両思いってヤツに変わっちまった。蘭の事だ、恋人が何も言わず突然いなくなっちまったら自分の事のように心配するに違いねえ。今までは『別にあんなヤツ…!』なんて強がってたが、それも出来なくなっちまう訳だろ?下手したら精神的に参っちまうんじゃねえかと心配でさ……」
「江戸川君……」
コナンの言葉に哀が驚いたように息を飲んだその時だった。「……ったく、余計な心配してんじゃねえよ」という台詞とともに新一がダイニングへ戻って来る。
「おめえ、蘭がそんなに弱い女だと思ってんのか?」
「別にそういう訳じゃ……」
「蘭はあれだけオレの帰りを信じて待ち続けてくれたんだぜ?そりゃ……時々他に女がいるんじゃねえかって疑われた事もあったけどよ、はっきり気持ちを伝えた以上そんな事もなくなる訳だし。仮にオレ達がコナンに戻っちまったとしても今度は安心して待ってられるってもんじゃねえか?」
「そりゃ……」
「第一、オレもおめえも『工藤新一』に戻りたいと強く願ってんだ。灰原も頑張って研究を続けてくれてるし、万一コナンになっちまったとしても次は必ず元の身体に戻れるさ」
「……」
その言葉にコナンはしばし考え込むように顎に手をかけ押し黙っていたが、新一が手に持つ携帯に視線を落とすと「それより……蘭のヤツ、何だって?」と、思い出したように呟いた。
「ああ、特に用事があったって訳じゃねえよ。多分オレの声が聞きたくなったんじゃねえか?」
「もしくはまたあなたがいなくなったんじゃないかと心配でかけて来たか……」
哀の突っ込みに新一は「縁起でもねえ事言うなよ」と顔をしかめると「灰原、ごちそっさん。美味かったぜ」とだけ言い残しダイニングを後にしてしまった。



翌日。昨日の朝と同様、哀に叩き出されるように工藤邸の門を閉めようとした新一は「おはよう、新一、コナン君!」という明るい声に鍵を掛ける手を止めた。振り向くと蘭が満面の笑顔でこちらへ向かって駆けて来る。
「よぉ、蘭」
「……おはよう、蘭姉ちゃん」
ご機嫌な様子で蘭と挨拶を交わす新一とは対照的にコナンは複雑な表情を隠せない。
「哀ちゃんもおはよう」
「……おはようございます」
「それにしても私が呼びに来るまで毎朝支度も満足に出来なかった新一がこんなに早く家を出るなんて……」
「仕方ねえだろ?灰原のヤツが問答無用とばかりに呼びに来るんだからよぉ……」
新一の言葉に蘭は一瞬驚いたような表情になると「『灰原』って……新一、いくら遠縁とは言え哀ちゃんの事そんな風に呼ぶのは可哀想なんじゃない?」と口を尖らせた。
「え…?あ……」
確かに17歳の高校生が小学一年生の少女を名字で呼び捨てにするのはおかしいだろう。しかし、哀が実は18歳の宮野志保である事を差し引いても『哀ちゃん』と呼ぶ気にはなれず、新一は「仕方ねえだろ?コイツが『灰原、灰原』って呼んでるのが移っちまったんだからよぉ……」と苦し紛れにコナンを小突いた。
「でも……」
蘭の反論を遮るように「そうね、気にする必要なんかないわ」と哀が口を開く。
「この人が私を何と呼ぼうと関係ないし。大体、名前なんて他人と区別するために付加された記号のようなものに過ぎないんだら」
「そ、そう……」
小学生らしからぬ台詞に絶句する蘭を無視するように哀は「それより江戸川君、私達は一足先に登校しない?」とコナンの方に振り返った。
「あん?」
「私達が一緒にいたらお邪魔でしょ?」
「……」
どうせ途中で別れるのだから別にそこまで気を回す必要はないだろうと反論しかけたコナンだったが、一人さっさと歩き出す哀に渋々後に続いた。
「気をつけて行けよー!」
内心の笑みを悟られないよう愛想よく二人を見送ると新一は蘭とともに朝の日差しが眩しい道をゆっくりと歩き始めた。
昨日の事もあり、何をどう切り出していいか分からず黙って歩き続けていた新一は「それにしても……良かった」とホッとしたような笑顔を見せる蘭に「え…?」と彼女を見た。
「だって新一が突然帰って来ただけでも信じられなかったのに告白されるなんて……私、夢でも見てるんじゃないかと思ってほとんど眠れなかったんだよ?」
「酷えな、オレを幽霊みたいに言うなよ」
「だって……」
なおも不安そうな表情の蘭に新一は彼女を抱き寄せると「この温もりは嘘じゅねえだろ?」と穏やかに微笑んだ。
「うん……」
「それはそうと……オレがおめえに告白したって事はしばらく内緒だぜ?行方不明だったオレが帰って来たっていうだけで注目の的なのにおめえとの事がバレたら洒落にならねえからな」
「え…?」
「『え…?』って……蘭、おめえ、まさか……」
「私、夕べ園子に電話で全部話しちゃった……」
蘭の言葉に新一は思わず空を仰いだ。



「感謝してよね、江戸川君?」
仏頂面で黙って帝丹小学校への道を歩いていたコナンは哀の思わぬ台詞に「あん?」と足を止めた。
「朝っぱらから工藤君と彼女が仲良くするところなんか見たくないでしょ?」
「そりゃ……」
確かにいくら自分の分身とは言え新一と蘭のアツアツぶりを見せつけられるのは辛いものがある。下手をすれば蘭に真実をぶちまけてしまいかねなかったのは否定出来ず、それを考えると哀の判断は正しかったのだろう。
頭では分かっていても感情は抑え切れるものではなく、コナンは「クソッ…!」と髪を掻き毟った。そんなコナンに哀が「心配するだけ時間の無駄なんじゃない?」とクスッと笑う。
「どういう意味だよ?」
「どうせしばらくは行方不明になっていた間の出来事を彼女が一方的に話すだけで会話が成立するでしょうし、それが過ぎれば今度は工藤君が相変らずの推理フェチを発揮するだけなんだから」
「……」
どうやら以前、解毒剤の試作品で一時的に新一の姿に戻った時、蘭に言いたい事の一つも言えなかった事を哀はしっかり覚えているらしい。
「けどよぉ、告白した以上蘭との関係が一歩進んだ訳だろ?だから…その……」
「じゃあ聞くけど、あなた、彼女に強引に迫る度胸ある?」
「なっ…!!」
顔を真っ赤にするコナンに哀は「工藤君とあなたは同じなんでしょ?」と不敵に微笑んだ。