帝丹高校へ到着するや否やクラスメートは勿論、もの凄い数の生徒達が新一と蘭を取り囲んだ。こういう状況に慣れているはずの新一もその勢いにたじろぎ、思わず足を止めてしまう。
「よぉ、工藤!お前、遂に毛利と婚約したんだってな!」
「毛利さん、プロポーズ、一体何て言われたの?」
「結婚式はいつなんだ?早目に言ってくれないとこっちにも都合ってもんがあるからよぉ……」
「そうそう、優秀な名探偵と違ってオレ達凡人には受験戦争という試練が待ちかねてますからv」
「毛利先輩、式はやっぱり6月ですか?女としてはジューン・ブライドに憧れますよね〜」
「神式でやるの?それとも教会?」
「二次会の準備はオレ達に任せろよな!どーんと盛り上げてやるからさ!」
「……」
「園子に全部話しちゃった」という蘭の言葉に多少の心構えは出来ていたものの、噂が広まるスピードは新一の予想を遥かに超えていた。おまけに単に告白したという事実に尾ひれ背びれが付きまくり、話の内容がとんでもなく飛躍しているから性質が悪い。
野次馬を押しのけ何とか2年B組の教室へ辿り着くと「あ、おはよう。蘭、新一君」と、噂を広めたであろう張本人、園子がのんびりとした口調で二人を迎えた。
「『おはよう』じゃないよ、園子!何でこんなに話が広まってるのよ!?」
蘭の抗議に園子は「この推理クイーン、園子様の力を舐めないでくれる?」と、不敵な笑みを浮かべると「ジャーン!」という効果音とともに何やら新聞の号外のような物を取り出した。そこには『帝丹高の名探偵、遂に婚約!』というピンク色の文字が躍っており、ハート型に切り抜かれた二人のツーショット写真が掲載されている。
「な、何よこれ!?」
「どんな難事件を追ってたか知らないけど、あれだけ音信不通だった新一君がやっと帰って来たんだもん。何はともあれ蘭に告るんじゃないかと思って新聞部の部長に言っておいたのよ。『記事を作って刷るだけの状態で待機してろ』ってね」
得意げに胸を張る園子に「ハハ……」と乾いた笑いを浮かべる新一に対し蘭は怒りが収まらない様子だ。
「大体『婚約』って何よ!?新一と私は別に……!」
「何言ってんの?あんた達の場合『付き合う=結婚』みたいなもんじゃない。大体、この推理オタクに浮気する甲斐性なんかないって事ぐらい蘭だって分かってるでしょ?」
「そ、そんな事……」
肯定も否定も出来ず口ごもる蘭の肩をポンッと叩くと新一は「『浮気する甲斐性なんかない』か……オレも男として随分酷い評価をされたもんだな」と、不機嫌そうに園子を睨んだ。
「だって事実じゃない。あれだけラブレターを貰っても満足に読もうともしないし、告白する女の子がいても次から次へあっさり振るし。それとも何?行方不明になってた間にあんたの心に引っ掛かる何かがあったとでも言うの?」
「それは……」
『江戸川コナン』として過ごした日々は組織を壊滅し、APTX4869のデータを回収する事しか考えていなかった。それはすべて一日も早く元の身体に戻り蘭に自分の想いを伝えたいという願望の表れだったはずだ。それなのにどうして園子の問いをきっぱり跳ね返せないのだろう……?
呆然と立ち尽くす新一に園子が「蘭、良かったじゃない」と、にんまりとした笑みを浮かべて親友の脇腹を突付いた。
「良かったって……一体何が?」
「鈍いわね〜。普通ここまで焚きつければボロが出るってもんでしょ?それがこの有様。つまり新一君の心を占めるのは相変らず事件と蘭、あんただけって事よ」
「もう、園子ったら……」
頬を赤く染め言葉を発せられない蘭に新一は「とにかく!」と、再び口を開いた。
「これ以上変な噂を流すなよな。朝っぱらからいい迷惑だ」
「な〜にが『いい迷惑』よ。あんたは蘭との仲が公認になって自分をキャーキャー追い回す女の子がいなくなるのが寂しいだけでしょーが」
「んな事……」
「いーい、あれだけ蘭を待たせたんだから今度はあんたが蘭を大切にしないと承知しないわよ!」
園子は宣言するようにそれだけ言うと「ねえ、蘭、それより聞いて。今度の土曜日なんだけどさ……」と、蘭の腕を引っ張って窓際の自分の席へと連れ去ってしまった。



「コナン君…コナン君ってば!」
教室の窓からぼんやりと帝丹高校の方角を見つめていたコナンは歩美の甲高い声にハッと我に返った。
「歩美ちゃんか……何かあったのか?」
「別に何もないけど……コナン君、昨日からなんだか様子がおかしいんだもん」
「え…?」
「そうですよ、放課になる度に窓から外を見て溜息ばかりついてるじゃないですか」
「ひょっとしてあの新一って兄ちゃんと暮らすようになってから満足に飯を食わしてもらってねえのか?」
相変らず話題が食欲に走る元太にコナンは思わず苦笑すると「んな訳ねえだろ?灰原がイヤでも四人分作っちまうからな」と肩をすくめた。
「哀ちゃんが?」
「ああ、新一兄ちゃんの母さんが灰原にオレと新一兄ちゃんの分の食費を預けていってくれたんだ」
「蘭お姉さんの次は灰原さんの手料理ですか……なんだかコナン君だけ凄くいい思いをしているような気がするのはボクの気のせいでしょうか……?」
「あのなあ……」
コナンとしてはたかが食事の世話くらいで大袈裟に言うなと言いたいところだが、さすがに哀を想う光彦の気持ちを考えて言葉を飲み込む。
「……で?一体何の用だ?」
「え?」
「とぼけても無駄だ。おめえらが何か企んでやがる事くらい分かってるぜ?」
見透かすように言うコナンに光彦が「実は今日の帰り、コナン君の新しい居候先にお邪魔しようってみんなで話していたんです」と、照れたような笑顔を浮かべる。
「オレん家へ?」
「だって新一お兄さんが言ってたじゃない。『今度家へ遊びに来いよ』って」
「オレ達少年探偵団にとって実力を上げるいいチャンスだからな!」
「昨日の今日でちょっと迷ったんですが……」
(……ったく、相変らず思い立ったら即行動なんだからよぉ)
好奇心旺盛な三人組に思わず「おめえらなぁ、新一兄ちゃんにだって都合ってもんが……」と返そうとしたコナンだったが、次の瞬間ニヤリとした笑みを浮かべた。
「そうだな、『善は急げ』って言うし……新一兄ちゃんにはオレから連絡しておいてやるよ」
「やったー!!」
「ね、哀ちゃんも行こうよ!」
それまで黙って四人の会話に耳を傾けていた哀はコナンの思惑に気付いているのかいないのか「え、ええ……」と複雑な表情で頷いた。



「……って事でよぉ、今日の帰り、元太達を家へ連れて行くからよろしくな」
携帯の向こうでおそらくニヤニヤ笑っているだろうコナンに新一はワナワナと肩を震わせた。
「おい!何が『よろしくな』だ!どうして上手く断らなかったんだよ!?」
「何言ってんだよ?アイツらが一度言い出したら聞く耳持たねえ事くらいおめえだって身に染みて分かってるだろーが」
「そ、それは……」
「第一アイツらを家へ誘ったのはおめえじゃねえか。それとも何か?放課後何か予定でも入ってんのか?」
「べ、別に予定なんか……わーったよ。帰りゃいいんだろ?帰りゃ」
「じゃ、頼んだぜ」
一方的に通話を切ってしまうコナンに新一は思わずクソッと毒づいた。放課後は空手部の練習が終るまで図書館で過ごし、蘭と一緒に帰る約束をしていたのだ。もう一人の自分がそれを見越して三人組の申し出を引き受けたのは間違いなく、その狡猾さを恨めしく思う事しか出来ない。
盛大な溜息とともに教室へ戻ると「新一、どうしたの?」と蘭が心配そうな表情で尋ねて来た。
「あん?」
「何だか凄く機嫌が悪そうだけど……」
「あの…さ、蘭……」
「何?」
「その……悪ぃ、今日一緒に帰れなくなっちまった」
「え…?」
「コナンのヤツが家へ友達を連れて来るって言ってきかねえんだ。だから授業終ったらすぐ帰らねえと……」
「あ、そっか。コナン君、元太君達と少年探偵団を結成してるもんね」
「元太…?ああ、昨日の朝会ったあの三人組の一人か」
「うん、小嶋元太君、円谷光彦君、吉田歩美ちゃん。あの三人にコナン君と哀ちゃんが加わった五人で活動してるんだよ」
まさか未だ自分の分身がその中にいるとは言えず、新一は「少年探偵団か……昨日会った時もアイツらに色々せがまれたけどよ、所詮ガキのお遊びなんだろ?」と、興味なさそうに呟いた。
「それが結構色んな事件を解決しててね、目暮警部もあの子達には一目置いてるんだよ。佐藤刑事なんてコナン君をすっかり信用してるみたいだし」
「へ、へえ……」
「新一も油断してるとあの子達に負けちゃうかもよ?」
悪戯っ子のような笑顔を向ける蘭に新一は「ハ、ハハ……」と乾いた笑いを浮かべる事しか出来なかった。



工藤邸へ帰宅した新一を待っていたのは「遅い……」と仏頂面で自分を睨むコナンと「お邪魔してまーす!!」と元気な笑顔を向ける歩美、元太、光彦、そして涼しい顔でコーヒーカップを口に運ぶ哀の姿だった。
コナンと哀はともかく『工藤新一』としては面識の浅い三人組に対してぞんざいな態度を取る訳にもいかず、新一はチラッとコナンを睨むと「おめえら、早速来るとは勉強熱心だな」と営業用スマイルを取り繕った。
「何度かすれ違った事はありましたけどゆっくりお話するのは初めてですよね?はじめまして、ボク、円谷光彦といいます」
「私、吉田歩美!」
「オレ、団長の小嶋元太!オレ達みんなコナンのクラスメートなんだぜ!」
嫌と言うほど知り尽くしている相手に自己紹介されるのも妙な気分で新一は「そっか、よろしくな」とだけ返すとソファに腰を下ろした。そんな新一の複雑な心境を知る由もなく、光彦が「早速ですがよろしいですか?」と、手帳とペンを取り出し身を乗り出して来る。
「ああ、何だ?」
「17歳にして名探偵と名高い工藤新一さんですが一体何歳くらいから探偵になりたいと思っていたんですか?」
「そうだな……気が付いた時には推理小説を読んで将来はホームズみたいな探偵になりたいと思ってたから……何せこの有り様だろ?」
新一は苦笑すると本で囲まれた部屋を見回した。
「ボク達もびっくりしたんですけど……さすがお父さんが世界的に有名な推理小説家っていうだけありますよね。まるで図書館にいるみたいです」
「図書館か、いい表現だな」
「え…?」
「ここにあるのは小説だけじゃないからさ。小説を書くために集めた資料は勿論、世界中のありとあらゆる事件の記事がファイルされてるんだ。今の時代なら最初から電子データ化しちまうところだが、父さんがファイルを作り始めた頃は時代が時代だろ?」
「なるほど……」
感嘆したように呟く光彦に代わり「ねえ、新一お兄さん」と歩美が口を開く。
「コナン君に推理のいろはを教えたのは新一お兄さんなんだよね?」
「ああ」
「コナン君は何歳の頃に新一お兄さんのお弟子さんになったの?」
『お弟子さん』という単語に不機嫌そうに咳払いするコナンに新一は笑いを堪えると「確かコイツが初めて家へ遊びに来た時だったから……四年前くらいかな?」と適当な答えを返した。
「四年前っていうと……3歳!?」
「ああ、それくらいだったと思うぜ」
「あの……」
絶句する歩美に代わり光彦が再び口を開くと真剣な表情で新一を見つめる。
「ボク達、もう7歳なんですけど今からでも間に合うでしょうか?」
「間に合うって……?」
「新一お兄さんもコナン君も物心つく前から探偵になる修行をしてたんですよね?ボク達、活動を始めて間もないんですけど一人前の探偵になれるでしょうか?」
「なれるでしょうかって……」
(おめーら、本気で探偵になる気かよ……?)
どうやらコナンも同じ事を考えているらしく、その目が「どうすんだ?」と言っている。
幼い子供相手にいい加減な答えを返す訳にはいかないが、果たして三人が探偵という職業に向いているかどうか判断出来ず、新一は「その……おめーらまだ小学生だろ?他になりたいものが出て来るかもしれねえし、今からそんなに真剣に考えるなって」と誤魔化すように呟いた。
「それは…そうですが……」
我ながら上手く収めたと内心ホッと息をついたその時、今度は元太が「なあ、新一兄ちゃんぉ」と会話に割り込んで来る。
「何だ?」
「兄ちゃんの顔、よくテレビや新聞で見るから有名になれるのは分かってるけどよ、正直な話、探偵って儲かるのか?」
さすが商売人の息子と感心したのも束の間、「オレ、大金持ちになって世界中のうな重食いたくてさ!」という元太らしい発言に新一は思いっきり脱力してしまった。コナンに至っては呆れ果てて物が言えない様子である。
「その……儲かるかどうかはその探偵の腕次第だろうな。次々事件を解決に導けば嫌でも依頼は増えるだろうし、逆に何の成果も上げなければ収入ゼロって事もありうるしよ」
「へえ……って事はあの毛利のおっちゃんもそこそこ実力あるって事なのか……」
「まあ…そうだろうな」
解決したのはほとんど自分だと明かす訳にもいかず、新一は曖昧な笑みを浮かべると「他に何か聞きたい事はあるか?米花町イレギュラーズ諸君」と自ら話を振った。その言葉に歩美が「あ……」と短い声を上げる。
「その……事件とかそういう事じゃないんだけど……歩美、新一お兄さんにお願いがあって……」
「お願い?」
「うん。新一お兄さん、蘭お姉さんと付き合ってるんでしょ?」
「へ…?」
「……!」
唐突な発言に新一が間抜けな声を上げたのとコナンがビクッとしたように歩美の方へ振り返ったのはほぼ同時だった。
「コナン君にはっきり言ってあげて。『蘭はオレと付き合ってるんだ』って。新一お兄さんは気付いてないかもしれないけど、コナン君も蘭お姉さんの事が好きなんだよ?今のままじゃコナン君が可哀想だよ。それに……」
一瞬、躊躇するように言葉を切る歩美だったが、何かを決意するようにキッと正面から新一を見据えると「コナン君の心がいつまでも蘭お姉さんにあったら歩美、困るもん!」と、きっぱりと言い切った。
「あ、歩美…!?」
「歩美…ちゃん……」
突然飛び出した大胆発言に元太と光彦は唖然として声一つ出ない様子である。
「……モテる男は辛いわね」
クスッと笑う哀にコナンは「うっせーな……」とだけ返すと苦虫を噛み潰したような表情でコーヒーカップを口に運んだ。