賑やかな三人組が帰り、哀が阿笠邸へ戻って行くと工藤邸はすっかり静寂に包まれた。
「……で?どうすんだ?」
玄関で四人を見送り、リビングへ戻るや否や新一から投げられた言葉にコナンが「何の事だ?」と首を傾げる。
「歩美ちゃんの事に決まってるだろ?あれ、告白みたいなもんじゃねーか」
「……告白以外の何物でもねえだろ」
コナンは不機嫌そうに呟くと「さすがにこんな事態は想定してなかったからな……」と、疲れ切ったようにソファに身を沈めた。
『江戸川コナン』が無事『工藤新一』に戻っていたなら歩美の片思いは自然、終わりを迎えているはずだった。が、単に『工藤新一』が戻って来たように見える今の状況では彼女の想いは消えるどころか逆に「コナン君の心を射止めるチャンス!」と、幼い恋心を燃やしているに違いない。
新たな悩みに頭を抱えるコナンに「なあ」と声をかけたのはもう一人の自分だった。
「一つ確認してえんだけどさ」
「何だよ?」
「おめえは……っつーかオレ達は少なくとも歩美の事を悪くは思ってねえよな?」
「そりゃ……いささかマセてはいるが明るくて素直ないい子だと思うぜ?」
「だったらよぉ……」
企むような新一の口調にコナンは嫌な予感を覚えた。
「おめえさ、歩美の事、前向きに考えてみたらどうだ?」
「……そう来ると思ったぜ」
「さすがオレ、話が早いな」
「だったらオレにその気がねえのも分かってるはずなんじゃねえか?」
「けどよぉ、もしオレ達がこのまま『工藤新一』に戻れず『工藤新一』と『江戸川コナン』、二人の人間として生きていかなきゃならねえ場合を考えてみろよ。オレとお前、二人揃って蘭と結ばれる事は絶対ありえないんだぜ?」
「それは……」
「万一『江戸川コナン』に戻っちまったら蘭はオレをそういう対象とは絶対見ねえだろうし……」
「だから歩美をキープしとけって言うのかよ?」
「我ながらなかなかいい案だと思わねえか?」
新一が得意げに呟いたその時、「何が『いい案』よ。都合のいい事言っちゃって……」と、冷や水を浴びせかけるような台詞とともに哀がリビングへ入って来た。
「前にも言ったと思うけど、吉田さんを泣かせたら、私、許さないわよ」
「じょ、冗談だよ。冗談に決まってんだろ?」
「……」
なおも自分に疑いの眼差しを向ける哀に新一は「それより……忘れ物でもしたのか?」と、さっさと話題を摩り替えた。
「違うわよ。今夜はちょっと夕食が遅くなるって伝えに来ただけ。悪く思わないでね、こっちは今から支度に取り掛かるんだから」
「何だかんだ言っておめえもずっとアイツらに捕まってたもんな。何ならオレ達も手伝うぜ?」
「結構よ。かえって遅くなる事くらい火を見るより明らかだもの」
「……」
遠慮ない物言いに絶句しそうになる新一だったが「それはそうと……灰原、明日からはコイツが元太達を連れて来ないようにしっかり見張っててくれよな」と、コナンの頭を小突いた。
「私にそこまであなた達の面倒をみる筋合いはないと思うけど?」
「おめえしかいねえじゃねえか。コイツはオレと蘭の貴重な時間を邪魔する事しか考えてねえんだからよぉ……」
「元はと言えば自分が蒔いた種でしょう?第一、小嶋君達の勢いを止めるなんて絶対無理だって事くらいあなただって分かってるでしょ?」
「それは……」
「さっきこの家を出た後、円谷君が『これから毎日ここへ通って一日も早く遅れを取り戻しましょう!』って小嶋君と吉田さんを誘ってたしね」
「……」
光彦の質問に正直に答えてしまった自分を後悔しても後の祭りで新一はハアと大きな溜息をつくとコナンの隣に並んで腰を下ろした。
「……本当、バカ正直に答えちまったもんだよな。自分の事ながら呆れるぜ」
莫迦にするように呟くコナンを無視すると新一はポケットから携帯を取り出し、蘭にメールを打った。内容は勿論、今日約束を破ってしまった事に対する謝罪である。
「彼女相手だと随分マメなのね」
冷やかすように言う哀を思わず睨んだその時、蘭から返信メールが入った。新一がメールを開こうとした一瞬の隙をついてコナンがその手から携帯を奪い取る。
「何々?『あれだけ音信不通だったんだもん。これっくらい全然気にしてないよ』だってさ。良かったな」
「……って、人のメールを勝手に音読するんじゃねえ!」
「オレにはその権利があると思うぜ?」
「権利って……おめえな、いくら同一人物だからってオレにもプライバシーってもんが……」
「お、何だ?『PS 今度の土曜日二人でトロピカルランドへ遊びに行かない?』か……」
「……ったく、蘭のヤツ相変わらず子供じみた場所が好きだなよな」
「あら、彼女と出掛けるならどこでも嬉しいんじゃなくて?」
からかうように言う哀に新一は顔をしかめるとコナンの手から携帯を取り返し「……じゃ、オレ、夕飯まで部屋で本でも読んでっから」と、さっさとリビングから出て行ってしまった。
「トロピカルランド……か」
新一の姿が消え哀と二人きりになるとコナンが思わず呟く。その何か含みのある言い方に哀が「どうかしたの…?」とコナンを見た。
「蘭なりに気にしてるんだなと思ってさ」
「え…?」
「あの場所は蘭にとって『工藤新一』を失った場所だろ?」
「まあ…そうね」
「きっと蘭のヤツ、アイツとそこへ行く事で『工藤新一』が戻って来た事を確認してえんだろうな」
「ま、彼女らしいと言えばらしいわね。……で?どうするの?」
「あん?」
「また『ボクも行く!』とか言ってしがみつくつもり?」
「バーロー、んな事すっかよ」
コナンは不機嫌そうな表情になると「気にならないと言えば嘘になるが……せっかく帰って来た『工藤新一』とのデートを楽しみにしてる蘭を思うと……な」と、弱々しく微笑んだ。
「江戸川君……」
コナンの寂しそうな横顔に哀が何も言えないでいたその時、バタンという大きな音とともにリビングのドアが乱暴に開くと新一が真っ青な顔で飛び込んで来た。
「工藤君…?」
「おい、今度の土曜は東京から脱出するぞ!おめえらにも付き合ってもらうからな!」
「は…?」
「『脱出』とは物騒ね。どういう事なのか説明してくれない?」
「そんな事どうでもいいだろ?とにかくこの近辺にいる訳にはいかねーんだよ!」
「バーロー、何が悲しくておめえと蘭のデートにオレがついて行かなくちゃいけねーんだよ」
「そんなに暇じゃないんだけど。あなた達を元に戻す研究もしなくちゃいけないし色々忙しいのよ?」
コナンと哀の冷たい態度に一瞬、躊躇するような素振りを見せた新一だったが「……分かったよ、話せばいいんだろ?」と、観念したように事情を話し始めた。



机の上に放り出してあった携帯が着信を知らせたのは新一が自室へ戻り、読みかけの本を手にベッドへ腰掛けたまさにその時だった。
「……はい?」
「工藤か?オレや」
「服部…!?」
「その声やったらどうやら今回は上手ういったみたいやなぁ」
「あ、ああ。まあな……」
「『まあな』やないやろ?その後全く連絡して来ぇへんよって、ひょっとしたらまた失敗したんちゃうか思ぉとなかなか電話出来へんかったんやで?」
平次の言葉に新一は哀から解毒剤が完成した事を聞かされ、やっと元の身体に戻れると連絡して以来すっかり音信不通だった事を思い出す。
「わ…悪ぃ、色々忙しくってさ」
「何が『忙しい』や。どうせ毛利の姉ちゃんと毎日ラブラブでこっちの事なんか忘れとったんやろ?」
「お、おめえどうしてそれを…!?」
「『蘭ちゃんからメールあってな、工藤君が帰って来て告白してくれたんやって!』ちゅうて騒いどるアホがおるから嫌でも分かるよって。しっかし元の身体に戻ってすぐ告白するとは……工藤、お前も隅に置けへんなぁ」
「ハ、ハハ……」
和葉が『工藤新一』の帰りを待ち続ける蘭を心の底から心配していた事は分かっていたが、どうして女という生き物はこの手の話になると情報交換が早いのだろう?新一は改めてそのスピードの恐ろしさを実感せずにはいられなかった。
「……で?姉ちゃんとはどこまで行ったんや?」
「は…?」
「まさか一気に盛り上がって最後まで行ってもうたんやないやろな?」
「……!」
平次の言いたい事をやっと理解し、思わず赤面する新一だったが、ここで相手のペースに巻き込まれてはいけない。電話の向こうの悪友に気取られないよう大きく深呼吸すると「口惜しかったらおめえもさっさと遠山さんに告白するんだな」と、挑発するような言葉を投げた。
「ア、アホ!オレと和葉は別に……!」
「んな余裕な事言ってると後で泣いても知らねえぜ?」
「……」
どうやら自分の方が分が悪いと悟ったのだろう。平次はしばし沈黙を守っていたが「それはそうと……肝心な事忘れとったわ」と、話の矛先を変えた。
「肝心な事?」
「ああ、今度の土曜、おかんの代理でそっち行く事になったんや。せっかくやからお前んとこ寄ろう思っとるんやけど……」
「……!」
呑気に言う平次に新一の顔からサッと血の気が引く。
「わ、悪ぃ、今度の土曜は蘭と遠出する事になっててさ」
「……ほ〜、姉ちゃんとねえ〜」
「な、何だよ?」
「男の友情より女を取るとは……工藤も普通の男やったんやなあ」
「別にそういう訳じゃ……ずっと待たせてた埋め合わせもしなきゃなんねえし、第一、毎度毎度突然言って来るおめえだって悪いんだぜ?」
新一の言い分に平次は「急に決まった話やしなあ……」とブツブツ独り言のように呟くと、「……ま、あの姉ちゃんがどれだけお前の帰りを待っとったかオレも嫌っちゅうほど知っとるしなあ、今回は邪魔せんといてやるわ」と、さっさと通話を切ってしまった。



「……で?西の名探偵さんの訪問を断ったのになぜ東京から脱出しなくちゃいけないのかしら?」
新一の話を一通り聞き終えると哀は合点がいかないと言いたげに腕を組んだ。
「相手はあの服部だぜ?どこでどう鉢合わせするか分かったもんじゃねーだろ!」
「確かに……あなた達二人は不思議な縁で結ばれてるみたいだけど……でも、彼女や江戸川君と私はともかく他の人達はどうするつもり?」
「他の人達…?」
「財閥のお嬢様や小嶋君達もあなた達の事を知っている訳でしょう?」
「……!」
哀に指摘されて初めて気付いたのか、新一はハッとした表情になると頭が痛いと言いたげに額に手を当てた。
「……すっかり忘れてたぜ。学会で出かける博士はともかく園子や元太達は何とかしねえと……おい、おめえも黙ってねえで何か知恵を出せ」
「知恵を出せって……おめえ、何をそんなに焦ってんだ?服部なら事情を話したところでゲラゲラ笑って終わりだと思うぜ?」
「『ゲラゲラ笑って終わり』って……おめえ、何そんな呑気に構えてんだよ?アイツのギリギリトークにまた肝を冷やせってーのか?」
「そりゃ…確かにアイツの口は羽毛より軽いけどよぉ……」
「大体、これ以上アイツに弱味を握られる訳にいかねえだろ?オレが『コナン』だった事だけで充分だっつーのに……」
「……」
「……何だ?」
「いや、何でもねえ……」
一瞬、自分の心を捕らえた妙な違和感は何だったのだろう?
コナンの胸に一抹の不安めいたものが過ぎった。