部活を終えた蘭が図書室に姿を現したのは既に午後5時を回っていた。
「ごめんね、新一。遅くなって……」
「気にすんなよ。オレの方がおめえに用事があって待ってたんだからさ」
「でも…いいの?」
「あん?」
「だって元太君達、新一に探偵のいろはを教えてもらうって張り切ってたじゃない」
「バーロー、ガキの遊びに毎日毎日付き合ってられっかよ。大体、今度の土曜日だって博士がアイツらとの約束を破ったせいでオレ達が代わりに面倒みる羽目になったんだぜ?」
「そうだけど……」
都合が悪くなった阿笠に代わり自分が三人組を遊園地へ連れて行く事になったという新一の作り話を素直な蘭はすっかり信じ込んでいるようである。
「コナンのヤツにも今日は放課後、蘭と打ち合わせして来るから友達を連れて来るなって念押ししてあるしよ。それより……おめえは大丈夫か?今からオレに付き合うんじゃ帰り、遅くなるぜ?」
「それなら平気。今夜はお父さん、友達と麻雀大会だって言ってたから」
「麻雀?……ったく。おっちゃん、おめえと違って弱いくせに相変らず懲りねえよな」
「『おめえと違って』って……新一、私が麻雀に強い事、どうして知ってるの?」
「え?あ……」
(ヤベ、蘭が初めて麻雀経験したのはオレがコナンだった時だっけ……)
すっかり忘れていた事実に新一は「コ、コナンのヤツが言ってたんだよ。『蘭姉ちゃん、麻雀滅茶苦茶強いんだよ』ってさ」と、取り繕うような笑顔を浮かべた。
「コナン君が?」
「あ、ああ。オレがいない間の出来事は逐一報告するよう言っておいたからな。特におめえの事はよ」
「え…?」
「おめえ、気が強いくせに泣き虫だろ?だから色々心配でさ」
「新一……」
今までの蘭だったら「そんな事ないもん!」と反論して来ただろう。が、両想いになり素直に感情を出せるようになったのか、「だって……」と呟くと黙って頬を赤く染めた。
新一はそんな蘭の様子に優しく微笑むと「んじゃ帰るか?」と、読みかけの本を閉じた。



帝丹高校から少し離れた所にある小奇麗な喫茶店。新一がいない間にオープンしたというその店はいかにも女の子が好みそうな内観で、男の新一としては少々居心地が悪かった。唯一の救いはそこそこ飲めるコーヒーだったが、阿笠の家へ出入りする度、哀が淹れる本格的なコーヒーを飲んでいるせいかすっかり舌が肥えてしまったようでどうにも物足りなさを感じてしまう。
「……で?園子は?」
「あ……京極さんの試合の日らしくてね。『こっそり応援に行くからゴメン』だって」
「そっか」
蘭の返事に内心ほくそ笑んだ新一だが勿論そんな素振りは見せない。
「……となるとオレと蘭の二人でガキ五人の面倒をみなきゃいけねえ訳か……頭痛ぇな」
「大丈夫よ。コナン君と哀ちゃんはしっかりしてるし」
「そりゃ…けどよお、トロピカルランドも結構広いぜ?アイツらに好き勝手行動されたらと想像するだけでゾッとしねえか?」
「でも……そんな事言ったらトロピカルマリンランドはもっと広いよ。ミラクルランドだって……」
「ミラクルランド……?」
「あ、そっか。あそこも新一がいない間にオープンしたんだっけ。横浜に出来た新しいテーマパークでね、前にお父さんの仕事の関係で一度だけ行った事があるの。もっとも……その時も事件に巻き込まれて大変だったんだけど」
まさか自分もあの場に居合わせたとは言えず苦笑いを浮かべる事しか出来ずにいた新一だったが、同時にある考えが頭に閃いた。
「なあ、蘭、ミラクルランドにしねえか?」
「え…?」
「オレ、行った事ねえし。おめえも満足に楽しめなかったんだろ?だったらちょうどいいじゃねえか」
「でも……」
「どうした?」
しばし言おうか言うまいか迷っていた様子の蘭だったが、「ううん、何でもない。それじゃ、ミラクルランドで決定ね」と笑顔を見せると紅茶のカップを口に運んだ。



土曜日は素晴らしい快晴で絶好の行楽日和となった。実は車の運転も出来る新一だがさすがに無免許運転をする気にはなれず、小学校の教師よろしく蘭とともにコナン達五人の小学生を引率して電車に乗り込む。
「……おい、一体どこへ行くつもりだよ?」
歩美、元太、光彦が変わり行く車窓の風景を楽しそうに眺めている横でコナンは半目で新一を睨んだ。
「ま、着いてみてのお楽しみさ」
「……」
どこか余裕のある新一の態度が気に食わず、拗ねたように黙り込むコナンに「コナン君にとっては嬉しい場所なんじゃないかな?」と蘭が笑顔を向けた。
「え…?」
「だって前に行った時はほとんど私のお父さんや服部君と行動しててスーパースネークしか乗ってないでしょ?」
「蘭姉ちゃん、ひょっとして今から行く所って……」
「そう、ミラクルランド。今日は一日思いっ切り楽しもうね」
「う、うん……」
思わず頬を赤らめるコナンに今度は新一が顔をしかめた。
列車が横浜に入ったところで探偵団の三人もさすがに気付いたのだろう。
「ねえ新一お兄さん、ひょっとして今から行く所ってミラクルランド?」
目を輝かせる歩美に新一が「ああ」と返すと元太と光彦がワッと騒いだ。
「ミラクルランドって言えばちょうど仮面ヤイバーショウをやっているはずですよ!」
「本当か!?オレ、ヤイバーと一緒に写真撮りてえ!」
「歩美も!」
無邪気に騒ぐ三人組に新一は「そうだな、せっかくのチャンスだもんな」と営業用の笑顔で応えた。その様子を仏頂面で見つめるコナンに哀がさりげなく傍へやって来る。
「面白くなさそうね」
「アイツのあの顔……絶対何か企んでやがる」
「彼はあなたでしょ?何を考えているかなんて簡単に分かるんじゃない?」
「それが分からねえからイライラしてんだろ?」
「ふーん……平成のホームズも案外情けないのね」
「……うっせーな」
益々頬を膨らませるコナンに哀はクスッと悪戯っ子のような笑みを浮かべた。



「うわっ、相変らず混んでるね」
ミラクルランドの正面ゲートまでやって来ると蘭は思わず目を丸くした。
「出来て間もないテーマパークじゃ仕方ねえよ。蘭、オレ、チケット買って来っからさ。コイツらとここで待っててくれねえか?」
「う、うん……」
それだけ言い残してさっさとチケット窓口に向かってしまう新一に蘭は溜息をついた。そんな蘭のジャケットを「ねえ、蘭姉ちゃん」とコナンが引っ張る。
「なあに?コナン君」
「その……ごめんね」
「ごめんって…何の事?」
「蘭姉ちゃん、本当は新一兄ちゃんと二人だけでトロピカルランドへ行きたかったんでしょ?」
「え…?」
「分かるよ。だってあそこは新一兄ちゃんと蘭姉ちゃんにとって特別の場所だし……」
コナンの言葉に蘭は驚いたように顔を赤らめると「……もう!コナン君ったら相変らず変なところおませなんだから!」と、その鼻を軽く抓んだ。
「確かに……新一の鈍感ぶりにムッとしたのは事実だよ。でも、アイツがそういう所に無頓着なのは今に始まった話じゃないし」
「そ、そだね……」
決して誉められている訳ではないし、ましてや『江戸川コナン』として蘭と接していなかったら今でもそんな彼女の繊細な気持ちに気付かなかった事は間違いなく、もう一人の自分を庇う事も出来ない。そんなコナンの複雑な気持ちに気付いているのかいないのか、ふいに蘭が「それにね……正直、ホッとしてもいるんだ」と笑顔を見せた。
「え…?」
「だって……新一に告白されてから学校以外の場所に出掛けるのって初めてじゃない?私、どんな風に新一と接していいか分からなかったし……その点コナン君達が一緒なら私も普段通りの私でいられるから」
「蘭…姉ちゃん……」
自分に心配をかけまいとする蘭にコナンが思わず言葉を失ったその時だった。「待たせたな」という台詞とともに新一が戻って来る。その手に握られた代物にコナンは嫌な予感を覚えずにはいられなかった。
「新一、それ…!」
「せっかく来たんだ。どーせならこのフリーパスIDで思いっ切り遊ぼうぜ」
「でも……高いんでしょ?」
「心配すんなって。それにこれさえあれば……」
ニヤッと笑って五人分のIDを差し出す新一にコナンは「……なるほど?これさえあれば子供だけ別行動させても平気って訳ね」と納得したように呟いた。
「やっとピンと来たか。我ながら鈍いんじゃねえか?コナン君」
「……」
新一は面白くなさそうな表情のコナンにIDを押し付けると「それはそうと……なあ、灰原」と、哀の方に振り返った。
「何?」
「おめえの探偵バッジ貸してくれねえか?コイツと連絡を取るにも場所によっては携帯の電波が届かねえだろうし」
「あら、彼女と過ごす事しか考えていないあなたにそんな機会があるのかしら?」
哀の嫌味に新一は「一応、今日はおめえらの保護者だからな」と肩をすくめると差し出された探偵バッジを受け取った。
「夕方5時30分にここで待ち合わせな。さすがにレストランはガキだけじゃなかなか入れないだろ?んじゃな」
それだけ言うと新一は蘭を伴いさっさとミラクルランドの入園ゲートへ向かってしまう。その様子に「なあ、コナン」と元太が声を掛けて来た。
「あの兄ちゃん、オレ達置いてさっさと行っちまったけど……どうなってんだ?」
「どうなってるも何も……オレ達はオレ達で勝手に遊べって事だろ」
そう言ってヒョイと持ち上げた五人分のIDに光彦が驚いたように目を丸くする。
「それって……前に来た時に貰ったフリーパスIDじゃないですか!」
「まじかよ!?」
「すっごーい!これさえあればアトラクションも食事も全部タダなんだよね?」
「ま、どーせ父さんのカードを使ったんだろうけど……」
「父さんのカード…?」
「あ、ホラ、新一兄ちゃんのお父さん、世界的に有名な小説家だろ?IDの七人分くらい何でもないのかなと思ってさ」
コナンはアハハと笑って誤魔化すと「さ、オレ達も行こうぜ」と、四人を促した。



さすがに看板アトラクションというだけありスーパースネークの前には相変らず長打の列が出来ていた。
「1時間半待ちか……蘭、どうする?」
「ん〜……でも、やっぱりミラクルランドと言えばスーパースネークだし。新一がいなかった間の事とか色々話してれば案外あっという間なんじゃない?」
新一にしてみれば唯一体験したアトラクションだがそれを言う訳にもいかず、心の中で溜息をつくと列の最後尾に並んだ。少しずつでも進んで行けば気も紛れるところだが思った以上になかなか前へ進まない。蘭の話も『江戸川コナン』としてほとんど知っている事ばかりで新一は欠伸を噛み殺すのに必死だった。
そんな調子で30分ほど経過しただろうか?
「ねえ、新一……」
ふいに蘭が元気ない口調で呟くと寂しそうな目で新一を見つめた。
「どうした?蘭」
「その……私と一緒にいて楽しい?」
「あん?」
「だって……新一、さっきからずっと退屈そうなんだもん……」
「バ、バーロー、んな訳ねーだろ?」
「嘘……」
「嘘なんかじゃ……じ、実は昨日の夜、少し無理して学校から補習と称して押し付けられた山のような課題を一気に片付たせいで少し寝不足なんだ。今日は何もかも忘れておめえと楽しみたかったからよ」
「……」
「何だよ?疑ってんのか?」
「そうじゃないけど……帰って来てからの新一、なんだか前と違うような気がして……」
「前と違うって…どこがだよ?」
「そんなの分からないよ。でも……」
「……」
言葉を飲み込む蘭に果たしてどう返したものか迷った新一だったが、
「……もうただの幼馴染って訳じゃねーからだろ?」
照れたように呟くと蘭の手をそっと握る。
「新一……」
その行動が意外だったのか蘭がはにかんだような笑顔を見せる。そんな彼女の様子にホッと胸を撫で下ろした次の瞬間だった。
「工藤やないか…?」
聞き覚えのある声の方向に振り返った新一の顔が一瞬にして引きつった。
「服部…!?」