10



居候していた間の荷物をまとめると、コナンは一人探偵事務所を後にした。
(短い間に本当、色々あったよな……)
ジンにAPTX4869を投与され幼児化したのがつい昨日のようだ。組織を追っている間は果てしなく長く感じられた時間が今は一瞬の出来事のように感じられる。
コナンは思わず立ち止まると探偵事務所の方に振り返った。蘭の事を思うと胸が痛んだが、小五郎の言うとおり蘭には普通の幸せが合っているだろう。
「……じゃあな、蘭」
コナンはフッと微笑むと踵を返し歩き出した。



病室へ入って行くと哀はフサエに手助けしてもらいながら昼食を食べていた。
「あ……」
コナンの姿を見た哀の手が止まる。
「ん?どうした?」
「……分かってへんなあ」
平次がコナンをジトッと見ると、突然頭をはたいた。
「痛ッ!てめえ何しやが……!?」
「哀ちゃん、すまんすまん、コイツが怒鳴ってもうたんは哀ちゃんの事めちゃめちゃ心配したせいなんや。せやろ?コ、コナン君?」
平次に小突かれ、コナンは訳が分からないまま「わ、悪かったな、灰原」と呟いた。
「ま、このとおり反省しとるみたいやし堪忍したってや」
「……」
哀は平次の笑顔にこくっと頷くと再び粥を口に運んだ。
「……工藤、お前この姉ちゃんが目ぇ覚ました時いきなり怒鳴ったやろ?せやから警戒されとるんや」
「……」
平次がニヤニヤ笑って言う。いつもなら反論するところだが今日は平次の言う事がもっともなだけにコナンは黙って平次を睨むしかなかった。
「……ん?何じゃ新一、その荷物は?」
阿笠が戸惑ったようにコナンを見る。
「ああ、博士にはまだ何も言ってなかったな。ちょっといいか?」
哀を平次とフサエに任せるとコナンは阿笠とともに患者用談話室へ向かった。



「……ってな訳でよ」
赤井秀一が哀の兄である事、目暮に自分の正体を明かした事、小五郎が自分の正体を知っていた事、そして蘭に別れを告げた事……この2、3日の間に起こった怒涛のような出来事を阿笠に話すとコナンは一息つくようにコーヒーを口に運んだ。
「そうじゃったのか……」
「悪かったな、博士に何の相談もなく色々進めちまって」
「相談されたところで余裕もなかったじゃろうて」
「確かに、な」
「しかし……どうして蘭君に毛利君や英理さんの事を言わなかったんじゃ?」
「あん?」
「毛利君は君と蘭君の交際を認めなかったんじゃろう。じゃったら君一人が悪者になる事はなかったんじゃないかと思うんじゃが?」
「バーロー、オレに約束破られた上、おっちゃんや妃先生まで知ってて黙ってたなんて知ったらそれこそ蘭のヤツ落ち込んじまうじゃねえか」
「そりゃそうかもしれんが……」
「これでいいのさ、オレが蘭じゃなく灰原を選んだ事に変わりはねえんだからよ」
「新一君……」
「っと、オレはもう『江戸川コナン』だ。さっきみたいに灰原の前で『新一』なんて呼ぶんじゃねえぞ」
「服部にもきつく言わねえとな」と呟くとコナンは残っていたコーヒーを飲み干した。
「で、この先なんだけどよ、江戸川コナンが成長していけば当然工藤新一そっくりになっていく訳で……」
「そりゃまあそうじゃろう」
「さすがに小学校一年生が一人暮らしっていうのもおかしいし、工藤家に居ついた江戸川コナンが工藤新一そっくりにっつうのも……な」
「確かにのう……」
「で……悪ぃけど博士のところに居候させて欲しいんだ。組織の残党が灰原を狙ってくる可能性も否定出来ねえし」
「ふむ……」
阿笠は考え込むように黙り込んでしまった。
見えない敵がいつ襲って来るか分からない状況はさすがの阿笠も快諾してくれないか……とコナンが息をついた時だった。
「同居人が一気に倍となると……部屋をどう使ったらいいんじゃろうかのう?」
「はぁ?」



とりあえず一旦自宅へ帰るという阿笠と別れ、病室へ戻って来ると哀と平次の姿はなくフサエが一人雑誌を読んでいた。
「……あれ?フサエさん、灰原と平次兄ちゃんは?」
「ああ……たった今脳波の検査に行ったわ」
「ふうん……」
そういえば精密検査の日だったな、と思い廊下を見ると私服警官の姿もなかった。
「あら?阿笠君は?」
「何もかも放り出して来ちゃったから一旦家へ帰るって言ってたよ」
「……コナン君、ううん、新一君と言った方がいいのかしら?私の前で子供のフリをする必要はないわ。あなたの事も哀ちゃんの事も阿笠君から聞いたから」
「……そうですか」
コナンはベッドに腰を下ろすとフサエと向かい合った。
「博士と一緒に暮らす事にしたそうですね?」
「ええ……ファッション業界も色々あってね……そろそろ一人で続けていくのも辛いな、って思ってたの。その事を阿笠君に話したら『だったら是非哀君の母親代わりになって一緒に暮らして欲しい』って言われて」
「……ったく、上手い事灰原にかこつけて……」
阿笠が照れながら話を切り出す様子を想像しコナンは思わず苦笑した。
「ただ心配なのは、ボク達を狙って来る敵は見当もつきません。あなたを危険な事に巻き込むかもしれない」
「ありがとう。でも私だってこの業界で生きて来て色んな事があったわ。だからこそ四人で色々乗り越えていくのも悪くないと思うの。その方が一人一人が背負うものも軽くなると思うけど違うかしら?」
フサエはニッコリ微笑んだ。
コナンはそんな彼女の様子に母、有希子とはまた違った強さを感じた。
「お邪魔虫が二人いる新婚生活になりますけど……よろしくお願いします」
「こちらこそ。年のいった母親代わりだけどよろしくね」
コナンとフサエはどちらからともなく手を差し出すと握手を交わした。