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快晴という言葉がぴったり来る朝だった。
「フサエさん、哀君、準備はいいかの?」
コナンは阿笠に続いて病室へ入っていった。ずっとパジャマ姿しか見ていなかった事もあり、若草色のワンピースに身を包んだ哀の姿にコナンは顔を赤らめた。
「コナン君……?」
哀が不思議そうに首を傾げる。
「フフ、この日のために張り切ってデザインした一品物よ。哀ちゃんによく似合ってるでしょ?」
フサエはコナンにニッコリ微笑んでみせると阿笠に取りまとめた荷物を渡した。
「忘れ物はないかの?」
「ええ、大丈夫よ」
「それでは行くとするかのう」
阿笠とフサエが先に立って歩いて行く。コナンは哀の手を取ると二人の後に続いた。
入院してから約一ヶ月半。結局、哀の記憶が戻る事はなかったが、傷が治るにつれ少しずつ元気になっていくのがコナンにとっても阿笠にとっても救いだった。
玄関までやって来ると医師や看護師達が数人列を作っていた。
「哀ちゃん、退院おめでとう」
一人の看護師が哀に花束を差し出す。
「ありがとうございます」
はにかむように微笑むと哀は花束を受け取った。その瞬間、拍手が起こる。
「本当にお世話になりました」
阿笠が嬉しそうに頭を下げる様子に「まるで本当の父親みてえだな」とコナンは苦笑した。



「な……」
退院を明日に控え『返事』を聞きに来た赤井は哀の返答に何も言葉が出て来ない様子だった。
「ごめんなさい。『一緒に暮らさないか』って言ってくれたのはとても嬉しかった……でも……」
躊躇うように言葉を切った哀に「哀ちゃん」とフサエが優しく声をかける。
「この一ヶ月くらい随分悩んだわ。でも……私、少しでも自分の過去を知っている人達の近くにいたいの。博士やコナン君、歩美ちゃん達のそばに。自分の過去から……に、逃げたくないから……」
「どんな辛い過去でもか?」
「……ええ」
哀の様子に赤井はフッと苦笑すると「誰かさんの影響ってやつかな?」とコナンを見た。
「気が変わったらいつでも連絡して来い」
赤井は哀の頭を優しく撫でると病室を後にした。
「な……!?」
コナンは慌てて彼の後を追った。
「ちょっと待ってくれ!」
「なんだ?」
「いいのかよ、こんなあっさり……」
「志保の意思だ」
「……」
「どうした?あいつの意思を尊重しろと言ったのはお前だろう?」
「そりゃ……けどよ、あんたが灰原をアメリカへ連れて行こうと思ったのはその方が安全だからじゃねえのか?」
「証人保護プログラムを申請して知り合いに預ける準備をしていたのは事実だ」
「だったらどうして……!?」
「もう一度聞く。お前に志保が守れるのか?」
「それは……」
「どうした?」
「……守りたいと思ってるに決まってるだろ。ただ……『守ってみせる』とは……」
「そこまで自信過剰にはなれない……か」
赤井は苦笑すると「悪いが続きは場所を変えさせてくれ。煙草が吸いたいんでな」とだけ言うと、さっさと歩き出してしまった。
「……」
コナンは黙って赤井の後に続いた。



中庭のベンチに腰を下ろすと赤井はライターで煙草に火をつけ、気持ちよさそうに煙を燻らせた。
「……どうした?煙草苦手か?」
「いや……父さんがヘビースモーカーだから……」
「工藤優作か。そういえばインターポールの線はどうだったんだ?」
「問い合わせてくれたがそっちの線はないそうだ」
「そうか……」
赤井の表情が険しくなる。
「あのジンって奴を殺した犯人は俺達の捜査線上にも未だに浮かんでいないんでな、期待していたんだが……」
「こんな状況で本当に灰原をアメリカへ連れて行かないつもりか?」
「お前が『守ってみせる』なんてぬかしやがったら強引にでも連れて行くつもりだったさ」
「え…?」
「自信過剰で向こう見ずなままのお前だったら志保を預ける訳にはいかなかったが……どうやら少しは成長したみたいだからな」
「……」
赤井の意味深な笑みにコナンは言葉を失った。
「俺だって100パーセント自信があってFBIの捜査官なんてやっている訳じゃない。実際やばかった事件もあるしな。ボスに言わせれば今こうして俺が生きている事の方が不思議だそうだ」
「……何が言いたいんだ?」
「何があっても志保と共に絶対生き抜いてみせる……これなら俺に約束出来るか?」
「共に……か」
コナンはフッと笑った。
「そこまでは断言出来ねえが……灰原をオレより先には逝かせねえ。絶対……!」
「そうか……」
赤井は吸っていたタバコを灰皿へ押し付けると懐から一枚のメモを取り出した。
「FBI本部にある俺宛のメールアドレスだ。何かあったら知らせろ」
コナンは黙って頷くと赤井の手からメモを受け取った。
「じゃあな、名探偵」
コナンの頭をポンッと叩くと赤井は身を翻し去って行った。



「着いたぞ、哀君」
自宅の玄関前に愛車のビートルを横付けすると阿笠は哀に声をかけた。
「あ……」
病院からずっと黙って車窓を見つめていた哀はハッと我に返ったように阿笠を見る。
「ここが……私の……?」
「君の家じゃよ」
「今までは博士と二人暮らしだったけどな。今日からフサエさんとオレも同居人だ。よろしくな、哀」
「……」
コナンの言葉に哀は何も答えず黙って車を降りて行った。
「哀……?」
「私の……名前……」
哀の目は阿笠邸入口の表札を捉えていた。真新しい表札には『阿笠博士、フサエ・C・木之下、江戸川コナン、灰原哀』と四人の名前が刻まれている。
「一家四人で全員名字が違うのも珍しいがのう」
苦笑する阿笠にコナンが口を開きかけたその時、携帯の着信音が鳴った。
「……?」
新着メールの差出人は大阪へ戻った平次だった。
<いよいよ新生活が始まんねんな。小っさい姉ちゃんとひとつ屋根の下やから云うて鼻の下伸ばしとったらあかんで。何ぞあったらすぐに連絡しいや>
(誰が鼻の下伸ばすってんだよ……)
コナンが思わず苦笑した時だった。
「よお!」
「哀ちゃん!」
「退院おめでとうございます!」
少年探偵団の三人が走って来た。どうやら登校途中に立ち寄ったようだ。
「ねえ哀ちゃん、いつから学校来れるの?」
「え…?」
「そうだな、来週からか?」
哀に代わってコナンが答えると歩美は嬉しそうに彼女の傍へ駆け寄った。
(いよいよ……だな)
見えない敵を相手に戦う日々が始まる。戸惑った様子で歩美の相手をする哀にコナンは改めて気を引き締めた。



小学生編完