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「ゲームセット!ゲーム・アンド・マッチ・ウォン・バイ吉田!!」
審判が声高らかに自分の勝利を告げた瞬間、吉田歩美は思わず「やった!」と飛び上がった。同時に観客席に目を向ける。遠くからでも一目で分かる赤みがかった茶髪に色白の美少女。幼馴染であり歩美の親友でもある灰原哀が小さく手を振っている。その横には同じく幼馴染の江戸川コナン、小嶋元太、円谷光彦の姿が見えた。
「やったな、歩美!」
「おめでとうございます!」
元太と光彦のはしゃぎぶりにコナンは呆れ顔だ。
嬉しさのあまり四人の方へ思わず駆け寄りそうになった歩美だったが手にしたラケットにハッと我に返った。
「いっけない…!」
慌ててネット際まで走って行く。格下の歩美に負けた対戦相手は明らかにがっくりした様子だ。
(ごめんね。でも私、この試合、絶対負けられなかったから……)
歩美は心の中で呟くと彼女の心中に気付かないふりをして握手を交わした。



「これでボク達五人全員、米花総合学園への進学が決まりましたね」
試合場からの帰り道、光彦が嬉しそうに口を開いた。
「チェッ、学校推薦でお気楽に進学決めたお前や灰原と一緒にすんなよな」
元太が面白くなさそうな顔で光彦を睨む。
「まあいいじゃありませんか。コナン君はサッカー、元太君は柔道、歩美ちゃんはテニスという特技があるんですから」
「そりゃ…コナンはもうJリーグに目ぇつけられてるくらいだけどよ、オレと歩美は苦労したんだぜ?」
「でもまさか哀が米花総合学園に進むとは思わなかったから驚いちゃった。てっきり帝丹高校へ進むと思ってたもん」
歩美は一歩後ろを歩く哀の方に振り返った。
帝丹高校は都内でも歴史ある有数の進学校である。帝丹中学校首席の哀がいくらレベルが高いとはいえ新設校である米花総合学園に進むと聞いた時は歩美は勿論、担任の教師も相当驚いていた。
「それは……」
「分かってるって。『居候の私が博士にあまり世話になる訳にはいかないわ』でしょ?『でもそれは博士には内緒……言ったら悲しむから』」
「歩美ったら……」
哀は自分の口調を真似する親友に苦笑した。
米花総合学園は哀に対し特待生として迎えたいと授業料全額免除を申し入れて来たのである。阿笠邸にはもう一人居候がいる事もあり、哀は保護者である阿笠に相談する事なく米花総合学園への進学を決めた。
一方、光彦も学校推薦による米花総合学園への進学を早々に決めていた。大学のように自分の好きな科目に集中して取り組める米花総合学園のカリキュラムは文系の科目にはあまり興味ない光彦には魅力的だったのである。
そんな二人に続くかのようにコナンがスポーツ特待生として米花総合学園への進学を決めた。哀や光彦のように常に成績上位にいた訳ではなかったがサッカーの実力が買われたのだ。
こうなると元太と歩美も黙っていない。さすがに一般受験では合格の見込みがないという事でそれぞれ得意のスポーツ受験枠で挑む事となった。元太は一昨日の試合で優勝し、歩美は今日の試合に勝ちやっと入学が決定したのである。
「今日の試合に勝てたのは哀のおかげ。本当、感謝してるよ」
「大袈裟ね」
「まさかフォームから変えろって言われるとは思ってなかったけど。でもあそこまでライジング・ショットが打てるようになったのは哀のアドバイスのおかげだもん」
「私は歩美のフォームを分析しただけ。努力したのはあなた自身よ」
哀が静かに言うと歩美は照れたように微笑んだ。
「でも今日の試合、勝てて良かったぁ。レベルもだけど米花総合学園の授業料って半端なく高いし」
スポーツ受験枠の生徒は授業料が半額に免除される。大会などで優勝すれば十分学園に貢献する事になるからだ。
「まあこれだけの施設を備えていては仕方ないかもしれませんけどね」
光彦が持っていたセカンドバックからパンフレットを取り出した。
「確かに最新設備だよな」
「教員も有名な方が多いですよ。それに部活動の指導も元プロの選手とかゴロゴロいます」
「へえ……あのヒデもコーチで来るんだ。凄いね、コナン君」
「そう…だな」
それまで黙って四人の会話に耳を傾けていたコナンは関心なさそうに呟いた。
「あら、『ヒデがコーチなら行ってもいいかな』な〜んて言ってたのは誰だったかしら?」
哀がクスッと笑うとコナンは「うっせーな」と顔をしかめた。
「……」
コナンと哀の会話に歩美は苦笑した。
コナンは歩美の初恋の人だった。小学校三年生の時、歩美は思い切ってコナンに想いを打ち明けたのだが「他に好きな子がいるから」とあっさり断られてしまった。その相手が哀である事を何となく感じるようになったのはいつだったのかはっきりとは思い出せない。しかし、今、こうしてコナンと哀が歩美の傍で仲良く会話を交わしていても胸が痛む事もなくなった。
(もうすぐ高校生か……早いなあ)
そんな感慨にふけった瞬間、歩美はハッとした。
「そういえば……蘭お姉さんの結婚式って今度の土曜日だったっけ!?」
「そうよ」
「ごめん、今日の試合の事で頭一杯で……プレゼントの事すっかり忘れてた…!」
「やっぱり……」
哀がハーッと溜息をつくと携帯を取り出す。
「私の方でいくつか候補を絞っておいたから。どれにするかは歩美が決めて」
新婚カップルに喜ばれそうなペアのマグカップやスリッパといった物の画像が何点か撮られていた。しっかり者の哀らしく値段もきちんと分かるようになっている。
「あ!これ!このフォトスタンド可愛い!」
「ちょっと高いけどね。なかなか自分じゃ買わない物だからいいかなと思って」
「五千円なら悪くないよ。ねえ、哀、明日一緒に買いに行かない?」
思い立ったが吉日というところは昔から変わらない。そんな歩美に哀は「じゃ、式の前にね」と肩をすくめた。
いつの間にか五人はいつもの場所に立っていた。ここでコナンと哀、歩美と元太と光彦は小学生の頃からそれぞれが帰る家の方向へと別れている。
「……んじゃ明日な。哀、帰るぞ」
コナンがぶっきらぼうに言うとクルッと背を向ける。
「え、ええ……」
哀は歩美達に小さく手を振ると彼の後を追った。



「……いよいよ今度の土曜日か。時の流れは早いのお」
阿笠がキッチンからコーヒーを持って来ると呟いた。
「博士、哀は?」
「哀君ならわしとフサエさんの部屋じゃ。どうやらまた新しいデザインに意見を求められておるようじゃの」
「そっか……」
コナンはフッと微笑むと手にした封筒に目を落とした。『江戸川コナン様』と書かれたその封筒の中身は新出智明と毛利蘭の結婚式の招待状だ。
「わしとフサエさんには連名で来たんじゃが……」
「そりゃそうさ、オレと哀を呼ぶのは随分迷っただろうからな」
「それは……」
阿笠はコナンの台詞に言葉を失った。
「ま、『江戸川コナン』としてはかつて弟のように可愛がってくれた蘭姉ちゃんの結婚式に出席しない訳にはいかねえだろ?」
「そうじゃな……いい天気になるといいのう」
コナンの複雑な思いを察するように阿笠はそれ以上何も言わなかった。