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小学生から中学生になる時に比べ制服という物を三年間着ていたせいもあり、進学するという意識は薄かった。しかしいざ入学式当日になり、真新しい制服に腕を通すと高校生になったという実感が沸いてくるから不思議なものである。
哀はフサエが用意してくれた米花総合学園の制服に身を包むと鏡に自分の姿を映してみた。フサエによってデザインされた制服は英国を思わせるハイセンスなデザインだが、学生らしいファッション性と機能性、耐久性も重視されたもので、少々値段は張るものの三年間通して着用出来る事を考えればコスト的には良心的と言えるだろう。
「この制服が着たくて米花総合受験する子もいるって歩美が言ってたけど……まんざら嘘でもなさそうね」
意識した事はないがフサエと共に暮らし、彼女の参考商品を手にする機会が多い哀の方が『特別な存在』なのだろう。リーズナブルな商品もあるとは言え日本人のフサエ・ブランドに対する意識は『高嶺の花』というのが正直なところであり、新設校の制服に彼女のデザインが採用されたと決まった時はちょっとした騒ぎになったものだ。
ブラウスの襟を直すと鞄の中の荷物を確認し、哀は地下の自室を出て階段を上がっていった。フサエがキッチンで朝食の準備をしている。
「おはよう、フサエさん」
「おはよう、哀ちゃん」
「博士、おはよう」
「おお!哀君、良く似合っておるのう!!」
哀の姿を見ると、リビングでテレビを見ていた阿笠もキッチンへやって来た。
「博士ったら……」
哀は思わず苦笑した。それもそのはず、フサエが米花総合学園の制服をデザインする際モデルにしたのは誰あろうコナンと哀だったのだから。
「あら、コナン君は?」
「まだ部屋じゃよ。どうせ推理小説でも読んでおるんじゃろう」
「……でしょうね」
「そろそろ朝食じゃ。呼んで来てくれんかの」
阿笠の言葉に哀は「ええ」と頷くと再び階段を降りて行った。地下には部屋が三つありすべてプライベートルームになっている。踊り場に近い方からコナン、哀、阿笠とフサエの部屋だ。
「コナン君?」
ノックしても部屋の主からの返事はない。
「……入るわよ」
ドアを開けた瞬間、哀の目にコナンが焦ってパソコンのウィンドウを最小化するのが映った。
「哀っ!?…ったく、脅かすなよ」
「ノックしたけど返事がなかったから仕方ないでしょ?それとも見られて困るものでも見ていたのかしら?」
「見られて困るものって何だよ?」
「さあ……ま、私には興味ないものでしょうけど」
「大体、お前無用心じゃねーか?年頃の女なんだからよ、いくら同居人だからって少しは……」
「あなたに女を襲う度胸があるとは思えないけど?」
「……うっせーな」
「それより入学式早々遅刻する気?」
「遅刻って…ヤベッ、もうこんな時間かよ!?」
「時間ぐらい気をつけて行動してよね。朝食抜きなんて言ったら博士が怒るわよ?」
「先に食ってろよ、すぐ行くから」
「はいはい」
哀が部屋を出て行くとコナンはハーッと息をついた。ウィンドウを元のサイズに戻すとメールの続きを書き始める。メールの宛先はFBI捜査官であり哀の兄にあたる赤井秀一だった。『何かあったら知らせろ』というのが捨て台詞だったが、コナンは彼に定期的にメールを送っている。赤井が哀の実兄である以上、彼女の近況やこちらの様子が気にならないはずはない。それにFBIの最前線で動いている赤井と常に連絡を取っていた方が何かと都合がいいという思惑もあった。赤井の方もやはり妹の様子が分かるのは嬉しいのだろう。三通か四通に一通くらいは返信が来ていた。
そんな調子でコナンと赤井のメールのやりとりはもう八年続いている。幸いこの八年間、コナンや哀が襲われるような事件が起きる事はなかった。そして哀もあの事件以前の記憶を失ったままコナンとともに成長して来たのである。
「……そうだ、この前撮った写真でも送ってやるか」
米花総合学園の制服を試着した時に撮った写真を添付するとコナンはメールを送信し、パソコンをシャットダウンした。



「コナン君、哀、おはよう!」
米花総合学園の正門が見えるところまでやって来たコナンと哀は早速元気のいい声に捉まった。
「よお」
「おはよう、歩美」
「良かった、合流出来て。周りを見ても知らない人ばっかりで困ってたの」
「あなたらしくない事言うのね」
「だって……」
歩美が萎縮するのも無理はない。米花総合学園に集まった生徒は哀のような学校推薦、コナンのようなスポーツ特待生が全体の40パーセントを占めている。数字が高い理由はこの学校が都内だけではなく、日本全国から生徒を集めているからだ。そして5パーセントが歩美達のようなスポーツ受験枠、残りの55パーセントが一般受験枠だった。一般受験枠のレベルもかなり高く、そのほとんどが学校推薦に洩れた生徒達で占められていた。学校推薦は各中学校から二名までと決められているためハイレベルな中学に通う生徒ほど狭き門となっているのが現実だった。
受験をくぐり抜け、更に高額な授業料を納付しなければならないにも拘らずこの学校への進学希望者はかなりの数に上った。それは高校としては全く新しい学習スタイルを導入し、更に日本はおろか世界中から有名な講師を招いているからに他ならない。おまけに新設校だけあって最新の施設が整っている。
(特待生扱いじゃなかったら絶対選ばなかったわね……)
哀は周りの生徒達を見ると思わず苦笑した。
「おーい!コナン、灰原!」
聞き慣れた声にその方角を見ると元太が手を振っている。その横には光彦もいた。
「クラス分け見たか?」
「いや、今来たばかりだからな」
「コナンと歩美と灰原はA組、オレと光彦はC組だってよ」
「どうやら学校推薦の灰原さんとボク、スポーツ受験枠の歩美ちゃんと元太君はクラスが分けられるように最初から決まってたみたいですね。他の学校から来た子達も見事に分けられていますから」
「オレは適当って訳か」
コナンが苦笑すると「そ、そんなつもりで言ったんじゃ……」と光彦が慌てて首を振る。
「コナン君ったら。光彦君を困らせちゃ駄目じゃない。クラス分けなんてこの学校じゃあくまで便宜的なものなんだから」
「は、灰原さんが言うとおりですよ。基礎科目以外はほとんど大学みたいなシステムなんです。クラスなんて関係ないですよ」
「バーロー、冗談だよ。それよりそろそろ移動しないとやばいんじゃねえか?」
「えっと……講堂はあっちみたい。行こっ!」
そう言って身を翻した歩美は誰かと思いっ切りぶつかってしまった。
「キャッ…!!」
「……っと」
倒れそうになった歩美の腕をその少年が掴む。
「大丈夫か?」
「ごめんなさい、私……」
「いや、ボーッと突っ立ってたオレの方こそ……悪かったな」
ぶっきらぼうにそれだけ言うと少年はさっさと立ち去ってしまう。
「……本当、相変わらずおっちょこちょいなんだから」
「えへへ。ねえ哀、それより今の男の子かっこよくなかった?」
「真面目そうな人だったわね」
「何組なんだろう?あ〜、名前聞いておけば良かった!」
「歩美ったら……」
親友の無邪気な笑顔に思わず苦笑した哀だったが、同時にコナンの表情が険しい事に気付いた。
「……コナン君?どうしたの?」
「え?あ、大した事じゃねーよ。それより行こうぜ」
コナンは明らかに緊張していたが、彼が何も言わない以上聞いても無駄だった。哀は「そう」とだけ呟くと講堂へ足を向けた。