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「……!!」
『身体が勝手に反応する』とはこういう事をいうのだろう。
一瞬、何が起きたか分からずにいた哀だったが、無意識のうちに全身を固くするとコナンを突き飛ばしていた。が、女の力が男の力にかなう筈もなく、逆にそのままベッドに押し倒されてしまう。唇は開放されたものの哀の身体はコナンの身体で覆われ、完全に自由を奪われてしまった。
「コ…ナン……君……」
「どうした?オレの事が知りてえんじゃなかったのか?」
コナンが皮肉めいた笑みを浮かべると哀の瞳を見つめる。食い入るような視線に囚われた瞬間、恐怖が哀の全身を支配し、金縛りにあったように動けなくなってしまった。声を出す事すらままならない。
(私……一体どうしちゃったの……?)
自身をどちらかと言えば冷静な方だと分析している哀はこの程度の事で激しく動揺してしまった自分に戸惑い、思考が全く回らない状態に陥ってしまった。そんな哀の様子に気付いているのかいないのか、コナンの唇が哀の首筋から鎖骨へとゆっくり下りて行く。
(イヤ……こんなの……いやあ……)
心の中の叫びが聞こえるはずもなく、哀の身体の至る所にコナンの手が伸びて行った。
「あ……」
思わず洩れる自分の喘ぎ声に羞恥心が煽られ身体の芯がカッと熱くなる。が、その熱がパニック状態だった彼女に何とかこの状態から逃れようという意思を取り戻させた。
「クッ…!」
歯を食いしばり、自分の身体を這うコナンの手を振り払おうともがいた時だった。
「……哀君、コナン君は帰って来たかのう?」
「……博士?」
思わぬ人物の帰宅にコナンの手が止まる。哀は自分の身体を押さえつけていた力が弱まるのを感じ、ありったけの力でコナンの身体に体当たりするとドアを開け部屋を飛び出した。
「あ、哀君!?どうしたんじゃ!?」
阿笠が驚いて哀の身体を受け止める。しかし哀の方は阿笠とまともに顔を合わせられる精神状態ではなかった。
「……何でもないから」
目を逸らせたまま一言そう呟くと隣の自室へと駆け込む。真っ暗な部屋で一人になった途端、涙が彼女の頬を伝った……



「これ、新一!一体何があったんじゃ!?」
有無を言わせない勢いでそのまま部屋の中へドカドカ入って来ると阿笠がコナンに詰め寄って来た。
「博士、今夜は帰らないんじゃなかったのか?」
「誤魔化すでない!哀君に…哀君に一体何をしたんじゃ!?返事によってはいくら新一君でも許さんぞ!!」
「ったく、哀の事になると……」
コナンは思わず苦笑した。阿笠が未だにコナンの事を『新一』と呼ぶのは本気で怒っている時か心配している時だけだ。もっとも当の阿笠自身はその事に気付いていない。
「襲った…って事になるんだろうな」
「何じゃと!?」
「落ち着けよ、本気で襲う気はなかったんだからよ。正確に言えば『襲う振りをした』ってところか?」
「……どういう意味じゃ?」
「アイツと……少し距離を置いた方がいいんじゃねえかと思ってさ」
「距離?」
「ああ、哀に問い詰められちまってな。オレの夢は本当にJリーガーになる事なのかとか、学校抜け出して何してるんだとか」
「何と…!」
「オレ自身、いつかはこんな時が来るんじゃねえかと思ってはいたが……普通の女の子としてもう何年も生活してるっていうのに鋭いところは変わらねえみたいだな」
「そうじゃったか……」
「だからこれ以上オレの事を詮索されねえように一線引いた方がいいんじゃねえかと思ってさ。記憶が戻ったなら何の問題もねえが、今のアイツに全てを話し、受け止めさせるのはあまりに酷だ」
「確かに君の言う事はもっともじゃが……今後どう誤魔化すつもりじゃ?」
「利口なアイツの事だ。真正面から聞いてくる事は二度とねえと思うぜ?幸い高校進学してから別行動も多くなった事だし何とかなるだろ」
「何とかって……」
「それに……アイツと距離を置くのは半分はオレ自身のためでもあるんだ」
「君の…?」
「博士、オレだって男だぜ?好きな女と一つ屋根の下に暮らしていて、そいつがどんどん綺麗になっていくのを見てたら……欲しくなっちまうじゃねえか。記憶がなくてもオレの事をそういう対象として見てくれているなら話は別だが、残念ながらアイツにとってオレはただの同居人みてえだしな」
「新一君……」
「しかし……分からねえな。アイツだったら『こういう意味じゃないんだけど』とか言ってオレを軽くあしらうと思ってたんだけどよ」
「そりゃ襲われたらいくら哀君でも……」
「けどよ、あんなに怯えるなんて……大体、アイツ、組織にいた時……」
コナンは思わず言葉を濁した。昔の事と割り切っているとはいえ『ジンと関係があった』と自分の口から言えるほど大人にはなり切れていないようだ。
「……何じゃ?」
「あ……何でもねえよ。それより博士、今日は泊まりじゃなかったのか?」
「君が帰って来なかったもんじゃからやはり心配でのう。フサエさんもおらんし戻る事にしたんじゃ」
「そっか」
相変わらず心配性の阿笠にコナンは思わず「禿げるぞ」と呟いた。



「……そうか。川上の始末は上手くいったか」
その人物は満足気に微笑んだ。
「データも回収出来たようだな。御苦労」
「しかし……また振り出しに戻ってしまいましたが……」
「いや、その心配はない。むしろこれ以上無駄金を遣う必要がなくなったようだ」
「……と申されますと?」
「この二人を調べてくれないか?」
部下と思われる人物に二枚の写真が渡される。
「私の計算に間違いがなければその二人は約十年前失踪した工藤新一と宮野志保のはずだ」
「何ですと?」
「フフフ……私は運がいい」
唇の端に不敵な笑みが浮かぶ。
「早速捕まるとはな……シェリー」



弓を放れた哀の矢は的を射るどころかとんでもない方向へ飛んで行ってしまった。
「……今日は調子が悪いみたいだね」
主将の村主浩平が心配そうに声をかけて来る。
翌日。さすがにコナンと一緒に登校する事は出来なかったものの、阿笠に車で送ってもらい何とか学校には登校した哀だったが、授業を聞いていてもうわの空という状態だった。コナンを意識しまいとすればするほど昨夜の事が鮮明に蘇り、彼女の心を掻き乱した。
長かった一日の授業が終わり、部活へとやって来たもののそう簡単に頭を切り替えられるほど器用であるはずもない。
「灰原さん、何か悩み事でも?」
「べ、別に……」
「無理しなくていいよ。矢は正直だからね」
「……」
「今日はもう帰った方がいい。無理に続けても疲れるだけだから。柚木先生、いいですよね?」
「やる気のない奴には帰ってもらった方がいいだろう。他の部員の士気のためにもな」
冷めた口調で言い放つ杏香に「……すみません」と頭を下げると哀は弓道場を後にした。
制服に着替え更衣室を出た時だった。
「哀」
聞き慣れた声に呼び止められ、驚いて振り向くと制服姿の歩美が立っている。
「歩美?テニス部は?」
「さすがに2日連続は迷ったけど……さぼっちゃった」
ぺロッと舌を出すとおどけたように笑ってみせる。
「ダメじゃない、歩美はスポーツ受験枠で入学したんだから……」
「分かってるけど……でも、今日の哀、ずっと様子がおかしかったから……ここで待ち伏せすれば絶対捕まえられるって踏んだのは正解だったみたいだね」
「歩美……」
「ねえ哀、コナン君と何かあったんじゃない?」
「えっ…?」
「分かるよ、二人を見てれば。何年付き合ってると思ってるの?」
「……」
「私じゃ役不足かな?」
「そんな事……」
しかし、いつ誰が来るか分からない状況で話せる内容ではない。
言い淀む哀の様子に何かを察したのだろう。「場所、変えようか?」と言うと歩美はニッコリ笑ってさっさと先に歩き出してしまった。