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歩美に誘われ、足を向けたのは中学時代から相談事があると立ち寄っていた喫茶店ではなく、彼女の自宅がある高層マンションだった。
「あ、遠慮なく上がって。お父さんもお母さんも今日は帰り遅いから」
昔から意外と勘が鋭い歩美の事だ。おそらく話の内容が単純ではない事を察し公衆の場所は避けたのだろう。
哀を客間に通すと「ちょっと着替えてくるから座って待ってて」と言い残し、自室へ向かってしまった。促されるままソファに座った哀だったが、落ち着くことも出来ず再び立ち上がるとベランダへ出て目の前に広がる景色をぼんやりと見つめた。心地よい春風に彼女の赤みがかった茶色の髪がフワッとたなびく。
「ごめんね、お待たせ」
十分くらい経っただろうか。お盆の上にティーセットとお菓子を乗せ歩美が戻って来た。その声に哀も客間へ戻る。
「……いい眺めね」
「米花アクアマリーナから米花総合まで見渡せるの。爽快でしょ?」
『米花アクアマリーナ』とは約一年前、米花港の旧コンテナ街を再開発して作られた米花町の新しいプレイスポットだ。お洒落なショップや飲食店が多く週末はカップルのデートコースになっている。
「そういえば……受験があったからアクアマリーナにもしばらく行ってないね」
「そうね」
「ね、明後日の土曜久しぶりに行こうか?コナン君の誕生日も近いしプレゼントの下見も兼ねてどう?」
歩美の口からコナンの名前が出た瞬間、哀の脳裏に昨夜の出来事が鮮明に蘇る。
「それは……」
言葉を失ってしまった哀に歩美は思わず微笑んだ。
「哀ったら……普段はクールなくせにコナン君が絡むと純情なんだから。一体何があったの?」
ずばり本題に切り込んで来るところは幼い頃から相変わらずだ。そんな親友に哀は苦笑した。
「……博士やフサエさんには絶対内緒にしてくれる?心配かけたくないから」
「もちろん!話の内容によっては元太君や光彦君にも言わないから安心して」
「ありがとう……」
歩美の真剣な眼差しに哀は重い口を開いた。
「実は……コナン君の事でずっと気になってる事があって……」



「……服部?」
コナンの携帯に着信が入ったのは練習を終え、更衣室で着替えをしていた時だった。
「何かあったのか?」
「ああ、ちょっと気になる事があってな」
「持って回った言い方するなよ。事件の事で何か分かったんだろ?」
「ま、そんなところや。被害者が何の研究しとったか調べるために学生時代まで遡って色々調べとったんやけど……どうやらあの川上っちゅう教授、宮野厚司のゼミに在籍しとったらしいんや」
「何だって!?」
「宮野厚司って確かあの姉ちゃんの親父さんの名前やろ?もしかして何か関係あるんちゃうか思うて念のため連絡したんやけど……」
「……遂に動き出したか」
「工藤?」
「服部、川上教授が研究していたのはAPTX4869のデータだ」
「何やて!?」
「おそらく……組織の残党が大金を積んで川上教授にあの時消えたデータの研究を依頼したってところだな」
「確かに筋は通るが……せやけど何でそないに断定出来るんや?」
「Shelling"Ford"……」
「何や?」
「古橋って教授が言ってたのさ。川上教授の研究課題は自動車メーカーみたいな名前だったってな。『Shellingford』の『ford』は『フォー』としか発音されねえが、川上教授がいわゆるジャパニーズ・イングリッシュで発音していたとしたら『フォード』だろ?APTX4869の名前は警察に洩れちまってるから別名で呼んでいたんだろう」
「『出来損ないの名探偵』……ちゅう訳か」
「服部、オレは念のため哀の保護に回る。悪いが捜査が進展したら教えてくれ」
「まかしとき。工藤、お前も気ぃつけるんやで」
「ああ」
平次との通話を切ると追跡メガネの電源を入れる。
(歩美の家か……)
発信機の位置を確認するとコナンは急いで着替えを終え更衣室を飛び出した。



「……なるほどね」
哀の話に黙って耳を傾けていた歩美はすっかり冷めてしまった紅茶を口に運ぶと呟いた。
「確かに……哀が言うようにコナン君ってみんなが盛り上がってるのに他所事考えてたり、授業抜け出してどっか行っちゃったり、Jリーガーになりたいって言ってる割に部活の練習さぼったり……謎な所多いよね」
「テストもね、わざと手を抜いてると思う……」
「え?」
「一問目が基本で二問目は応用って問題、よくあるでしょ?」
「あ、うん」
「コナン君のテスト用紙、一問目は白紙なのに二問目は完璧な回答が書いてあったりするの」
「へえ、それは気付かなかった」
「どうして……なのかしら?」
哀の問いかけにしばらく考え込んでいた歩美だったが、「う〜ん、やっぱコナン君、探偵になりたいのかなあ……」と呟いた。
「どういう事?」
突然、親友の口から出た『探偵』という言葉が理解出来ず哀は首を傾げた。
「えっと……昔、私達5人が『少年探偵団』を気取ってた事は知ってるよね?」
「え、ええ……」
哀の記憶にはないが自分もその一員だった事は聞かされている。
「リーダーは元太君だったんだけど実際に事件を解いてたのはコナン君だったの。最初はふてくされてるくせに最後はいっつも自分が一番夢中になっちゃってね」
当時の事を思い出したのだろう。歩美はおもしろそうに微笑んだ。
「哀が襲われて探偵団は強制解散させられたんだけど……高木警部がわざわざ覆面パトカーで迎えに来てるとなると、コナン君、私達には内緒で相変わらず事件に首突っ込んでるのかも。高木警部も昔からコナン君には一目置いてたし。そう考えればコナン君が時々学校抜け出すのもサッカーにいまいち熱心じゃないのも納得出来ない?」
「……」
「哀?」
「それなら……どうしてはっきり言ってくれないのかしら?あんな強引な事してまで誤魔化すなんて……」
「強引な事?」
「あ……」
しまったと気付いてももう遅い。
「実は……昨日、思い切ってコナン君に直接聞いてみたの。そうしたら……その……突然キスされて……」
「へっ?」
歩美が驚いたように哀を見る。
「キスって……哀とコナン君、とっくにそういう仲じゃなかったの?」
「そういう仲って……」
顔を真っ赤にする哀とは対照的に歩美の方は呆れた様子だ。
「コナン君ったら……相変わらず奥手なんだね。愛し合う二人、せっかく一つ屋根の下に暮らしてるっていうのに…!」
「ちょ、ちょっと待って歩美、コナン君と私は一緒に暮らしてるけど別に……」
「えっ!?まさか付き合ってもいないの!?」
驚きのあまり目を丸くする歩美に哀は黙って頷いた。
「そうだったんだ……でも、周りの子達はみんなコナン君と哀は付き合ってると思ってるよ。コナン君の本命は哀だって話は昔から有名だったし……大体、そうじゃなきゃコナン君みたいな男の子、他の女の子達が放っておくはずないじゃない?」
歩美の言う事はもっともだった。学校の成績こそ目立たないものの、正統派の二枚目でリーダーシップもあり、男女隔てなく人気者でサッカーもプロ級のコナンがもてない方がおかしいだろう。
「私も小学校三年生の時、思い切って告白したんだけど『他に好きな子がいるから』って断られちゃったしね」
「そうだったの……」
「ね、哀はコナン君の事どう思ってるの?」
「どうって……いきなりそんなふうに聞かれても……」
「でも、哀がコナン君の事を色々気にするのは哀にとってコナン君が特別な人だからじゃない?」
「……」
「哀…?」
「……ごめんなさい、分からないの。だって……コナン君が傍にいないっていう状況の記憶が私にはないから……情けないわよね、自分の事なのに……」
「そんな……私こそごめん、哀が昔の記憶失くしてるの知ってるくせに……」
「歩美……」
「ただ……一個だけ約束してくれる?この先、哀の本当の気持ちが分かったらその時は一番最初に私に教えてくれるって。一応……コナン君は私の初恋の人だから」
「……今の言葉、蘭お姉さんにも言われたような……」
「えっ?」
「『コナン君は私の初恋の人だから』って。結婚式の時……」
「蘭お姉さんがコナン君の初恋の人じゃないの?聞き違いしたんだよ、きっと」
「そう…よね。変な事言ってごめんね」
「じゃ、哀、約束!」
「……ええ」
哀は歩美の差し出した小指に自分の小指を絡めた。