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『上海映月楼』の混雑は予想以上でコナン達四人がテーブルについた時には時計の針はすでに午後一時を回っていた。それから待つ事約30分、オーダーした色とりどりの点心がテーブルを彩り四人は思わず感嘆の声を上げた。
味の方も上海料理特有の辛さを残しつつ日本人の舌に合うよう絶妙に工夫されており、大阪出身の平次でさえ認めるほどだった。
昼の営業時間が終わったのだろう。午後二時半を過ぎた頃、四人の個室へ海里がひょっこり顔を出した。
「吉田さん、悪かったな。随分待たせちゃったみたいで……」
「ううん。待った甲斐あったよ、すっごく美味しかったもん!」
「ありがとう」
「お手伝いはもういいの?」
「ああ、オレはあくまでホールの雑用係だから。あ……父さんが挨拶したいって言ってるんだけど時間大丈夫か?」
「私と哀は構わないけど……」
「オレらも構へんで。どーせ男二人、土曜の午後を虚しく過ごしとっただけやし」
平次がニッコリ笑ってみせる。自分の思惑を表面に出さず相手を警戒させないところは相変わらず天才的だ。
海里が「父さん」と呼びかけると40代前半と思われる精悍な顔立ちの男が部屋へ入って来た。
「はじめまして、黄悠大(こうゆうだい)と申します。息子がいつもお世話になっています」
「はじめまして。私、クラスメイトの吉田歩美です。お料理、とっても美味しかったです!」
「満足して頂けたようですね」
歩美の無邪気な笑顔に悠大が優しく微笑む。
「灰原哀です。今日は予約もしていないのに個室まで用意して下さってありがとうございました」
「江戸川コナンです。久しぶりに美味しい中華を食べました。ご馳走様でした」
「江戸川君に灰原さん…だね?君達も海里のクラスメイトかな?」
「はい」
「母親が日本人だったとはいえこの子が日本で暮らすのは初めてなんだ。しばらくは何かと迷惑をかけるかもしれないが仲良くしてやってくれないかな?」
「ボク達で力になれる事だったら遠慮なくおっしゃって下さい」
「ありがとう」
「……え?じゃ、黄君って生まれてからずっと上海で暮らしてたの?」
歩美が驚いたように海里を見る。
「いや……上海に移ったのは母さんが亡くなってからだから……十年くらい前かな?」
「え?でも日本で暮らすのは初めてって……」
「その前はニューヨークにいたんですよ、私の仕事の関係で」
「ニューヨーク!?じゃ、黄君、英語も喋れるの!?」
「あ、ああ……一応」
「じゃ、英語に中国語に日本語!?すっごーい!!」
「凄いって言うか……生活するのに必要だったから必死で覚えただけだよ」
「ニューヨークでもやっぱり中華料理店を開いてみえたんですか?」
歩美と海里の会話に耳を傾けていたコナンはさりげなく悠大に切り込んだ。
「え…?」
「いえ……ニューヨークも中華が美味しい店がたくさんあるって聞いた事があるので」
「いや……私が料理の道に入ったのは上海に移ってからなんだ。ニューヨークでは別の仕事をしていたからね」
「ニューヨークでは何してはったんですか?」
それまで黙っていた平次が口を挟んだ。
「……失礼ですが、あなたは?米花総合学園の関係者の方ですか?」
「学校関係者ちゃいます。オレは服部平次いうて高木美和子警部の部下なんですわ。コナン君とは昔からの知り合いで兄貴分みたいなもんでして……」
「そうでしたか、高木さんの奥様の……」
「美和子はんからメッチャ美味い店あるいうて聞いとったもんですから前から来よう思っとったんですけど……まさかコナン君の同級生の親父さんの店とは驚きですわ」
「高木さんはウチの上得意様ですよ。あ……すみません、夕方の仕込みがありますのでそろそろ仕事に戻らないと。服部さん、高木さんによろしくお伝え下さい」
悠大は頭を下げると個室を出て行った。
「……そういえば一昨日の夜、ウチの近くで君を見かけたんだけど何してたんだ?」
コナンは思い切って海里に正面からぶつかってみた。勿論、防犯カメラに映っていたという決定的な証拠は口にしない。
「人違いじゃないか?一昨日の夜はオレはこの店でずっと働いてたから。もっとも……あの日は父さんとオレだけだったからアリバイにはならないけどな」
コナンの思惑を読み取るようにそれだけ言うと海里も父親に続いて出て行ってしまった。



「平次お兄さん、ご馳走様でしたv」
歩美の満面の笑みに平次は「はは……これっくらい気にせんでええで」と引きつったような笑顔を浮かべた。中華料理店としてはリーズナブルな値段の『上海映月楼』だったが、さすがに四人分の出費となると給料日前の身には辛いものがある。
「……どうもあのおっちゃん、ただの料理人やなさそうやなあ」
無邪気に会話を交わす哀と歩美に聞こえないよう少し距離をおいて歩くコナンに平次が囁いた。
「ああ、表情や物腰は柔らかかったが目が笑ってなかったからな。必要以上の事は喋らねえし……」
「上海におる前ニューヨーク在住いう事は掴めとった話やしなあ」
阿笠邸から米花アクアマリーナへ来る車中、コナンも平次にその事実は聞かされていた。だが、黄一家のニューヨークでの生活はまったく掴めていない。今回、直接ぶつかって唯一増えた情報は海里の母親がニューヨークで亡くなったという事だけだった。
「はぁ……7,000円ちこう出費して空振りかいな」
「いや…そうとは限らないぜ?あの黄悠大って人物、オレと哀の顔を知ってたみたいだからな」
「何やて!?」
「上手く言えねえが……既に写真か何かで知っている顔を確認するって感じがしたんだ。オレと哀の名前だけ確認するように呟いただろ?」
「そういやあ……」
「ひょっとしたら……オレ達二人の正体を知っている可能性もある」
「っちゅう事は……例の組織の残党!?」
「断定は出来ねえけどな」
その時、ふいに歩美がクルッと身を翻すと二人に近寄って来た。
「平次お兄さん、私達はそろそろ退散するとしましょうか?」
「はい?」
「も〜、鈍いなあ。せっかくのデート日和だっていうのに二人の邪魔でしょ?」
「せ、せやな。オレらがおったら甘い雰囲気にもなれへんわな」
「お、おい、服部……!」
「ま、何を揉めとんのか知らへんけど仲直りするええ機会や。な、コナン君」
平次はニヤッと笑みを浮かべると「ほな歩美ちゃん、家まで送ったるで」と、歩美と二人さっさと立ち去ってしまう。
「じゃ、また月曜日ね、哀」
「歩美…!?」
歩美に突然置き去りにされた形になった哀は驚きのあまり目を丸くしている。
「あ……」
「……」
コナンと哀は複雑な表情でお互いを見つめた。



(……ったく、この状態で一体どうしろっつーんだよ?)
米花アクアマリーナ内をどこへ行くあてもなく、哀と二人、無言で歩きながらコナンは心の中でひとりごちた。
哀には歩美の口から自分の想いが伝わってしまっているうえ、現時点における彼女の自分に対する気持ちも分かってしまっているのである。今ここではっきり「好きだ」と告げたところで返って来る答えは同じではないのか?すれ違う幸せそうなカップルを恨めしく眺めつつ溜息をつく事しか出来ない。
海沿いのプロムナードへ出たコナンの目に飲み物の自販機コーナーが映った。
「……何か飲むか?」
「え?……そうね」
コナンはポケットから小銭入れを取り出すと烏龍茶を二本購入し、そのうちの一本を哀に手渡した。普段ならアイスコーヒーだが中華を食べた後という事もあり何となくお茶が飲みたい気分だった。
「……ありがとう」
「立って飲む事もねーし……座るか?」
「ええ」
海が見渡せるベンチに腰を下ろす。
「美味かったな、黄の店。今度博士とフサエさんも連れて来るか?」
「博士にはカロリーが高いんじゃない?」
「たまにはいいだろ?いつもおめえやフサエさんが気を使ってる事だし」
「そうね……」
会話が途切れ再び沈黙が支配する。手持ち無沙汰に飲み続けたせいか烏龍茶はアッという間になくなってしまった。
空になった缶を捨てようとコナンが立ち上がろうとした時だった。
「この前は……ごめんなさい」
ふいに哀が口を開く。
「なんでおめえが謝るんだよ?謝るとしたらオレの方だろ?」
「だって……いくら同居人だからってコナン君のプライバシーに土足で踏み入るような真似をしたのは私の方だから……」
「哀……」
「歩美に……聞いたわ。コナン君が私の事、大切に想ってくれてるって」
「……そっか」
「正直……思ってもみなかった事だからびっくりしちゃって……私、自分の気持ち……今ひとつ分からなくて……」
「……」
「ただ……それを聞いて確信したわ。コナン君も博士も私が失くした記憶の中で一番重要な事を話してくれてないって」
「そ、そんな事ねえよ」
「嘘…!だったらどうしてコナン君、本当の自分を私に見せてくれないの?」
「……」
「お願い、教えて!私、自分の過去から逃げたくないの…!」
「哀……実はオレ達……」
哀の真っ直ぐな視線にコナンが口を開きかけたその時だった。
「江戸川に灰原…か?こんな所でお前達に会うとはな」
「柚木先生…!?」