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「はあ……」
更衣室から出て来た瞬間、元太は大きな溜息をついた。
「……相変わらず団体戦は苦手みてえだな」
「ダメなんだよな……なんかあがっちまって……」
身体は大きいくせに気の優しいところは相変わらずだ。組織との対決を通し大きく変わってしまった自分を思うとコナンにはそんな元太の成長が眩しかった。勿論、人生のやり直しをすべて無駄だと思っている訳ではない。実際、工藤新一だった頃に比べ随分色々なものが見えるようになっている自分を実感している。以前だったらこんな風に落ち込む友人に対し「実力はあるんだからもっと自信持てよ」などと無責任に励まして終わりだっただろう。
「けどよお……今日はおめえも頑張ったと思うぜ?判定まで持ち込んだじゃねえか」
「あ、ああ……その事なんだが……」
「あん?」
「その……」
元太にしては珍しく口が重い。
「何だよ、どうかし……」
「コナン君!元太君!」
コナンの言葉を遮るように元気な声が聞こえたかと思うと歩美が廊下を走って来た。
「二人とも今、帰り?」
「ああ、歩美もか?」
「うん。一緒に帰れるなんて久し振り!何か嬉しいなv」
確かに登校はともかく下校が一緒になるのは珍しい。
「そういえば元太君、帝丹高と試合だったんだよね?」
「あ、ああ……」
「その様子だと……また負けちゃった?」
「……」
「いい試合だったけどな」
幼馴染の鋭い読みに言葉を失ってしまった元太に代わりコナンは一言そう呟いた。
「あ、そっか。コナン君、今日審判だったんだよね」
「ああ。実際、判定も難しかったんだぜ」
「な、なあ……コナン」
ふいに元太が真剣な目でコナンを見つめた。
「元太…?」
「お前、判定でオレに上げてくれたよな?」
「それがどうかしたか?」
「その……今日の副審の話、オレが強引に持ち込んだようなもんだからよ……もしかして気を遣わせちまったかと思ってさ、その……」
オドオド話を切り出す元太の様子に合点がいったコナンは思わず苦笑した。
「……バーロー、んな事すっかよ。真剣に勝負やってるおめえにも相手にも失礼じゃねえか。確かにあの限りなく一本に近い内股すかしの印象はでかかったが、攻め数はおめえの方が圧倒的に多かったからな。だからオレはおめえの勝ちだと思っただけさ」
「だったらいいんだけどよ……」
元太がやっと笑顔を見せる。
その時、コナンの追跡メガネが警告音を発した。
「……!?」
「コナン?」
「コナン君…?」
「……悪ぃ、オレ、先に帰るから!」
不思議そうに首を傾げる二人にそれだけ言うとコナンは一目散に駆け出した。



念のため阿笠には連絡を取ったものの、哀の居場所を示す光点はこちらに向かっていた。
(このスピードは……車か?)
歩美と遊びに行った時ならともかく哀が学校帰りにバスや電車に乗る事など考えられない。何かあったと考えるのが自然だろう。
コナンは久し振りにキック力増強シューズのスイッチを入れた。かつては頻繁に使っていた探偵道具だが、中学生になった頃からは専ら用心のために履いている。コナン自身のキック力がかつての力をすでに凌いでいたし、何より常識では説明出来ない力を使って目立つ事を避けたかったからだ。
幸い米花総合学園の周辺は一方通行が多い。発信機の動きから進路を予測し先回りする事は容易だった。細い路地を抜け大通りへ出ると一台の外車が曲がって来るのが目に入る。
(あれだ…!)
コナンはガードレールを飛び越えると車道の真ん中に立ちはだかった。キーッというタイヤのきしむ音とともに車が急停止する。「何だ、てめえ!?」という怒鳴り声が聞こえたかと思うと助手席から男が一人降りて来た。
「いきなり飛び出して来やがって……死にてえのか!?」
「哀を返せ」
「な……何言ってやがる!?」
「誤魔化しても無駄だ」
いきり立つ相手を無視し、後部座席のドアを開けたコナンの目に意識を失いぐったりと横たわる哀の姿が目に入った。
「……小僧、痛い目に遭いたくなかったら何も見なかった事にしてさっさと失せるんだな」
「それはこっちの台詞だ。怪我したくなかったら大人しく哀を返せ」
「何だと!」
コナンの不敵な態度にカッとなった男が彼の胸倉に掴みかかってきた時だった。突然、バコッという鈍い音がしたかと思うと悲鳴とともに男が顔を押さえ道路に倒れこんだ。
「歩美…!?」
「コナン君、大丈夫!?」
ラケットを片手に歩美が走って来る。どうやらコナンが因縁でもつけられたと思い咄嗟にサーブを打ったようだ。
「こいつら……!ただじゃ済まさねえ!」
運転席と後部座席から仲間とみられる男達が降りて来ると二人に襲いかかって来る。歩美が傍にいてはキック力増強シューズを使用する訳にはいかない。コナンは舌打ちすると歩美の腕を掴み学園の方向に走り出した。しかし、いきなり方向転換したせいか歩美がバランスを崩して転んでしまう。
「キャッ!!」
「歩美…!」
「面倒かけさせやがって…!」
歩美の身体を支えている状態では反撃も出来ない。万事休すかと思った瞬間、二人に襲いかかろうとした男の影が消えた。
「……!?」
「元太君…!」
「へへ……今日の試合、不完全燃焼だったからな」
元太得意の内股の餌食になった男は完全に気を失っている。
「このっ…!!」
「お前の相手はこのオレだ!」
元太は気合いを入れると男に向かっていった。しかし、今度の相手はどうやら柔道の心得があるらしく先程のように簡単に投げさせてはくれないようだ。返し技を受け、絞め技へと持ち込まれてしまう。
「クッ…!」
「元太君!!」
「……お遊びはここまでだ」
いつの間にか歩美のサーブを受け、道路に寝転がっていたはずの男が拳銃を構え不敵な笑みを浮かべていた。しかもその左腕には気を失った哀が抱え込まれている。
「な、何よ!それ、どーせ偽物でしょ!?」
「偽物かどうか試してやろうか?」
男は唇の端に笑みを浮かべると銃口をコナンに向けた。
「わざわざ試してもらわなくても本物だって事くらい分かるさ。だったら……こっちも遠慮しないぜ?」
「何っ!?」
目の前の銃口にびくともしないコナンの様子に男がたじろぎ、後ずさりする。次の瞬間、どこでもボール射出ベルトから噴出されたサッカーボールがコナンの足から蹴り出された。手から拳銃が弾き飛ばされ、その威力に男は呆然と立ち尽くしている。
「哀を放せ。次は一切手加減しねえぞ」
「……クソッ!引け、相手が悪い!!」
元太に絞め技をかけている男がリーダーなのだろう。拳銃を弾き飛ばされた男は「わ、分かった」と呟くと哀を解放し、車道でのびている男の身体を支え車へと戻っていった。
「貴様……一体何者だ!?」
「江戸川コナン……探偵さ」
「小僧、この借りはいずれ返させてもらうからな!」
リーダー格の男は元太の身体を放すと横付けされた車に乗り込んだ。
急発進した車はあっという間に見えなくなってしまったが、コナンの注意はその車を尾行するかのように追従して行ったミニバンの方に向かっていた。一瞬の事だったが彼の目は車のボディに書かれていた『上海映月楼』の文字を見逃していなかったのである。海里の年齢では免許は取れないから運転しているのはおそらく父親の悠大だろう。
後を追いたいのはやまやまだが、阿笠の車はまだ到着していないし、何より哀を安全な場所へ保護する事が最優先だ。コナンは車道に放り出された哀を抱き上げると苦しそうに息をしている元太に話しかけた。
「元太、大丈夫か?」
「ああ……ったく、情けねえよな。それよりコナン、今のお前の力……?」
「……」
「そういえばコナン君、小さい頃、犯人をやっつけるのに信じられない力で色んな物蹴ってたよね?あの頃はただ凄い!ってワクワクしてたけど……この力、一体……?」
「……なあ、元太、光彦に連絡取れるか?」
「あ、ああ。どうしたんだ、急に?」
「どうやら……おめえらに全てを話す時が来たみてえだ」
「全てを話す……?」
「とにかく……今、博士がこっちに向かってっから……さすがにここじゃ話せねえ」
「……コナン君?」
突然言葉を切ったコナンに歩美が首を傾げる。彼の視線の先には副担任の柚木杏香の姿があった。一瞬、緊張が走ったが杏香は何も言わずに立ち去ってしまう。
「コナン、どうしたんだ?おっかない顔してよお」
「……」
敵か味方か、黄悠大も柚木杏香も自分と哀の様子を見ていたのは間違いない。コナンの緊張は阿笠の車が到着するまで解ける事はなかった。



黄色のビートルが玄関に横付けされるとほぼ同時にフサエが玄関から飛び出して来た。
「コナン君、哀ちゃんは……?」
「薬で気を失っていますが大丈夫です」
「そう……あら?歩美ちゃんと元太君も一緒?」
「歩美、元太、おめえらは光彦が来るまでリビングで休んでてくれないか?オレは哀を部屋に運ぶから」
「コナン君、私も哀の傍に……」
「歩美、悪ぃが哀の事はフサエさんに任せて今日はオレの話に付き合ってくれ」
コナンの真剣な表情に歩美も何かを感じたのだろう。「……分かった」とだけ呟くと元太の後を追ってリビングへ入って行った。
コナンは哀を抱きかかえると地下にある彼女のプライベートルームへ向かった。ベッドに横たえ、身体に布団をかけるとドアの所で見守っているフサエの方に振り返る。
「フサエさん……哀の事、お願い出来ますか?」
「……あの子達にあなた達の事を話すつもり?」
「はい、これ以上あいつらに秘密にしておくのは無理でしょう。帰国した当日で疲れているところ本当に申し訳ないんですが……」
「何言ってるの?私達、家族でしょ?」
フサエが穏やかに微笑む。その優しい笑顔に後押しされるようにコナンは気を失っている哀の手を握り締めると彼女の部屋を後にした。