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コナンがリビングへ戻るといつの間にやって来たのか光彦の姿があった。
「随分早かったな」
「コナン君から呼び出しがかかるなんて滅多にありませんからね。何かあった事くらい簡単に想像がつきます」
きっぱり言い切る光彦に思わず苦笑する。確かに三人に付き合わされる事は多いものの自分から誘う事などほとんどなかった。
「歩美ちゃんに聞きましたが……灰原さんが襲われたって本当ですか?」
光彦の問いには答えずソファへ腰を下ろすとコナンは真剣な表情で三人を見つめた。
「今からおめえらに話す事はすべて真実だ。信じられないかもしれねえがな」
「コナン君…?」
「急にどうしたんですか?改まって」
「熱でもあるんじゃねえのか?」
目を丸くして自分を見つめる三人に構わずコナンは続けた。
「オレの本当の名前は……工藤新一」



トロピカルランドで毒薬を飲まされ身体が縮んでしまった事、自分と周囲の人間を守るため仮の姿、江戸川コナンとして生きざるをえなくなった事、敵対する組織を追う過程で哀と出会った事、哀が元組織の人間でその毒薬の開発者だった事、そんな彼女が実の姉を殺され組織を裏切った事、組織を追い詰める過程で哀が重体となり記憶を失ってしまった事、そして彼女を失いそうになって初めて自分の本当の気持ちに気付いた事……
どこから話していいものかというコナンの不安は杞憂に終わった。『工藤新一』という単語を出してしまったら気が楽になったのだろう。
随分長い話になったが歩美、元太、光彦の三人は黙って耳を傾けていた。
「コナン君と灰原さんには何かあると昔から思ってはいたんですが……ここまで大きな話だとはさすがに予想していませんでした」
しばしの沈黙の後、最初に口を開いたのは光彦だった。
「まあ予想しろって方が無理な話だしな」
「……」
「光彦…?」
「あ……すみません。同級生だとばかり思っていたコナン君が伝説の名探偵、工藤新一さんだったなんて考えた事もなかったので……その……」
実は十歳も年上だと分かって遠慮してしまっているのだろう。
「変な気を遣う必要はねえぜ。それより……悪かったな、今までおめえらを騙してきて」
「騙すなんてそんな……」
「本当はずっと黙ってるつもりだったんだ。おめえらをオレ達の事情に巻き込む訳にはいかねえからな。しかし……こうもあからさまな形で哀がターゲットになって来るとさすがに隠しておくのはまずいと思ってよ」
「じゃ……お前、何もなかったらオレ達に話す気はさらさらなかったって言うのかよ!?」
それまで黙っていた元太が急に声を荒げるとコナンに詰め寄った。
「当たり前だろ?事は世界的レベルのトップシークレットだ。組織の残党がどこにいるか分からねえし、事情を知ればいつ命が狙われてもおかしくないんだぜ?」
「心配してくれるのは嬉しいけどよ……オレ達友達だろ!?そりゃ……さすがに小学生の時にお前と灰原の事理解するなんて出来なかったと思うぜ!?けど……もっと早く打ち明けてくれたって良かったんじゃねえのか!?」
「元太……」
「オレ達にとってお前が工藤新一だろうが江戸川コナンだろうが関係ねえよ!お前はお前だし灰原は灰原だ!違うか!?」
「元太君の言う通りですよ。水臭いじゃないですか。何もかも一人で背負う事なんてなかったんですよ。ボク達だってお二人の力になれるはずです」
「おめえら……」
本当の事を知ったら拒絶されるとばかり思っていたコナンの胸が熱くなる。
「それにしても……灰原さんを狙っている人間の目的は一体何なんでしょうか?」
「コナン、お前の事だから何か見当ついてんじゃねえのか?」
言ってしまってから「あ……今まで通りコナンでいいんだよな?」とバツが悪そうに尋ねる元太の様子にコナンは苦笑すると「今のオレは『江戸川コナン』以外の何者でもないさ」と呟いた。
「あの組織が潰れたのとほぼ同時期、オレ達の身体を小さくした薬、APTX4869のデータが何者かによって盗まれたんだ。哀の話によるとAPTX4869は未完成の薬だったらしい。組織の残党が何らかの目的でその完成を目指しているとしたら……」
「なるほど、開発者である灰原さんを狙っているという訳ですね?」
「哀以外の人間が完成させたとしたら誘拐なんか企てねえからな。逆に余計な事を思い出す前にさっさと消そうとするだろう」
「そうなると今後も狙われる可能性は高いですね」
「ああ」
「けどよお、灰原は記憶失ってんだろ?誘拐しても無駄じゃねえのか?」
「確かにそうだが……おめえら、川上晋吾っていう大学教授が殺された事件知ってるか?」
「はい、ニュースでやってましたから。東都大学の教授でしたよね?」
「薬学界では有名なマッドサイエンティストさ。おまけに服部の調べによると学生時代、哀の父、宮野厚司のゼミに在籍していたらしい」
「それって……」
「ああ。おそらくAPTX4869の完成を依頼されていたんだろう。しかし完成させる事が出来ず殺された。一方、薬の完成を目指す奴らは並みの研究者では歯が立たないデータに困り果てたんだろう。仕方なく薬の開発者である哀を狙った……そんなところだろうな」
冷静に言い放つコナンに対し元太と光彦はゴクッと息を飲み込んだ。
「おめえら……これでもオレ達に付き合うつもりか?」
「あ、当たり前だろ!これっくらいの話でびびるかよ!」
「これでも元少年探偵団の一員ですからね」
元太と光彦の反応にコナンが苦笑した時だった。
「……どうやら話はついたようじゃの」
それまで遠慮してリビングから姿を消していた阿笠が戻って来ると白衣のポケットから何やら取り出しテーブルに置いた。探偵団を強制解散した時、三人から取り上げた探偵バッジだった。コナン、哀の分も含め5つある。
「いつかこんな日が来るんではないかと思ってのう」
「博士……」
「もっとも……あの頃よりかなりヴァージョンアップしてあるがの」
早速、元太と光彦が嬉しそうにバッジに手を伸ばす。
「よし!少年探偵団、復活だ!」
「ええ、灰原さんを守りましょう!」
張り切る二人に続き歩美がバッジに手を伸ばす。が、その様子がおかしい事をコナンは見逃さなかった。
「歩美、無理する事ねえんだぜ」
「え…?」
「無鉄砲だったあの頃と違う、怖くて当然さ。ましてやおめえは女の子なんだし」
「ち、違うの……そうじゃないの……」
「……?」
「あ、その……ちょっと哀の様子見に行ってもいい?」
「あ、ああ」
コナンは歩美を促すと地下へと降りて行った。



地下の真ん中にある哀のプライベートルームのドアをノックすると「はい」という返事とともにフサエが顔を出した。
「……あら、どうかしたの?」
「歩美が哀の様子を見たいと言うので」
「すみません」
「謝る事なんかなくてよ。まだ意識は戻ってないけど……さ、どうぞ」
「失礼します」
歩美はフサエに軽く頭を下げると部屋へ入って行った。ベッドに横たわる哀の傍へ近付くと横にある椅子に腰掛ける。しばし哀の様子を黙って見つめていた歩美だったが、ふいにその唇から「ごめんなさい……」という言葉が洩れた。
「歩美…?」
「私……コナン君と哀の事情も知らないで勝手に色んな事哀に吹き込んじゃったから……」
「気にすんなよ。隠してたオレが悪いんだから」
「ねえ……一つだけ聞いてもいい?」
「あん?」
「コナン君は……過去を全て哀に話すつもり?」
「ああ、約束しちまったからな」
「お願い、止めて!そんな事したら哀、壊れちゃう!」
「……!?」
「記憶を失う前……哀、凄く苦しかったと思う……それなのに全然そんな様子見せないで……いつも私に優しくしてくれて……」
「歩美……」
「せっかく普通に幸せに暮らしているのに今更辛い過去を背負わすなんて……そんなの可哀想だよ……」
いつの間にか歩美の頬を一筋の涙が零れ落ちていた。
「歩美ちゃん……あなたは本当に優しい子ね」
フサエが穏やかに微笑むと彼女を優しく抱き締める。
「オレだって迷いはあるさ。だが……運命から目を逸らす事がいい事だとは思わねえし、何より『自分の過去から逃げたくない』っていう哀の意思を尊重してやりてえんだ。それに……最近、少しずつだが記憶を取り戻してるみたいでさ。中途半端に不安な思いにさせるくらいなら全て話してやった方がいいような気もするし……」
「……」
「心配すんなっていう方が無理だけどよ、オレ、何があっても哀を支えてやるつもりだから……ただ、オレ一人じゃ限界があると思うんだ。偉そうな事言っておいて何だが……おめえにも力になって欲しいと思ってる」
「コナン君……哀の事、本当に大切に想ってるんだね」
「この世でたった一人、同じ運命を分かち合った人間だからな」
「『この世でだった一人愛する女性』でしょ?今更遠慮しなくてもいいのに」 
「……」
歩美の言葉にコナンが絶句した時だった。「ん……」という小さな呻き声が聞こえたかと思うと哀がゆっくり目を開く。
「哀、気がついた?」
「あ…ゆみ……私、一体……?」
「あ、えっと……」
「変質者に誘拐されそうになったんだ。大丈夫か?」
思わず言葉に詰まった歩美に代わりコナンが口を開く。
「誘拐……そうだわ、黒い外車から降りてきた男の人達に囲まれて……」
思い出すように呟いた哀だったがハッと何かに気付いたように言葉を失った。
「……どうした?」
「コナン君、村主君は!?」
「村主…?」
「村主君……私を庇って……」
「……哀、落ち着いて最初から話すんだ。出来るな?」
コナンが哀の手を握り締める。その強い力に哀は我に返ったようだ。黙って頷くと記憶を手繰り寄せるように話し始める。
そんな二人の様子に歩美は自分でも気付かないうちに微笑んでいた。