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部活の練習を終え、待ち合わせ場所に決めてあった校門前までやって来た歩美を迎えたのは「遅かったじゃねえか」という元太の不満そうな台詞だった。
「10分遅刻だぞ!」
「仕方ないでしょ?先週二回休んだせいでコーチの目が厳しいんだから」
「二回って……おまえ、ヒデが来た日以外にもさぼったのか?」
「そ、それは……」
哀との話は内容が内容だけに木曜日に部活をさぼった理由はたとえ相手が元太でも言う訳にはいかない。
「私だってたまにはプライベートな用事もあるもん。大体、普段遅刻ばっかしてる元太君に『遅かった』なんて言う資格ないと思うけど?」
「う……」
歩美のこの言葉に立場はあっさり逆転する。
「ところで光彦君は?」
「アイツなら一足先に村主の家へ行ったぜ」
「村主君、やっぱり今日欠席だったみたいだね」
「3時間目の化学実践の授業にも現れなかったみたいだしな」
「じゃ、私達も早速米花アクアマリーナへ移動しましょ」
「いよいよ少年探偵団活動再開だな。ワクワクするぜ!」
「もう少年探偵団っていう年でもないでしょ?」と思わず突っ込みそうになった歩美だったが、張り切る元太の様子に苦笑するとその言葉を飲み込んだ。
米花総合学園から『上海映月楼』がある米花アクアマリーナまでは歩いて行けない距離でもなかったが、店が忙しくなる前の方がいいだろうと判断し二人はバスで移動した。学園前のバス停から3つ目の『アクアマリーナ前』で下車すると平日だというのに相変わらずカップルで賑わっている。
「……久し振りに来たけど相変わらず人が多いな」
「まあここはいつ来ても……ね」
「おっ、この前来た時あんな店なかったぞ!なあ、歩美、あそこ食い物の店か?」
「……元太君、私達、遊びに来たんじゃないんだけど」
「わ、分かってるって」
歩美の冷たい視線から逃れるように「『上海映月楼』って確かこっちだったよな?」と言うと、元太は先に立って歩き出した。
店の前まで来るとドアに一枚のプレートが掛けられている様子が目に入る。
「臨時休業……?」
プレートに書かれた文字に元太が首を傾げた。
「おかしいな、ここ確か水曜休みだったはずだけど……」
「さすが元太君、美味しいお店の情報は頭にインプットされてるみたいね」
「まあな」
試しにドアを引っ張ってみるがしっかり施錠されているようだ。
「歩美、今日、黄のヤツ学校来てたか?」
「うん、特に変わった様子もなかったよ」
勝手口の方へ回ってみたもののやはりこちらにも鍵が掛けられている。
「せっかく来たのに空振りだったなんて言えねえし……クソッ!」
「ちょ、ちょっと、元太君!」
勝手口の横の窓から強引に店内を覗こうと足をかける元太を歩美が止めようとした時だった。
「何してるんだ?」
「ワッ!!」
背後からかけられた鋭い声に元太は驚きのあまりその場に尻もちをついてしまった。
「黄君…!」
「吉田さん……?」
大柄な元太の身体に遮られ見えなかったのだろう。歩美の姿を認めると海里は驚いたように目を丸くした。
「実はちょっと黄君に聞きたい事があって来たの」
「聞きたい事?一体何だよ?」
「学校で聞けなかった事をこんなところで聞けるわけないでしょ。中へ入れてもらえないかな?」
「……」
遠慮なく言う歩美に一瞬戸惑った様子の海里だったが、「入れよ」とぶっきらぼうに言うと勝手口の鍵を開け二人を促した。
客が一人もいない店内は水を打ったように静かだ。
「……悪いけど作業しながらでいいか?父さんが出かけてるから明日の準備しなくちゃいけないんだ」
「気にしないで、アポなしで来たのはこっちだし」
厨房で作業する海里に「座ってもいい?」と断ると、窓際に重ねてあった丸椅子を引っ張り出し邪魔にならないところに腰を下ろす。
「ところで吉田さん、彼は?」
「あ、そっか。黄君とは初対面だっけ。C組の小嶋元太君よ」
「ああ……前に君が言ってた幼馴染か」
「オレ、この店結構来てるんだぜ」
「顔は覚えてるよ。これでも商売人の息子だからな。で?オレに何の話だ?」
「あ、それは……その……」
「黄君、哀の事探ってるよね?」
言い淀む元太に代わり歩美がずばり切り込む。
「お、おい、歩美……」
「誤魔化しても無駄だよ。博士の家の防犯カメラが黄君の姿をばっちり捕らえてるんだから。それに、昨日哀を襲った人達の車を黄君のお父さんが車で追ってったみたいだし。ねえ、黄君と黄君のお父さんの目的は一体何?」
「危険な事を正面から聞いてくる人だな」
海里が手を止めると苦笑する。
「これでも探偵団の一員だからね。それに……哀は私の大切な親友だから」
「君は彼女の本当の姿を知っているのか?」
「昨日コナン君がすべて打ち明けてくれたわ。正直びっくりしたけど、だからって一緒に過ごした時間を否定する気はないもの」
「……」
歩美と海里の視線が真っ向からぶつかり緊迫した空気が流れる。元太は固唾を飲んでその様子を見守る事しか出来なかった。



米花総合学園近くの豪邸の門前で光彦は首を傾げていた。コナンに教えてもらった住所はここに間違いないものの表札らしき物が何も出ていないのである。
「……こんな所で立ち止まっていても仕方ありませんね」
しばし躊躇っていた光彦だったが、意を決するように呟くとインターホンを押した。少しの間があり返って来たのは「どちら様ですか?」という女性の声だった。
「米花総合学園1年C組の円谷光彦といいます。浩平君にお会いしたいのですが」
「坊ちゃまにですか?……少々お待ち下さい」
相手はそれだけ言うと通話を切ってしまった。
(情報通り村主君の家は随分お金持ちのようですね)
今回訪問するにあたり光彦なりに村主浩平や彼の家族について調べてみたのだが、村主家は相当の資産家らしい。それがあまり表にあらわれないのは鈴木財閥などのいわゆる名家と違い、ここ最近財を成したからのようだった。
手帳に書き留めておいたそれらの事柄を復習していると門が開き、メイドらしき女性が現れた。
「円谷様、お待たせいたしました。ご案内いたします」
「あ、はい……」
慣れない扱いに光彦の方が焦ってしまう。
塀の外からも多少想像出来たものの屋敷は広大で、メイドの女性とはぐれてしまったら迷子になりそうだ。
「こちらでお待ち下さい」
案内されたのは二十畳はありそうな大きな部屋だった。ソファをすすめられたものの何となく落ち着かず、部屋の中をウロウロ歩き回る。
ふと見ると書棚の上にたくさんのトロフィーや楯が置かれていた。
「都大会優勝、関東大会優勝、月夢神社奉納射会準優勝、全国中学生弓道大会優勝……さすがにこれだけ並ぶと壮観ですね……」
「……そんなに大層なものでもないよ」
ふいに声をかけられ、驚いて振り向くといつの間にか部屋の入口に浩平が立っていた。
「あ、その……すみません、勝手に……」
「別に見られて困る物じゃないし気にしなくていいよ」
穏やかに微笑むとソファに腰掛ける。それにつられるように光彦も彼の正面に腰を下ろした。
「身体の方は大丈夫ですか?」
紅茶を運んで来たメイドが下がると光彦は早速本題に入った。
「え…?」
「昨日、灰原さんと一緒に下校していて襲われたそうですね」
「……かっこ悪いところバレちゃったな」
浩平が苦笑すると紅茶に口をつける。
「ボクはもう大丈夫だって言ったんだけど、叔父様が今日は休めってうるさくてね」
「叔父様…?」
「世間的には実の祖父って事になってるけど、ボク、実はこの家の養子なんだ。両親が早くに他界してね」
「そうだったんですか」
「ボクの事より……円谷君、哀さんは無事だったのか?誘拐事件の可能性もあるから連絡出来なかったんだけど……」
「ええ、コナン君達が救出しました。怪我もありませんでしたし今日学校にも出席していましたよ」
「そう、良かった」
「あの……実はボク、お二人が襲われた時の様子を詳しくお聞きたくてお邪魔したんです」
「え…?」
光彦の思わぬ申し出に浩平が目を丸くする。
「ボク達、これでも小さい頃探偵団を組んでいまして灰原さんもその一員だったんです。一度は解散したんですが、仲間が襲われたなんて事態を黙って見過ごす訳にはいきませんからね。今回再結成する事になりまして……襲って来た相手の人相、性別、年齢、背格好など何でも結構です。話してもらえませんか?」
「何でもって言われても……突然の事で無我夢中だったから……」
「それなら灰原さんと一緒に校門を出たところから順を追って話を聞かせて下さい。何か思い出すかもしれません」
「あ、ああ……」
光彦の熱心な様子に押し切られるように浩平が口を開く。
「そうだな、昨日は確か……」



サッカー部の練習を早めに切り上げるとコナンは弓道場へ急いだ。ちょうど練習が終わったところのようで道場から出て来る生徒達とすれ違う。入口から覗き込むと哀が数人の生徒とともに残って自主練習する様子が目に入った。明らかに他の部員に比べたどたどしいが一生懸命やっている様子は遠くから見ても伝わってくる。自分の都合だけ考えれば早く練習を切り上げてもらいたいというのが本音だったが、熱心に練習する人間の邪魔をする訳にもいかずコナンは道場の入口で大人しく彼女の帰りを待った。
「柚木先生、ありがとうございました」
最後まで一人残って練習していた哀が弓を道具室にしまい杏香に頭を下げたのはそれから約一時間後の事だった。
「もう暗い。気をつけて帰れよ」
「はい」
(……っと!)
道場から出て来る哀と鉢合わせしないようコナンは慌てて物陰に身を潜めた。
更衣室に向かう哀の姿を見送り、再び道場の中に目を向けると杏香が弓を構えていた。何者をも寄せ付けない雰囲気と獲物を狙うハンターのような鋭い眼差しに声をかける事が出来ない。次々放たれる矢はすべて的の中心を射た。
「……私に何の用だ?」
突然、的に視線を向けたまま杏香が呟く。コナンは無言のまま彼女の前に姿を現した。
「江戸川か。わざわざ灰原が帰るのを待っていたとは……聞かれたら困る話か?」
「それは先生の回答次第といったところでしょうか?」
コナンは不敵に微笑むと杏香の正面に対峙した。