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「……ほんまにお前の周りは相変わらず賑やかみたいやなあ」
「うっせーな、オレだって別に……」
「ま、色んな事に巻き込まれるんは探偵の性っちゅうもんや、せやろ?コナン君」
「……」
からかうような平次の口調にコナンは渋い表情で黙り込んだ。
服部平次・和葉夫妻が暮らす賃貸マンションは阿笠邸からさほど離れている訳ではない。しかし、刑事という平次の職業上学生であるコナンと折り合う時間もなかなかなく、訪問するのはかなり久し振りの事だった。
「しっかし……よう分かれへん話やなあ」
テーブルに置かれた柚木杏香の写真を取り上げると平次が呟く。
「このべっぴんの先生、哀ちゃんの姉はんの知り合いやったんちゃうんか?」
「それがどういう訳か組織とも繋がりがあるみてえなんだよな」
コナンは平次が淹れてくれたインスタントコーヒーに口をつけた。
「あの先生が単に明美さんの知り合いだっていうなら妹のアイツの様子を気にして近付いて来たってところだろうが……もし組織の残党だとしたら……」
「……宮野明美の知り合いやっちゅうんも芝居かもしれへんなあ」
「ああ。オレ達を油断させるためのな」
コナンの脳裏に米花アクアマリーナで会った時のどこか切ない表情の杏香と弓道場で対峙した時の不敵な表情の彼女が交互に蘇った。どちらが彼女の素顔なのか判断するには手がかりが少なすぎる。
「ところで、そっちは相変わらず何も掴めねえのか?」
「簡単に言うなや。村主とかいう色男みたいな有名人ならともかくやな、名前しか分かれへん人間をどうやって調べぇ言うねん?」
「……だよな」
個人情報にうるさい時代を反映してか米花総合学園の教員の住所や電話番号といったプライバシーに関する情報は一切公開されていない。それ故、平次を介して学園に照会してもらったのだが、たとえ警察といえど正当な理由なく明かす事は出来ないと撥ねられてしまったのである。
「ほんまいうとなぁ……オレ、いっぺんあの先生の帰り尾行した事あんねん」
「そんな話、初耳だぞ?」
「そりゃそーやで。見事にばれてもうて面が割れてもうたやなんか、かっこ悪うて言い出せへんかったからなあ」
「……ただ者じゃないと分かって白状する気になったって訳か」
照れくさそうに笑う平次にコナンは苦笑した。
「それはそうと……なあ、服部」
「なんや?」
「オレ……ちょっと迷っててさ」
「……哀ちゃんの事か?」
「アイツ……最近、除々に記憶を取り戻してるみたいでよ。ジンの事とか夢に見るようになったみてえなんだ」
「ジン?ああ、あん時殺された組織の幹部やった男やな?」
「ああ。それで少しだけアイツに過去の事を話したんだが……想像以上に怯えちまってな。これでもしアイツの姉さんの事やアポトキシンの事を話せば歩美の言うとおりアイツ、壊れちまうんじゃないかと思ってさ」
「せやけどお前、哀ちゃんに約束したんやないんか?知っとる範囲の事はいつか必ず話すいうて」
「オレだってそのつもりだったさ。けどよ……オレはアイツの過去をほんの一部しか知らねえんだ。『灰原哀』として博士の家で暮らす前、アイツがどんな生活をしててどんな思いで生きていたのか全く…な」
「そら出会う前の事は知らんで当たり前やねんからしゃあないやろ。初めて会うた時の事から順を追うて話したったらええんとちゃうんか?」
「普通の家庭で平凡に生きて来た人間ならそれで構わないと思うぜ?けど……アイツの場合、ちょっと無理があるんじゃねえか?」
「無理?何でやねん?」
「考えてみろ。いくらアイツにそのつもりがなかったとはいえ結果として自分が作った薬で多くの人間が死んでるんだ。おまけにアイツの姉さんはアイツを組織から抜けさせようとしてジンに殺されちまったんだしよ。オレに話せるのはその事実だけでどういう状況でアイツや明美さんがそうせざるをえなかったかって事は全然話してやれねえんだ。事実だけを並べたら……アイツの事だ、必要以上に自分を責めるだろう」
「せやなあ……」
「『覚悟はしてる』とは言ってたが昨夜のアイツの様子を見ると……オレ、どうしたらいいか分からなくなっちまってさ……」
「工藤……」
言葉を切るコナンに平次が苦笑する。
「お前、ほんまあの姉ちゃんの事、大切に思うとるんやなぁ」
「ああ、お前にとって和葉ちゃんと和希君が大切なようにな」
すると『噂をすれば影』とはよく言ったもので「ただいまー!……あれ?平次、お客さん来てんの?」という元気な声が聞こえたかと思うと和葉が顔を出した。
「工藤君やん、久し振りやなぁ!」
「ああ、蘭の結婚式以来かな?」
「せやせや。けどあの日はバタバタしててんからゆっくり話も出来へんかったし。どうやの、二度目の高校生活は?」
「和葉、今大事な話しとるんや。世間話は後回しにせえ」
「そないに追っ払うみたいに言わんかってもええやんか」
「大体、和希放っといてええんか?」
「心配せえへんでもベッドですやすや眠ってるわ」
平次と和葉の長男、和希が生まれたのは今年の1月の話だ。隔世遺伝なのか色黒ではなくどちらかと言うと母親である和葉に似た顔立ちをしている。
「それより大事な話って何やの?まぁ事件の話やろうけど」
「うるさいわ」
相変わらず仲良く夫婦漫才を始めた二人だったが、ふいに和葉が「あれ…?」とテーブルを見た。
「この人、月夢神社の巫女さんやん」
「え?」
コナンと平次は思わず和葉を見た。
「お祭りでもないのになんで神社なんか行ってん?」
「こないだの土曜日、大阪から遊びに来とった友達に付き合うて行ってん。何でも願い事が叶ういうお守りを売っとるいうて有名なんやて。そん時社務所でこの人見てん」
「……おい、和葉、ほんまにこの女に間違いないんやろな?」
平次が訝しげな表情で妻に詰め寄る。
「バカにせんといてくれへん?これでも元警察官やねんから人の顔覚えるんは得意やわ」
憮然と抗議する和葉だったがコナンと平次の関心はすでに月夢神社に向けられていた。
「行ってみるか?工藤」
「ああ、ここで喋ってても何も掴めねえしな」
「なんかよう分かれへんけど……手がかりを提供したげやったみたいやねぇ」
目の色を変えた二人の様子に和葉がニッコリ笑う。一昔前の彼女だったら色々問い詰めてきたものだが、今ではすっかり夫を信用しているのか平次の方から話すまでは余計な事は詮索しないようになっていた。
「おう、大手柄やで」
「ほな今度ディナーにでも連れてってやぁ」
「和希いてるからなあ、高級レストランは無理やで」
平次と和葉の仲睦ましい会話をコナンは眩しい思いで見つめた。



「哀の方から急に会いたいなんて珍しいね」
約30分並んでやっと購入したクレープを手にテーブルにつくと歩美が口を開いた。
「ごめんね、歩美にも予定あったのに……」
「気にしないで。テニス部の友達と映画観に行く約束してただけだから」
「でも……」
「いいの。大体、純愛映画なんて私の趣味じゃないし。哀の方が大事」
ニッコリ笑う歩美に哀も思わず笑顔がこぼれる。
「それで?話って何?」
「あ、あの…ね……」
「コナン君の事でしょ?」
「……!」
相変わらずズバリ言い当てる親友に哀は一瞬言葉を失った。
「ど、どうして……」
「分かるよ。いつもはクールな哀がコナン君が絡むとウソみたいに動揺が顔に出るもん」
「……」
「まだ仲直りしてないの?」
「そ、そうじゃないけど……」
「じゃ、どうしたの?」
「やっと……分かったから……」
「え…?」
「歩美、私ね……私…コナン君の事……」
その先の言葉を切り出せずにいた哀だったが「……好きなの?」と優しく微笑む歩美に黙って頷いた。
「そっか。コナン君も哀の事大切に想ってるし……良かったね」
「……」
「コナン君にはもう言ったの?」
「ううん、だって……歩美に一番に言うって約束したし……」
「哀ったら……変なとこ律儀なんだから!早く言ってあげなよ、コナン君にとっては十年越しの恋なんだよ?」
「……」
いかにも女子高校生らしい会話の内容とは裏腹に寂しげな表情の哀に歩美は首を傾げた。
「哀…?」
「私……コナン君にそんなに大切に想ってもらう資格あるのかしら?」
「えっ?」
「コナン君だけじゃないわ。博士にもフサエさんにも……勿論歩美や元太君、光彦君にも……」
「……どうしたの?」
「昨日の夜……コナン君が私の失った記憶の事、少しだけ話してくれたの」
「そ、そう……」
歩美自身はコナンの口から哀の過去について聞かされている。しかし、コナンがどこまで彼女に話したのか分からない以上下手な事は言えない。どぎまぎする心を落ち着かせるようにクレープを口に運ぶと「それで……どんな事話してくれたの?」と、探るように言葉を続けた。
「私が記憶を失ったのは、ある犯罪組織の大物だった人に撃たれたせいだって……おまけに水曜日に私と村主君を襲ったのはその組織の生き残りみたいで……」
「他には?」
歩美の問いに哀は黙って首を横に振った。
「それ以上聞けなかったわ。情けないわよね、コナン君にはえらそうに『自分の過去から逃げたくない』なんて言ったくせに」
「哀……」
「歩美、私……怖い……もっと凄い事実が隠されてるような気がして……」
「……」
元来隠し事が嫌いな性分だけに歩美の胸が痛む。しかし、すべてを打ち明けるにしてもそれが自分の役目ではない事も分かっていた。
歩美はキュッと唇を噛むと「……ねえ、小さい頃私が言った事、覚えてる?」と呟いた。
「え…?」
「『お姫様でも悪い魔法使いでも私の親友だ』って言ったよね?今でもその気持ちに変わりはないから。私は……ずっと哀の傍にいるから」
「歩美……」
何もかも包み込むような親友の笑顔に哀は泣き笑いのような表情でこくんと頷いた。



「『灯台下暗し』とはよう言うたもんやなぁ」
帝丹小学校近くの住宅街の一角に止めた愛車から降りると平次が呟いた。
「ああ」
名前を聞いただけではピンと来なかったものの、目の前にそびえ立つ大鳥居にコナンはそこが阿笠や哀達と昔何度か訪れた場所である事を思い出す。
「行くぞ、服部」
「おう、望むところや」
コナンは平次とともに境内へと歩を進めた。