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「……どうやらやっこさん、化けの皮を剥いだみたいやなぁ」
緊迫した雰囲気にそぐわないのんびりした声が聞こえたかと思うと、いつの間に戻ったのか平次の姿があった。
「ああ、ご丁寧にこんな招待状を寄越しやがった」
コナンが携帯を渡すと「ほお……工藤、お前の行動パターンすっかり読まれとるやないか」と苦笑する。
「みたいだな。もっとも、その方がこっちも堂々と乗り込めるってもんだ」
「せやな」
不敵に微笑むコナンと平次の様子に哀は戸惑いを隠せない様子だ。
「ね、ねえ、コナンく……じゃないわね、く、工藤君」
「コナンでいいぜ。今のオレは『江戸川コナン』以外の何者でもねえからな」
「……」
きっぱり言い切るコナンの様子にしばし黙り込んだ哀だったが、「まさか……一緒に来る気じゃないでしょうね?」と探るような視線を向けた。
「おめえ一人で行かせられる訳ねえだろ?」
「そんな……ダメよ!あの人達の狙いは私なのよ!私さえ行けば済む話でしょ!?」
「言っただろ、オレはお前を守りたいって」
「私には……あなたに大切に想ってもらう資格なんて……」
「資格もくそもねえよ。オレが勝手にそう思ってんだからさ」
「でも……」
「……ま、惚れた弱みっちゅうやつやな」
平次がニッコリ笑うと哀の肩を優しく叩く。
「大体、向こうも哀ちゃん一人で来るとは思ってないみたいやで」
「え…?」
「そのメール、『一人で来い』って書いてないやろ?そう書いたところでどうせコイツがついて来ると踏んどるっちゅう証拠や。勿論、オレも加勢するしな」
「……」
「なあ、服部」
黙り込んでしまった哀に代わりコナンが口を開く。
「何や?」
「ちょっと……いいか?」
「あ、ああ」
さすがに長い付き合いだけあり二人きりで話したいというコナンの意図は敏感に伝わったようだ。
「柚木先生、少しの間哀をお願いします」
コナンは杏香に頭を下げると平次を外へ促した。



あてもなく参道を歩いていたコナンと平次だったが、突然視界が開け僅かな電灯で灯し出された池が現れた。満月が近いせいか湖面に映る月明かりが眩しい。
「何やデートスポットみたいな場所やなぁ」
「ああ。お互い一緒に来る相手が違うけどな」
「せやな」
漫才のような会話は一瞬だけだった。平次が真剣な表情になると「で……何の話や?」と切り込んで来る。その様子にコナンは胸が痛んだが、決意するようにフッと一息つくと「服部、おめえはここまでにしてくれねえか?」と、平次の方に振り返った。
「ここまでって……何がや?」
「おめえはこれ以上この件に関わるなって事だ」
「なっ…!」
コナンの台詞によほど驚いたのだろう。一瞬、言葉を失ったように口をパクパク動かした平次だったが「工藤、お前……何水臭い事言うねん!?」と、食って掛かるように叫んだ。
「おめえの事だ。どうせさっき席を外した時、高木警部に連絡して警察を辞める覚悟は出来てるとでも伝えたんだろ?」
「そ、それは……」
「……図星か」
相変わらず正直な親友にコナンは苦笑した。
「色々協力してくれた事には本当に感謝してる。だが……これ以上、おめえを巻き込む訳にはいかねえ。おめえにも守るべき大切なものや夢があるからな」
「工藤……」
「それに奴らを一網打尽にするには頭数も必要だ。今の段階では警察も動けねえだろうが、おめえが橋渡し役になってくれればそれも可能になる」
「……」
「心配すんなって。絶対生きて戻って来てやっからよ」
「……久し振りやなあ、お前のその強気の台詞」
平次は感慨深そうに呟くと「任せとき。日本警察のメンツに懸けて一人残らず捕まえたる」と、ニヤッと笑みを浮かべた。
「頼んだぜ」
「それはそうと……なあ、工藤」
「あん?」
「お前……毛利の姉ちゃんの事、哀ちゃんに言わへんかったんやなぁ」
「聞いてたのか……」
「途中からやけどな」
「蘭の事はあくまでオレと蘭の問題だ。アイツには関係ねえからな」
「せやけど……もし哀ちゃんが完全に記憶を取り戻したら……そん時はどうするつもりや?あの子の事や、絶対自分を責めるで」
「それは……」
「目の前の問題が片付いてからでもええ、きちんと話しておいた方がええんとちゃうんか?」
「……」
親友の忠告にコナンは何も言えなかった。



平次と別れ、哀と杏香の元へ戻ると既に赤井と黄悠大も引き返していた。
「連中からコンタクトがあったようだな」
コナンの顔を見るや否や赤井が口を開く。
「ああ」
「で……どうするつもりだ?」
「人質がいるからな。指示に従うしかねえだろ?」
「志保を奴らの元へ行かせるつもりか?」
「止めたところで無駄だと思うぜ?」
コナンはフッと笑うと哀の方に視線を投げた。赤井の厳しい視線に一瞬たじろいだ様子の哀だったが、「……行きます。怖くないと言えば嘘になりますけど、私のせいで歩美は誘拐されたんです。黙ってじっとしているなんて出来ません」ときっぱり言い切る。
「……やれやれ、誰かさんの影響は大きいようだな。よし、じゃあ乗り込むのは俺と坊主と志保、それから……あんたも来るんだろ?」
赤井の視線が杏香を捉える。
「明美との約束を守るためには仕方ないな。ただし、お前らと組むのは今回限りだという事を忘れるな」
「上等だ」
赤井は満足そうな笑みを浮かべると「黄、お前は海里君の傍にいてやってくれ」と、悠大の方に振り返った。
「平和な暮らしを送っているお前達親子をこれ以上振り回す訳にはいかないからな」
コナンには赤井の胸中が手に取るように分かった。自分にとって平次がそうであるように赤井にとって悠大は大切な友人なのだろう。
「シュウ、お前の気持ちは嬉しいがな、どうやらそうもいかないようだ」
悠大が苦笑いを浮かべると突然背後の襖を開ける。そこにはいつの間にか意識を取り戻し、こちらの会話に聞き耳をたてている海里の姿があった。
「父さん…!」
「気が付いたならこっちへ来ればいいだろう?」
「何となく話の腰を折るのは気が引けたから……」
「黄……大丈夫か?」
コナンは立ち上がると海里の身体を支えた。
「オレの事はいい!江戸川、吉田さんが奴らに誘拐されたって本当なのか!?」
「あ、ああ」
「だったら……オレも一緒に行かせてくれ!」
「バカ言うな、その怪我で何が出来る?」
「これくらい平気だ!絶対足手まといにはならない!約束する……!」
「黄…?」
懇願する海里にコナンが首を傾げると、「ねえ、コナン君、黄君も一緒に行かせてあげてくれない?」と哀が口を開いた。
「あん?」
「黄君、歩美の事が好きなのよ。だから……」
「オ、オレは……そ、そ、そんなっ……ち、ち、ち、違っ……!!」
真っ赤な顔で必死に否定しても説得力はない。そんな海里の様子にコナンは「……ったく。仕方ねえな」と苦笑した。一方、父親である悠大は息子の気持ちなどとっくにお見通しだったようで「ほら、な」と、赤井に向かって肩をすくめている。
「それはそうと……黄、黒幕は村主に間違いないな?」
「どうしてそれを……!?」
「色々考えたがそう考えるとすべて筋が通るからな」
「そうか……さすが伝説の名探偵、工藤新一だな」
感心したように呟く海里に「まだ生きてる人間に『伝説』はやめろよな」とコナンは顔をしかめた。
「そういえば……村主浩平について面白い事が分かったぜ」
ふいに赤井が口を開くと一枚の紙を差し出してくる。
「これは…!」
「村主家の資金ルートを追っていたらこんなものが出て来たって訳さ。どうやら連中はかなり前からAPTX4869の開発者である志保の行方を追っていたようだな」
その資料によると表向きは別の人間の名義になっているものの米花総合学園の実質的経営者は村主家だった。村主浩平が組織の元幹部、コアントローだとしたら、ガス室からシェリーが消えたからくりに気付くのは容易いだろう。そして彼女によって書き換えられた工藤新一の死亡確認というデータにも疑問を抱くはずだ。
「学校経営を隠れ蓑にオレ達を探していたという訳か……」
「優秀な子供を集めればお前と志保に辿り着く可能性は高いからな。米花総合学園こそお前達に仕掛けられた罠だったという訳だ」
「しかし……だとすると一つ分からねえ事がある」
「なぜ私が講師としてあの学園に潜り込めたか……だろう?」
コナンの疑問を見透かすように杏香が不敵に微笑んだ。
「そうです。村主がジンのライバルと言われた程の人物ならあなたの事も当然知っていたでしょうから……」
「確かに……『マラスキーノ』というコードネームは知っていただろうな。だが私がそのマラスキーノだという事はジンも知らなかった話だ」
「え…?」
「言っただろう、私の存在は組織でもごく限られた人間しか知らなかったと。それに講師採用に関わったのは奴らとは無関係な連中ばかりだからな」
「……」
ますます深まる杏香の謎にコナンが黙り込んだ時だった。
「ね、ねえ、コナン君」
それまで黙って周囲の会話に耳を傾けていた哀が遠慮がちに声を掛けて来る。
「どうした?」
「あの……」
言いよどむ哀にコナンは「……少し外の空気でも吸うか?」と微笑んだ。その言葉に哀が黙って頷く。
「すぐ戻りますから」
有無を言わせない口調でそれだけ告げるとコナンは哀とともに小屋のようなその建物を後にした。



暗い参道を黙々と歩くうちに境内を一周してしまったらしく、気が付くと目の前に本殿が見えた。さすがに時間が時間だけに人影はまったくない。社務所近くの休憩所に腰を下ろすと月明かりが二人を優しく包み込んだ。
「そういえば……おめえ、知ってっか?」
思い出すように呟くコナンに哀が「え……?」と首を傾げる。
「和葉姉ちゃんに聞いたんだけど、ここのお守り、願い事が叶うって有名なんだってさ」
「そう……」
「今度買いに来るか?お互いそんな柄じゃねえけどよ、たまには神様ってヤツを信じてみるのも悪くねえだろ?」
「……」
世間話から何とか哀の重い口を開かせようとするものの哀は再び黙り込んでしまう。
(赤井捜査官達も心配するだろうし……あんまり長居も出来ねえよな)
コナンはフッと息をつくと「おめえ、オレに何か言いたい事があるんだろ?」と哀の顔を覗き込んだ。一瞬、ドキッとしたような表情を見せた哀だったが無言のまま顔を背けてしまう。
「ずっと黙ってた事、怒ってんのか?」
「……」
「過去から逃げたくないっていうおめえの気持ちを踏みにじって来た事は謝る。だが……オレも博士もおめえを混乱させたくなかったんだ。幼児化なんて話、普通じゃ考えられねえからな」
「……」
「それに……話しちまったくせになんだがオレ自身まだ迷ってるんだ。今のおめえに辛い過去を背負わせる事が正しいのかどうか分からなくてさ。実際……歩美には大反対されたし。アイツ、おめえの事大切に思ってるからな」
「『大切に思ってる』……か」
歩美の名前に反応するかのように沈黙を守っていた哀が口を開く。
「いい気なもんよね……遠い親戚っていう言葉を鵜呑みにして……何も知らずに十年近くも博士やフサエさんに甘えて生きてきて……歩美達とのんびり学生生活なんか送って……」
「哀……」
「おまけに……自分が作った薬の被害者とも知らずに……あなたに恋して……」
「え…?」
思いがけない哀の言葉にコナンは自分の耳を疑った。
「哀、おめえ……」
「本当……バカよね……」
自嘲するように呟く哀の瞳から大粒の涙が零れ落ちる。
「……ごめんなさい!私……あなたの人生を大きく狂わせてしまった…!あなたから本当のあなたを奪ってしまった……!」
「お、おい……!」
「謝って済まされる話じゃないけど……ごめん……な……さい……」
「哀……」
感情の昂りを抑え切れず子供のように泣き叫ぶ哀をコナンは黙って抱き寄せた。おそらく記憶を失う前の彼女は口にこそ出さなかったもののずっとこんな思いを抱いていたのだろう。それだけならまだしも、組織の追跡に怯え、蘭との確執に悩んでいたのだ。華奢な身体でよくこれほどの重圧に押し潰されなかったものだと今更ながら感心させられる。
「……十年近く待った甲斐があったな」
コナンはフッと微笑むと哀の頬を掌で包んだ。
「やっとおめえが辛い思いを素直に打ち明けてくれる日が来たんだから……」
「私……あなたにどう償ったら……」
「オレの望みはただ一つ。何があってもオレと一緒に生き抜いてくれ」
「コナン…君……」
「哀、オレ……おめえが好きなんだ。愛してる。だから……」
「私も……私も愛してる……」
次の瞬間、どちらからともなく目を閉じたコナンと哀の唇が重なった。