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「最後にもう一度聞くが……おめえら本当について来る気か?」
黄色のビートルが目的地に到着するとコナンは後部座席に座る元太と光彦の方に振り返った。
「コナン、お前しつこいぞ!」
「何度聞いてもボク達の答えは変わりませんから!」
言い出したら梃子でも動かないところは幼い頃と全く変わっていない。運転席の阿笠もその辺はよく分かっているようで「止めても無駄なところは君と同じようじゃな、新一君」と苦笑している。
「……ったく」
コナンは眉をひそめると「いいか、勝手な真似するんじゃねえぞ」と呟いた。
土曜日の午後9時近くという事もあり米花総合学園は静寂と暗闇にすっかり包まれている。
「……よし、そろそろ行くぞ」
前方に停まる車から赤井が降り立つ様子が見え、コナンが助手席のドアに手をかけた時だった。
「コナン君、ちょっと待って」
月夢神社を出てからずっと沈黙を守っていた哀が口を開く。
「どうした?」
「その……」
珍しく言いよどむ哀の様子にコナンはフッと笑うと「最後になるかもしれないからきちんと礼を言わせて欲しい……違うか?」と、悪戯っ子のような視線を投げた。
「ど、どうして…!?」
「バーロー、何年一緒に暮らしてると思ってんだ?おめえが考えそうな事くらいお見通しさ」
「……」
「意地悪」と言いたげにコナンから視線を逸らす哀の瞳に元太と光彦の笑顔が映る。
「礼なんて水臭い事考えるなよな、灰原」
「そうですよ、ボク達仲間じゃないですか」
「元太君……光彦君……」
「最後なんて縁起でもない事を考えるもんじゃない。必ず戻って来るんじゃぞ。フサエさんともそう約束したじゃろう?」
「博士……」
「十年近く家族同然に暮らしてきたんじゃ。哀君の『花嫁の父』の役目を果たすまでわしは死んでも死にきれん」
「『花嫁の父』じゃなくて『花嫁の祖父』の間違いじゃねえか?」
「コレ、一言余計じゃ!」
場の空気を一変させる元太の突っ込みに哀はやっと笑顔を取り戻した。
「じゃ、博士、後方支援頼んだぜ」
「新一、哀君を頼むぞ」
「分かってるって」
コナンは助手席のドアを開けると車を降りた。哀、元太、光彦が後に続く。
「遅いぞ」
四人の足音に気付いた赤井が振り向きもせず呟いた。その傍には杏香と黄親子の姿もある。
「すみません」
「これならお前にも使いこなせるだろう」
手渡されたのはコルトローマンMk.IIIだった。
「志保」
続いて哀に同型の銃が差し出される。
「昔の事は分かりませんけど……今の私に拳銃なんて……」
「お前なら出来るはずだ」
躊躇う哀にきっぱり言い切ったのは杏香だった。
「でも……」
「的を狙うという意味では弓も銃も同じだ。違うか?」
その言葉にコナンはハッと杏香の方に振り返った。
「まさか……先生がコイツを弓道部に誘ったのは昔の勘を取り戻させるためだったんじゃ……?」
「他にどんな目的がある?」
「……」
今更ながら杏香の思惑を知りコナンは思わず絶句した。
「用心に越した事はない。持っていろ」
有無を言わせない赤井の口調に黙って銃を受け取る哀だったがその手は微かに震えていた。
「しかし……本当について来るとはな」
赤井が呆れたように元太と光彦を見る。
「ボク達だって何かお役にたてるはずです!」
「六人より八人の方がお徳だぞ!」
赤井相手にもまったく怯む様子のない二人にコナンは思わず苦笑した。
コナンとしても阿笠はともかく、元太と光彦に歩美が誘拐された事や今夜敵陣に乗り込む事を知らせるつもりなど全くなかったのだ。しかし、その情報は思わぬところから彼らの耳に伝わってしまった。なんと拉致された歩美が探偵バッジで連絡して来たというのである。少年探偵団を気取っていた当時は何かあればお構いなしに全員に送信してきた歩美だが、コナンに連絡すれば哀の耳にも入ってしまうと懸念して元太と光彦だけに送信してきたらしい。それは「灰原の耳には絶対入れるなって歩美にきつく言われたんだけどよお……」という元太の台詞からも簡単に想像出来た。
かくして事情を知った二人が阿笠邸に押しかけ、阿笠、フサエとともにコナン達がいる月夢神社へやって来たのが午後八時。コナンの説得でフサエは阿笠邸に留まる事を了承したものの、他の三人が黙っているはずはなく、結局同行する事になったのである。
「……上等だ」
肩をすくめ、一言そう呟くと赤井はそれ以上何も言わなかった。



正門に鍵は掛かっておらず侵入するのは容易かった。赤井を先頭に気配を押し殺しながら校内を小走りに駆けていたコナン達だったが、中庭に出た途端、数人の人間に取り囲まれる。その姿からは男か女かも分からなかった。
「早速、歓迎のご挨拶か」
赤井が愉快そうに呟くとM60を構える。杏香、黄悠大がそれにならうように拳銃を取り出した。
コナンもキック力増強シューズのスイッチを入れ、懐から銃を取り出そうとするが思いがけず赤井に制される。
「ドンパチはお前の得意分野じゃないだろう。第一、お前にそいつを渡したのはあくまで最終手段として使用させるためだ。忘れるな」
「……」
赤井の厳しい口調にコナンは大人しく銃から手を放した。今、コナンが銃を携行していられるのは赤井の好意によるもので、いくら探偵といえど本来なら拳銃の使用はおろか所持さえ認められていないのだ。
「それより雑魚は俺達に任せてお前はこいつらと先に進め」
「え?」
「この人数相手にいちいち手加減してたらこっちがもたねえからな。黒幕の元へ進めば進むほど手強い連中が相手になるだろうが、その分人数は減るはずだ。一人や二人ならあの博士が作った妙な武器でも何とかなるだろう?」
ニヤッと笑う赤井にコナンは黙って頷くと腕時計型ライトのスイッチを入れ、哀の手を握り締めた。
「哀、何があってもオレの傍を離れるんじゃねえぞ」
「コナン君……」
「元太、光彦、黄、一緒に来い!」
弓道場に向かって駆け出すコナンと哀に元太達三人が続く。それを追いかけようとする人影を赤井が遮った。
「ガキどもの後を追いたかったらまず俺達を倒す事だな」
その表情にはどこか余裕さえ感じられた。



暗闇の中、腕時計型ライトの光だけを頼りに中庭から校舎の間を抜け弓道場へ向かう。途中、襲って来る敵はコナンのキック力増強シューズと麻酔銃、元太と海里の技の餌食となった。
「それにしても……博士の発明品も随分改良されているんですね」
何人目かの敵がコナンの麻酔銃で意識を失う様子を見て光彦が呟く。
「あん?」
「コナン君の麻酔銃、以前は一本しか針を装填出来なかったじゃないですか」
「ああ。今は一度に十二本セット出来るしマガジンの交換も簡単に出来るようになったからな」
「このライトも性能アップしてるのか?」
元太が腕にはめた時計に視線を落とす。
「博士の話じゃ一回の充電で24時間保つらしいぜ」
すべては今回のような事態を考えてこの約十年、研究を重ねた阿笠の努力の賜物だった。それだけ阿笠にとって哀は娘同然なのだろう。その胸中を思いコナンは改めて気を引き締めた。
武道場の前を抜けると弓道場の入口が見える。物陰に身を潜め様子を窺うが周囲に人影はなかった。最終目的地に辿り着いた事もあり、さすがに緊張しているのか、いつもだったら黙っていても勝手に行動する元太と光彦も大人しくコナンの指示を待っている。
「コナン君、そろそろ時間だわ。行かないと……」
意外にも行動を促したのは哀だった。歩美の事が心配で仕方ないのだろう。
「そうだな」
コナン自身、相手の出方を窺ってばかりいるのは性に合わない。
「いいか、この先どんなトラップがあるか分からねえから気をつけろよ」
念のため全員に腕時計型ライトのスイッチを消すように指示するとコナンは弓道場の入口に忍び寄り、静かに扉を開けた。中は真っ暗で人がいる気配はない。しかし、追跡メガネのスイッチを入れると歩美の探偵バッジの反応があり、間違いなくこの中に彼女が監禁されている事を告げていた。
「何だよ、誰もいねえじゃんか」
「一体どうなっているんでしょう?」
「吉田さん、いるのか?」
「お、おい、おめえら、迂闊に入るな!」
さっさと射場へ入って行ってしまう元太達をコナンが止めようとした瞬間、突然床が開き、三人はあっという間に飲み込まれてしまった。
「元太!光彦!黄!」
慌てて射場へ入ったコナンと哀を眩しい光が照らし出す。
「ようこそ、江戸川君、灰原さん」
穏やかな声にその方向を見ると村主浩平が立っていた。その手には拳銃が握られている。
「……いや、工藤新一にシェリーと言うべきか?」
「お前がAPTX4869で幼児化した人間だったとはな。しかもあの組織の一員、コアントローだったとは驚いたぜ」
「ほう……そこまで掴んでいるとは流石だな。そうさ、組織を裏切ろうとしていた事をジンに悟られあの薬を飲まされたんだ」
「裏切ろうとした……だと?」
「ジンのライバルとまで言われたこのオレを組織は蜥蜴の尻尾のように切ろうとしたからな。もっとも、そのお陰で貴様ら二人が生きている事を掴み、組織が崩壊した時もオレは逆に難を逃れる事が出来た。オレは村主浩之介という架空人物を仕立て上げ、その養子として生きてきたんだ」
「なるほどな。で?今更APTX4869に何の用があるってんだ?」
「あの薬の究極の目的、不老不死の実現に決まってるだろう?完成すれば世界を意のままに動かす事が出来るだけでなく莫大な金を得る事も可能だからな。しかし、薬学会のマッドサイエンティストと言われた川上にもお手上げだった以上、完成させるためには開発者であるシェリーを探し出すしか方法はなかった。だから米花総合学園を創立し、貴様らが網に引っ掛かるのを待っていたのさ」
「残念だけど……今の私にそんな薬を開発出来る力なんてないわよ」
コナンと浩平の会話を黙って聞いていた哀が口を開く。
「シェリー、たとえ君が記憶を失っていたとしてもその頭脳が失われた訳ではないだろう?君が組織にいた当時のAPTX4869のデータはすべてオレが所持している。それを元に研究を進める事は出来るはずだ」
「……」
「それに……君の大切な友人の命はオレが握っている。ノーとは言えないんじゃないか?」
「……分かったわ。その代わり歩美には絶対手を出さないで」
「いいだろう。ただし、君にはもう一つ要求がある」
「もう一つ…?」
「その男を君の手で殺すんだ」
浩平の冷たい視線がコナンを捉えた。



「久しぶりに銃を扱う割に腕は鈍っていないようだな」
目の前の敵を銃身で殴って気絶させると、赤井は悠大に呟いた。
「さすがに包丁ほど上手くは扱えないけどな」
肩をすくめ、冗談を口にする悠大の様子からも余裕が出て来た事を実感する。実際、赤井達を取り囲んでいた人間は大方気を失って地面にのびていた。
「……それよりシュウ、あの女、一体どこへ行ったんだ?」
悠大の言葉に周囲を見回すといつの間にか杏香の姿が消えていた。
「簡単にやられるようなタマじゃないだろう。放っておいても問題ないさ」
「誤魔化すな。彼女の事、気になってるんだろ?色々な意味で」
「まあ……そうだな」
相変わらず鋭く自分の胸中を見透かす旧友に赤井は苦笑した。



「……痛ってぇ〜」
日頃から部活で散々絞られているだけの事はあり、とっさに受け身をとった元太だったが、さすがに落下の衝撃は凄まじく思わず悲鳴を上げた。
「おい、大丈夫か?」
海里が心配そうに見つめている。
「何とかな。お前はどうなんだよ?」
「オレは日頃から色々訓練してるから……それより円谷は?」
「あっ!」
慌てて周囲を見回すと少し離れた所で光彦が気を失っていた。
「おい、光彦!しっかりしろ!」
駆け寄って頬をはたくと「……元太君?」と意識を取り戻す。
「ボク達一体……?」
「射場の床に奈落のような仕掛けがあってそこから落ちたんだ」
ぶっきらぼうに答える海里に元太と光彦は天井を見上げた。かすかに光が漏れてくるが3メートルは裕にあるだろう。
「光彦、お前、怪我は?」
「ちょっと足を挫いたみたいですね……」
体育の授業で少しだけ武道を囓った経験しかない光彦には受け身などとれるはずもなく、捻挫で済んだだけ幸運だったというべきだろう。
「とりあえず応急処置しなくちゃな」
元太がタオルを取り出すと互い違いに引き裂き、即席の包帯を作って光彦の足に巻き付けていく。
「なんか……懐かしいですね」
「懐かしい?」
「このやり方、昔コナン君がボクに教えてくれたんです。灰原さんの手当てをした事もありましたし……」
一瞬、しんみりした口調になった光彦だったがコナンと哀の名前にハッと現実に引き戻された。
「そういえば……コナン君達は!?」
慌てて探偵バッジを取り出し、送信するもののコナンからも哀からも応答はない。
「まさか……二人とも……」
「あいつらがそんな簡単にくたばるかよ!」
「でも……」
「分かっているのはアイツらはこのトラップに引っ掛からなかったって事だ。そうだろ?」
見えない状況に苛つく二人をなだめるように海里が呟く。
「そうですね。とにかくここから早く脱出しないと……」
腕時計型ライトのスイッチを入れ辺りを照らし出すとどうやら何もない箱のような空間に閉じ込められている事が分かる。
「どこかに出口があるはずだ。手分けして探そう」
海里の言葉に元太と光彦は黙って頷いた。