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自分を捉える冷徹な視線を正面から受け止めながらもコナンの頭は自分達が置かれた状況を冷静に分析していた。敵は浩平を含め五人、全員拳銃を所持している。麻酔銃が届く距離ではないし、キック力増強シューズを使うにしても同時に倒すのは二人が限界だ。おまけに配下と思われる男の一人が歩美を羽交い締めにしている。歩美は後ろ手に縛られ、猿ぐつわを噛まされているものの幸い怪我はなさそうだ。
(……仕方ねえな)
飛び道具に対抗出来るのは飛び道具しかない。『最終手段』という赤井の言葉を肝に銘じつつ懐の拳銃に手を掛けた時だった。
「悪いけど……答えはノーよ」
突きつけられた要求を跳ね返すような凛とした声に哀を見たコナンは驚きのあまり自分の目を疑った。いつの間にか哀の手には拳銃が握られ、その銃口は浩平に向けられている。
「コナン君」
囁くような小声で自分の名を呼ぶ哀にハッと我に返る。
「彼らの狙いがAPTX4869なら私を殺す事は出来ないはず……私が注意を引きつけるわ。お願い、その隙に歩美を助けて」
「哀……おめえ、楯になるつもりか!?」
「コナン君はこの十年、ずっと私を守ってくれた……今度は私がコナン君を守る番よ」
「『今度は』って……」
十年前、ジンと最後に対峙した時、蘭を人質に取られ身動き出来なくなっていた自分を助けてくれたのは紛れもなく哀だ。そしてその時告げられた彼女の想い、気付いてしまった自分の心……コナンの中で『あの時』が鮮明に蘇る。
「確かに……組織にいた当時、研究員にしては君の拳銃の腕はたいしたものだったよ。だが、このオレに敵うとでも思ってるのか?」
「無理でしょうね。でも刺し違える事なら可能かもしれない……これ以上私のせいで大切な人達を傷付ける事は出来ないわ……!」
「哀!やめろ!!」
制止しようとするコナンの手を振り払うと哀は一歩前へ進み出た。
哀の毅然とした態度を不愉快そうに見つめていた浩平だったが、やがて喉の奥でクックッと笑い出す。
「……どうやら記憶を失くしたとはいえ君の本質的なところは十年前と少しも変わってないようだな」
「私の…本質的なところ……?」
「聡明で冷静なくせに変なところ頑固で……もっとも、だからこそジンの奴も君に執着したんだろうが……」
その瞬間、瞳に映る浩平の姿に長い銀髪の男の姿が重なり哀の頭を強烈な頭痛が襲った。
(何……この既視感……?)



「あったぞ!」という元太の声に駆け寄った光彦と海里が見た物は鉄で出来た幅50センチほどの梯子だった。
「これで地上へ戻れるんじゃねえか?」
「しかし小嶋、円谷のこの足じゃ無理だ」
「それに……上へ登って行ったとしてこの空間からどうやって出られるんでしょう?」
さすがに腕時計型ライトの光は天井まで届かない。
「それは……」
光彦と海里の冷静な突っ込みに言葉を詰まらせるものの、それで退く元太ではなかった。
「光彦はオレがおぶってやっからよ、とにかく行ってみようぜ!ジッとしてても仕方ねえしよ!」
「……」
元太の言葉に少しの間考え込んだ光彦だったが「……無理しないで下さいよ」と呟くと、その背中に身体を預けた。幼い頃からの付き合いで元太の性格は知り尽くしている。
「確かにな」
無鉄砲な二人に呆れつつ海里自身もここでのんびり助けを待つ気はなかった。
「黄、フォロー頼む」
元太が放り投げた腕時計型ライトを黙ってキャッチすると海里が梯子を照らし出す。いつの間にか三人の間に連携プレーが成立するようになっていた。
「しっかり掴まってろよ!」
気合いを入れ梯子を登り始める元太だったが、突然、行く手を遮るように銃声が聞こえたかと思うと元太の手元で火花が散った。
「ワッ!!」
思わず梯子から手を放してしまった元太は背中の光彦とともに落下し、派手に尻餅をついてしまった。
「誰だっ!?」
銃声が聞こえた方向に振り返った海里の目に黒革の上下に身を包んだ女の姿が映る。
「あんた達の相手はこの私よ」
「……」
数だけ考えれば3対1でこちらの方が圧倒的に有利だ。だが、相手は拳銃を持っている上こちらには足を負傷した光彦がいる。それに女にはまったく隙がなかった。
(どうする…?)
冷静に状況を判断する海里だったが元太の行動までは予測出来なかった。
「うるせー!オレ達はこんな所でグズグズしてる暇ねえんだよ!」
止める間もなく女に向かって突進して行ってしまう。
「小嶋!」
海里は舌打ちすると慌てて元太に続いて女に向かって行った。
「バカな坊や達……」
「ハーッ!!」
正面から女に掴みかかった元太の身体が宙を舞う。
「グハッ!!」
「小嶋!クソッ…!」
続いて海里が繰り出した蹴りも虚しく空を切った。
「……!?」
「柔道に中国拳法ねえ……確かに少しは腕がたつようだけどまだまだ私の敵じゃないわね」
いつの間にか女は光彦の背後に回りその頭に銃口を突き付けていた。
「お友達の命が惜しかったら大人しくするのね」
「光彦……クソッ!」
が、女が優位に立てたのはここまでだった。ふいに光彦が胸のポケットから小さな試薬瓶を取り出すと中の液体を女にぶっ掛けたのである。
「……!?」
「今、あなたに掛けたのは濃硫酸です。ボク達三人をコナン君と灰原さんがいるところまで案内して下さい。さもないと水を掛けますよ!」
「なっ…!」
「濃硫酸に水を加えると溶解熱で瞬時に数百度になるんです。ここは密室ですし……効果は半端ないでしょうね」
「……」
淡々と告げる光彦に女はガクッと肩を落としその場に座り込んだ。
「……どうやらオレ達三人の中で一番の危険人物は円谷だったようだな」
海里が女に近付くと手から拳銃を取り上げる。
「それにしても……光彦、お前もやる時はやるな!」
「さすがに丸腰は危険だと思いまして。阿笠博士に頼んで用意しておいてもらったんです」
得意満面の笑みを浮かべる光彦に海里は苦笑した。
「……さてお姉さん、ボク達を地上へ案内して頂けますか?」
「案内も何も……その梯子を登って行けばいいじゃない」
「とぼけないで下さい。あなたがここから降りて来なかったという事はこの梯子はトラップでどこか別に出入口があるという証拠……違いますか?」
口惜しそうに顔を歪める女に光彦は自分の推理が間違っていない事を確信した。



「……元太君、大丈夫ですか?」
「ヘッ……このくらい何でもねえよ!」
心配顔の光彦に強気の台詞を口にするものの、実際のところかなり痛むようで元太は泣き笑いのような表情を浮かべた。
「骨は折れてないみたいだけど……」
さすがに長年サッカー部のマネージャーを務めているだけあり哀は冷静に腕の様子を観察するとテーピングをしていく。
「元太君、決勝どうするの?」
不安そうに自分を見つめる歩美に元太は「どうするって?」と首を傾げた。
「対戦相手、杯戸中の熊沢君だよ。夏の試合、熊沢君には得意の内股も通じなかったじゃない。おまけに腕を痛めてたら……どう考えても勝ち目ないよ」
「そうですね、どうせ勝てないなら棄権した方が……」
「バカな事言うなよ!棄権なんかしたらお前らと米花総合行けなくなっちまうじゃねーか!第一、手がダメなら足があるだろ!」
「元太君……」
「……止めても無駄みてえだな」
目を丸くして言葉を失う歩美の肩をポンッと叩くとコナンは苦笑した。



硬直した状況を打ち破ったのは「ガッ!!」という悲鳴だった。一瞬、何が起きたのか分からなかったコナンと哀だったが、自分を羽交い締めにしていた男に体当たりし、こちらに向かって駆け出して来る歩美に状況を理解した。歩美は唯一自由になる足で男の足を踏みつけたのだ。
「歩美…!」
弾かれたように哀が親友の元へ駆け出すのとコナンがどこでもボール射出ベルトから噴出されたサッカーボールを蹴り出したのはほぼ同時だった。ボールは浩平の拳銃を弾き飛ばし、その背後にいた男の顔面を強打した。
「クッ…!」
「コアントロー様!」
浩平を庇うように配下の男達が一斉にコナンに向かって発砲する。コナンはサッと身を屈めると哀と歩美の元へ駆け寄った。
「止せ!」
案の定、浩平が男達の動きを制する。その様子にコナンはホッと息をついた。
人質の歩美は取り返したし、哀が傍にいる以上撃ってくる事は出来ないだろう。後は赤井達や平次が仲間とともに乗り込んで来るのを待てばいい。
「二人とも大丈夫か?」
「私は平気。でも哀が……」
歩美の視線の先を見ると流れ弾に当たったのか哀の左腕から血が流れていた。
「心配しないで。大した事ないから……」
「とりあえず止血すっから」
「え、ええ……」
ブラウスの袖をまくり上げ患部を目にしたコナンは内心舌打ちした。傷は浅いものの撃たれた場所はちょうど発信機が埋め込まれた箇所だった。
「コナン君、哀の怪我どう?」
「え?あ、ああ、心配ねえよ。それより……歩美、おめえ無茶しやがって……!」
「だって……元太君の言葉、思い出しちゃったんだもん」
「元太の言葉?」
「『手がダメなら足がある』って受験の時言ってたじゃない。私も探偵団の一員である以上コナン君の足を引っ張る訳にはいかないからね」
「……ったく」
悪戯っ子のような笑みを浮かべる歩美に胸を撫で下ろしたのも束の間、ドオンという爆発音にコナンは緊張を取り戻した。
「何っ…!?」
「コナン君、あれ…!」
哀の指し示す方向に目を向けると体育館が炎に包まれていた。
「まさか…!」
コナンの頭を嫌な予感が過ぎった。それを見透かすように浩平が笑い声を上げる。
「貴様の事だ、この学園の経営者がオレだという事くらい既に掴んでいるんだろう?」
「……」
「気付いたようだな。そうだ、この学園のセキュリティーはすべてオレの手の中にある。つまり意のままに出来るという事だ!」
浩平は勝ち誇ったような笑みを浮かべると懐から小さなリモコンを取り出した。
「工藤新一、仲間を助けたかったらシェリーを渡せ!」
「クソッ…!」
どんな武器もリモコンのボタン一つ押すスピードには敵わない。八方詰まりの状況にコナンは唇を噛んだ。
「コナン君、私、行くわ」
「哀!?」
「今は元太君達や赤井さん達の身の安全を確保する事が最優先でしょ?」
「それは……」
「それに……信じてるから。コナン君なら絶対助けに来てくれるって」
「哀、おめえ……」
「コナン君、何とかならないの!?」
「歩美、コナン君だって神様じゃないのよ」
「でも……」
「心配しないで。あの人達の目的が不老不死の薬の完成である以上殺される事はないわ。もっとも……今の私にそんな物が開発出来るとも思えないけど」
「哀……」
不安そうに自分を見つめる親友に優しく微笑むと哀は浩平の前へ進み出た。
「やっと……オレのものになったな、シェリー」
「あなたの要求は飲んだわ。そのリモコンを私に渡して」
「君を完全にオレの支配下に置くまでその要求は飲めないな」
「そんなに私が信用出来ないかしら?」
「そういう組織だという事は君も……そうか、それも忘れてしまったのか。ある意味幸せだな」
「……」
皮肉めいた笑みを浮かべる浩平を哀が睨みつけた時だった。道具室の方向から銃声が轟き浩平の手中にあったリモコンを跡形もなく消し去った。
「誰だ…!?」
「相変らずジンに拘るつまらない男だな、コアントロー」
嘲笑うように呟き姿を見せたのは柚木杏香だった。意外な人物の登場と思いがけず呼ばれたコードネームに浩平が愕然としたようにカッと目を見開く。
「なぜ…貴様が…!?」
「マラスキーノ、それがかつてあの組織にいた時の私のコードネームだ」
「マラスキーノだと!?貴様が……あの方専属のスナイパーだった……!?」
相手が悪いと判断したのだろう。「シェリーは手に入れた、退け!」と配下の男達に指示を出すと浩平が哀の腕を引っ張った。
「させるか!」
コナンの拳銃が火を吹き短い悲鳴とともに哀が倒れ込む。
「なっ…!?」
突然倒れ込んでしまった人質に立ち往生する浩平の隙をつきコナンは一気に距離を詰めると麻酔銃を発射した。
「……!!」
「コナン君…!」
浩平が意識を失う様子を見て歩美が駆け寄って来た。足を撃たれ床に倒れ込む哀を抱き起こす。
「哀…!」
「歩美……」
「しっかり!今、救急車呼ぶから…!」
「大丈夫よ、心配しな……」
フッと笑った瞬間、再び強烈な頭痛が哀を襲った。視界がぼやけ意識が朦朧とする。
「哀……哀……!!」
必死に自分の名を呼ぶ親友に長い黒髪の少女の面影が重なった。
(わたしは……)
記憶が逆流し次々と現れては消える。映画のフィルムを逆回しして見ているような感覚に眩暈がした。
(ワタシハ……)
次の瞬間、哀は完全に意識を失った。