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その後はパニックだった。平次が警視庁の仲間と乗り込んで来て浩平達を確保したまでは良かったが、どうやら自爆装置もセットされていたらしく校内のあちこちで爆発音が轟き火の手が上がった。
幸い元太達三人が捕まえた女の情報で地下に村主邸の庭と繋がっている通路がある事が分かり全員難を逃れる事が出来た。怒号と喧騒が飛び交い、コナンが落ち着いて状況を見極められるようになったのは哀が搬送された米花総合病院で赤井達と合流した後だった。
「それにしても……人質を守るために人質の足を撃つとはな」
拳銃を受け取ると赤井が苦笑する。
「昔……毛利探偵が取った方法です」
「毛利小五郎、か。ああ見えて銃の腕は確からしいな」
「アイツには痛い思いをさせてしまいましたが……」
言葉を飲み込むコナンの肩を黄悠大が優しく叩いた。
「それはそうと……ありがとう、江戸川君、いや、工藤新一君と言うべきかな?お陰でコアントローを捕まえる事が出来た。妻の敵も取れたよ」
「こちらこそ色々ありがとうございました」
穏やかな微笑みとともに差し出された手にコナンは自分の手を重ねた。
「十年前、妻を殺され海里を守るためにFBIを退官した時、奴を捕まえる事は諦めていた。その私がまさかこの手で奴に手錠を掛けられるとは……夢にも思っていなかったよ」
「礼なら服部に言ってやって下さい」
「勿論、彼にも礼を言わせてもらうつもりだ」
「今後どうされるんですか?やはり上海に……?」
「まだそこまで考えてないんだが……海里の意志もあるからね。せっかく友達も出来たようだし」
悠大の視線の先には元太、光彦と談笑する海里の姿があった。
「それじゃ、シュウ、俺と海里はそろそろ警視庁へ移動するぜ。高木警部から事情を聞きたいと言われてるしな」
「そうか、じゃあ俺も……」
「お前は妹が落ち着くまでここにいろ。どうせ彼女から聞きたい事もあるんだろう?」
「彼女…?」
いつの間にやって来たのか柚木杏香が壁にもたれかかってこちらの様子を窺っていた。
「柚木先生、ちょっとお尋ねしたい事があるんですが……」
コナンが切り出すと「……そう来ると思っていたさ」と杏香が苦笑する。
「志保の事は吉田と医者に任せよう」
「オレもあんたには聞きたい事がある。黄、日本警察の方は任せていいか?」
「ああ」
「歩美、悪いが少しの間哀を頼む」
「う、うん」
踵を返し無言で歩き出す赤井と杏香にコナンも黙って後に続いた。



深夜の病院の屋上は誰一人いなかった。東京上空にしては珍しく空気が澄んでいるようで頭上にはいくつか星が瞬いている。
「……綺麗だな」
柵へ歩み寄り空を見上げる杏香にコナンは「柚木先生、十年前ジンを殺したのはあなたですね?」と切り出した。
「何だって…!?」
赤井が驚いたようにコナンを見る。
「ずっと分かりませんでした。あなたなのか村主なのか……でも、さっき先生が言った言葉で確信しました」
「私の言葉…?」
「『相変らずジンに拘るつまらない男』……この言葉から察するに村主はずっとジンに強いコンプレックスを抱いていたんじゃありませんか?ジンのライバルと言われつつ組織の中でナンバー2扱いされてたんじゃ……」
「……」
「ジンの存在に自分のプライドを傷つけられていた村主ならさっさと殺してしまうよりジンの悔しがる顔を見たがったはずです。実際、哀を自分のものにしたと思った瞬間の村主の顔はまるでジンを嘲笑うかのようでしたから。ジンが手に入れられなかったものを手に入れた満足感とでも言いますか……」
「……」
「それにジンを殺したのがあなたなら謎もすべて解けます。あなたが組織を去る前にやらなければならなかった事というのは親友の明美さんの仇を取る事だった。そして目的を果たしたあなたはオレ達と自分の身を守るため、この約十年オレ達に近付く事なくひっそりと生きて来た……違いますか?」
沈黙を守る杏香にコナンはポケットからハンカチに包まれたそれを取り出した。
「弓道場の床から発見しました。7.62×51ミリNATO弾……H&K PSG1もこの弾を装填しますよね?」
「この約十年……ずっと封印していたライフルさ」
杏香はフッと微笑むとコナンの方に振り返った。
「しかし……まだ分からない事がある」
赤井がコナンと杏香の会話に割って入る。
「当時なぜ俺達はあんたの存在に辿り着けなかったんだ?」
「その謎の答えは今、ジョディ先生が確認してくれています」
「ジョディ・スターリングが……?」
赤井の言葉を遮るようにコナンの携帯が鳴った。
「あ、ジョディ先生……そうですか、ありがとうございました」
「……どうやら私の正体もばれたようだな」
「ええ、ミスター・ジェイムスの計らいで極秘に証人保護プログラムを受け、彼直属の部下としてFBIに入局された柚木杏香捜査官、本名沢木(さわき)杏花さん……ですよね?」
「なっ…!」
さすがの赤井も驚いたように言葉を失う。
「当時、組織の資料からマラスキーノのコードネームを抹消出来るのは日本警察かFBIだけです。日本警察の線は服部が調べて否定してくれました。そうなると後はFBIしか残りません」
「さすがだな。月夢神社の先代宮司はボスの古い知り合いでな、すべてを承知で私の身柄を引き取ってくれたのさ」
「しかし……ボスがそんな事するならこの俺に一言くらい……」
「『敵を欺くにはまず味方から』と言いますし……」
悪戯っ子のような視線を向けるコナンに一瞬目を丸くした赤井だったが「……確かにな」と苦笑した。



病室のドアを開けると哀はベッドで静かに寝息をたてていた。コナンは壁際から折りたたみ椅子を持って来ると心配そうに哀を見守る歩美の横に腰を下ろした。
「歩美、医者は何て言ってたんだ?」
「腕の怪我も足の怪我もそんなにたいした事ないから五日もあれば退院出来るって」
「そっか……」
コナンはホッと息をついた。処置を担当したのが阿笠の知り合いの医者で哀の腕の発信器の事も了解済みだったのは幸いだった。
「元太達は?」
「博士の車で仮眠とってるよ」
「あ……」
「どうしたの?」
「悪ぃ、気がつかなくて。おめえも寝てなかったんだよな?」
「私は平気。哀の事も心配だしね」
「本当、女ってのはタフな生き物だぜ」
呆れたように呟くコナンに歩美はクスッと笑ってみせたがすぐに真剣な表情になった。
「……終わったね」
「ああ。だが……今回の事はあくまで通過点にすぎねえけどな。今後またどんな連中がオレ達を狙って来るか分からねえし……」
「一生……見えない敵と戦っていくつもり?」
「コイツと生きるって決めた時に覚悟した事さ。ビクついて逃げ回って生きるのは性に合わねえし。それに……」
「それに?」
「逃げてばっかじゃ勝てねえだろ?」
「あ……」
かつて自分が哀に切った啖呵を思い出し歩美は頬を赤らめた。
その時、病室のドアをノックする音が聞こえたかと思うとフサエが顔を出した。
「二人ともお疲れ様」
「フサエさん、世話かけちゃってすみません」
「家族に気を遣う必要なんてなくてよ。それより良かったわ、歩美ちゃんが無事で。哀ちゃん、あなたの事きっと凄く心配だったと思うから……」
さすがに長年哀の母親代わりを務めているだけありフサエは哀の性格を充分把握している。
「さ、ここは私に任せて二人とも少し休んでらっしゃい」
「オレは残ります」
「わ、私も平気です」
「警察の方もみえるし私一人で大丈夫よ。それに万一に備えて体力を温存しておく事も大切なんじゃない?」
フサエの言う事は正論だ。コナン自身、自分が疲れている事も実感している。
「お願い出来ますか?」
「勿論。何かあったら遠慮なく叩き起こすから心配いらなくてよ」
艶やかに微笑むフサエに頭を下げるとコナンと歩美は病室を後にした。



警視庁と病院の往復で一週間があっという間に過ぎ去った。
「じゃ服部、オレ、病院行かなきゃなんねえから続きは明日……」
「……ほんま、変われば変わるもんやなあ」
事情聴取を終えさっさと立ち上がるコナンを平次がしげしげと見つめている。
「な、何だよ?」
「一昔前の工藤やったら何を置いても事件やったっちゅうのに今は何があっても姉ちゃん優先やからな」
「し、仕方ねえだろ。フサエさん、今夜はどうしても抜けられない仕事があるってんだから……歩美のヤツもうるせえしよ」
「相変わらずあの娘には頭が上がらへんみたいやなぁ」
「『哀、意識取り戻してから塞ぎ込んでる気がして仕方ないの』って……そりゃそうだよな、あんな過去を話せば……」
「……」
「……服部?」
「実を言うとな、見舞いに行った時に和葉のヤツが同じような事言うとってん」
「和葉ちゃんが?」
「『哀ちゃん、元気ないんちゃう?』ってしきりに心配しとったんや。ここ何日かで色々あったからそのせいやて思っとったんやけど……女の勘っちゅうのはあなどれへんからなぁ」
「……」
「それはそうと……本当に送って行かんでもええんか?外、えらい雨やで?」
「バーロー、オレにかこつけて仕事サボるんじゃねーよ」
「あ、やっぱりバレてしもたか」
「大体、この時間帯じゃ地下鉄の方が早いしな」
「それもそうやな」
肩をすくめる平次に苦笑するとコナンはやって来たエレベーターに乗り込んだ。
警視庁の建物を出ると待っていたかのように探偵バッジが鳴る。受信スイッチを入れた途端「コナン君、大変なの…!」という歩美の泣き出しそうな声が飛び込んで来た。
「哀が……哀がいなくなっちゃった……!」
「なっ…!?」
「『ちょっとトイレに行って来るわ』って病室を出てってそれっきり……病院の中一生懸命捜してるんだけどどこにもいなくて……」
「アイツがいなくなってからどれくらい経つんだ?」
「15分……ううん、20分くらい……」
「分かった、オレも急いでそっちへ行くから!おめえは院内をもう一度捜してくれ!」
「う、うん……」
通話を切るとコナンは地下鉄の駅に向かって駆け出した。



「コナン君…!」
病室のドアを開けるや否や歩美が真っ青な顔で駆け寄って来た。
「哀は?」
歩美が黙って首を横に振る。コナンはベッドの横の引出しや金庫、クローゼットを調べていった。
「まさか……村主君の仲間が他にもいて捕まったんじゃ……!?」
「いや、それはねえよ」
「え…?」
「財布と服がなくなってる。靴もねえし……アイツが自分の意思で出て行った証拠さ」
「そんな……」
「歩美、博士に連絡は?」
「まだ……私、頭が真っ白になっちゃって……」
捜索に車が必要になるかもしれない。心配性の阿笠に連絡するのは気がひけたが黙っていてもどうせばれてしまうだろう。
病室を出て患者用談話室の公衆電話で哀がいなくなった事を告げると、案の定、阿笠の声が震えた。
「どうするんじゃ!?哀君の体内に埋め込まれておった発信器は壊されてしまっておるんじゃぞ!?」
「とりあえず心当たりを一つ一つ潰していくしかねえ。博士はいつでも動けるように家で待機していてくれ」
「ジッと待っとるだけなんてわしには……」
「バーロー、アイツがひょっこり家に帰って来たらどうすんだよ?」
「じゃったらフサエさんに連絡して……」
「今夜の商談がフサエさんにとって大切なものだって事くらい博士も分かってるだろ?」
「それはそうじゃが……」
「心配すんなって。絶対見つけてやっからよ」
半ば強引に納得させると通話を切る。
「おーい、コナン!」
ふいに大声で名前を呼ばれ振り向いたコナンの目に息を切らしながら走ってくる元太、光彦、海里の姿が映った。
「灰原さんがいなくなったって本当ですか!?」
「歩美から連絡があったのか?」
「ああ。初めて受ける連絡としては嬉しくない内容だったけどな」
海里が制服の胸ポケットから探偵バッジを摘み上げる。
「そういえば……灰原さん、探偵バッジは持ってないんですか?」
「ああ、黄のバッジをテストするのに博士が持って帰ったからな」
「そうですか……」
「アイツが行きそうな場所を手分けして捜すしかねえ。手伝ってくれるか?」
「当ったり前だろ!」
「ボク達、仲間じゃないですか!」
「遠慮なんてらしくないぜ」
三人の力強い言葉にコナンはやっと笑顔になった。
「よし、じゃあここは歩美に任せて元太と光彦、黄とオレの二手に分かれて捜そう」



「そっか……分かった、一旦戻って来てくれ」
光彦からの連絡にコナンは溜息をついた。四人の必死の捜索も虚しく丸一日が経過しても哀の行方はまったく掴めずにいた。
「私のせいだ……哀が元気ないって気付いてたのに……」
仕事を終えたフサエと交代し、阿笠邸に戻って来た事で緊張の糸が切れてしまったのだろう。それまで気丈にふるまっていた歩美の瞳から涙がポロポロと零れ落ちた。
「歩美、おめえのせいじゃねえよ」
「でも……!」
泣き崩れそうになる歩美の肩を海里が支える。
さすがにこれだけ捜して何の手がかりもない事にコナンも焦り始めていた。
(クソッ……どこ行っちまったんだ……!)
唇を噛んだその時、電話のベルが鳴った。慌てて受話器を取り上げる。
「哀、哀か…!?」
次の瞬間、思いがけない人物の声にコナンは愕然として言葉を失った。
「……新一?」
「蘭…!?」