「ん……」
眩しい光に平次は目を覚ました。どうやらいつの間にか眠ってしまったらしい。
(ここんとこあんまり眠ってへんかったからなあ……)
欠伸を噛み殺すと大きく伸びをする。
阿笠に「ちょい休んで来るわ」と言い残し、哀の病室前のソファに横になった辺りまでは記憶があるのだが、その後が全く思い出せない。
「ははっ……工藤にばれへんで良かったわ」
「誰にばれなくてだって?」
ふいに声をかけられ、ビクッとして振り向くとコナンが立っていた。
「く、工藤!?戻っとったんか?」
「ああ、多分お前が眠り込んですぐだったと思うぜ?大きないびきが轟いていたからな」
「は、はは……」
「心配すんな。博士はオレ達が戻って来るまで起きてたし、目暮警部が回してくれた私服警官もいるしよ」
「オレ達って……工藤、お前一人で戻って来たんちゃうんか?」
「ああ、思わぬ来客が来てな」



自分が入院した事はあるものの、人の入院の世話をした事はない。必要な物と言われても具体的に何を持って行けばいいのだろう……?
玄関のチャイムが鳴ったのはコナンが哀の部屋で手をこまねいていた時だった。
(誰だ?こんな時間に……)
組織の残党がわざわざチャイムを鳴らすとは思えないが用心に越した事はない。コナンは部屋の電気を消し、腕時計型ライトのスイッチを点け、麻酔銃の照準をポップアップすると階段を上がって行った。
「はい…?」
緊張しながらドアを開けると思いがけない人物が立っていた。
「あら?坊やは確か阿笠君の……」
阿笠の初恋の女性であり世界的にも有名なデザイナー、フサエ・キャンベル・木之下はサングラスを外すと驚いたようにコナンを見た。
「夜分ごめんなさい、ちょっと日本へ来たものだから……阿笠君はご在宅かしら?」
「あ……実は今、博士と同居してる女の子が入院してて……博士、ずっと付き添ってるんだ」
コナンは慌てて腕を背中へ回した。幸いフサエには何も気付かれなかったようだ。
「同居してる女の子って……ひょっとして阿笠君のお孫さんかしら?」
「孫じゃないよ。だって博士、独身だもん」
「え…?」
コナンの台詞にフサエが目を丸くする。五人の孫持ちだと思い込んでいたのだから無理はあるまい。
「ボクは江戸川コナン。博士の遠い親戚なんだ」
「そうなの……ねえコナン君、病院へ行けば阿笠君に会えるかしら?」
「うん」
「病院の場所分かる?」
「ボクが案内するよ。その代わりお願いがあるんだけど……」



「……で?あの小っさい姉ちゃんの入院準備をしてもろうた訳か」
「ああ。フサエさん、実のお父さんを病気で亡くしたらしくて介護の経験があったんだ。助かったぜ」
コナンは苦笑するとアイスコーヒーを一口飲んだ。
「で?そのべっぴんのデザイナーさんはどこにおんねん?」
「灰原の病室で博士と何やら話してたみてーだけど……」
米花総合病院内の食堂は早朝という事もあり人影はまばらだった。コナンと平次はその食堂でも一番奥の人目につきにくいテーブルで少し早目の朝食をとっていた。
「それが……どうやら例の組織に関する事みたいでさ」
「何やて!?」
「ファッション界にも組織の仲間がいたみてえだからな。フサエさんも色々大変だったみたいだぜ」
「まあファッションデザイナーなんちゅう人種は世界を股にかけるんが仕事みたいなもんやから暗躍組織には好都合やろうし……しゃあないかもな」
「ああ、おまけに親しかった知り合いが組織の人間だったらしくてさ。フサエさん、ショックでどうしていいか分からず博士を訪ねて来たみたいなんだ」
「そうやったんか」
その時、食堂の入口が開くと目暮がやって来た。
「おお、工藤君、服部君、ここだったか」
「警部、ボクの名前は『コナン』でお願いします」
「あ、ああ、すまんすまん」
目暮は苦笑すると空いている椅子に腰を下ろした。
「コナン君、君にとっていい知らせではないんだが……実は例の組織から押収した証拠品の中に君の身体を小さくしたというAPTX4869という薬に該当するデータが見当たらないんだ」
「データが…!?」
「警部ハン、きちんと調べてくれはったんですか!?」
「組織から押収したパソコンを使って情報管理専門の職員が総出で調べたんだ。間違いないよ」
「ジンが殺されたかと思ったら今度はデータの消失か……」
コナンは考え込むように顎に手をかけた。
「落ち着いとる場合やないやろ!?あの小っさい姉ちゃんが記憶喪失になってもうた上にデータが無くなってもうたら…!」
「ああ、そうだな」
「工藤…?」
コナンの態度に不審を抱きつつ平次はその場は言葉を飲み込むしかなかった。



目暮を病院玄関まで見送り、病室へ戻ると哀は静かな寝息をたてて眠っていた。
「……何があったんや?」
阿笠とフサエが朝食をとりに病室を出て行くと平次が口を開く。
「何がって?」
「とぼけたらあかん。昨夜この姉ちゃんが記憶失くしてんのが分かった時、メッチャ落ちこんどったお前が今は嘘のように落ち着いとるのはなんでや?」
「……」
「おまけに例の薬のデータが失くなっとるゆう知らせを聞いてもまるで他人事みたいな顔やったやないか。つまりや、お前を立ち直らせる何かがあったっちゅうこっちゃ」
「……やっぱおめえに隠し事は出来ねえみてえだな」
コナンは苦笑するとポケットから封筒を取り出した。哀が書いたと思われる工藤新一宛の手紙だった。
「読んでええんか?」
「ああ」
コナンから手紙を受け取ると平次は封筒から便箋を取り出した。意外な事にパソコンではなく手書きによるものだった。一言一言考えるように書かれたであろう文章には哀の想いが凝縮されていると言っても過言ではなかった。
「この手紙読んで決めたんだ。オレはこのまま『江戸川コナン』として生きて行くってな」
「工藤……」
「おめえの言いたい事は分かる。失うもののでかさも背負うものの重さも半端じゃねえからな。オレを信じて待っている蘭の事もある。けどよ、けど……やっぱオレ、コイツを失いたくねえんだ……」
コナンは眠っている哀の横に座るとその手をそっと握り締めた。
「……腹くくったちゅう事か?」
「ああ」
「この姉ちゃんの記憶が戻る保障もないっちゅうのに……ほんま強い男やな。ま、お前が工藤新一であろうと江戸川コナンであろうとオレにとっては親友やしライバルや。これからもよろしゅう頼むで」
「服部……」
平次の笑顔にコナンはフッと微笑んだ。