Epilogue



「コナン君、哀、おっはよー!」
自分達を呼ぶ元気な声に振り向くと歩美が満面の笑顔で駆け寄って来た。
「よお」
「おはよう、歩美」
「身体、もういいの?」
「ええ、本当は昨日から学校出ようと思ってたのよ。でも、博士がうるさくって……」
苦笑する哀に歩美は「博士の心配性は今始まった話じゃないでしょ?」と、悪戯っ子のような笑みを浮かべた。
「……あ、そうだ。ねえ、明後日、米花アクアマリーナに新しいお店がオープンするんだって。一緒に行かない?」
「ごめんなさい、明後日はちょっと……」
「柚木先生の見送りにな」
コナンの台詞に歩美が「あ……」と思い出したように手で口を抑える。
「歩美…?」
珍しく口ごもる親友に哀が首を傾げるとふいにその口から「……寂しくない?」という言葉が漏れた。
「え…?」
「だって……哀、お姉さんみたいに慕ってたでしょ?柚木先生の事……」
心配そうに見つめる瞳に思わず苦笑する。
「……寂しくないって言えば嘘になるわね。でも、これでまったく会えなくなる訳じゃないし」
「そっか……そうだよね」
「それにね……」
哀は手帳を取り出すと挟んであったメモを歩美に差し出した。
「『何かあったらいつでも連絡しろ』って携帯の番号とメールアドレスを教えて下さったの」
「いいな〜、ね、私も控えさせてもらっていい?」
「そうね……歩美なら大丈夫かな?」
「え?」
「一応、彼にも内緒って言われてるから」
哀がコナンに視線を投げる。
「ア、アハッ、コナン君、柚木先生に信用されてないんだ」
「うっせー」
拗ねたように口を尖らすコナンに哀と歩美は顔を見合わせクスッと微笑んだ。
「それはそうと……新しくオープンするお店って何のお店なの?」
「ま、いわゆる雑貨屋さんなんだけどね。オープン記念に東京スピリッツの限定グッズを売り出すんだって」
「……歩美、あなた、私がビッグ大阪のファンだって事くらい知ってるでしょ?」
「やだなあ、プレゼントに決まってるじゃない」
「プレゼント?」
「哀、コナン君の誕生日プレゼント、まだ買ってないでしょ?もっとも……『私自身』にしちゃったって事なら余計なお節介だけどv」
その言葉に哀が反応するより早くコナンがギクッとしたように身体を強張らせる。目ざとい歩美がそれを見逃すはずはなかった。
「ひょっとして……」
観察するようにジーッと見つめる歩美から必死に顔を逸らせるものの赤くなった耳の裏まで隠す事は出来なかった。
「……そっかそっか」
納得したようにニヤッと笑うと歩美が右手でコナンの背中をバンッと叩く。
「イテッ!歩美、おめえ何しやが…!」
「いーい、いくらコナン君でも哀を泣かせたらこの私が許さないんだからね!」
「……って、あのなあ……」
「あ、元太君達だ。おはよう!」
歩美はコナンの反論を完全に無視すると元太、光彦、海里の元へ走って行ってしまった。
「……ったく。おめえも黙ってねえで否定しろよな」
コナンが恨めしそうに哀を睨む。
「あなたに求められたのは事実だもの」
「そりゃ……でもまだ隣で寝てるだけだろ?」
「いちいち否定するほどの事でもないし。それに……」
「……?」
「ジンの事を乗り越えられる日も……そう遠くないと思うから……」
頬を赤く染め視線を逸らす哀にコナンも思わず顔を赤らめると言葉を飲み込んだ。
「よお、コナン、灰原」
「おはようございます……あれ?二人とも顔が赤くないですか?」
「な、何でもねえよ」
「おはよう……あら、歩美と黄君は?」
「それがですね……」
渋い表情で後方に目を向ける元太と光彦の視線を追うと海里が顔を真っ赤にして固まってしまっている。聞こえてくる会話にその訳は簡単に分かった。
「ね、せっかく探偵団の仲間になったんだもん。『海里君』って呼んでいいでしょ?」
「あ、ああ……」
「私の事も『歩美』って呼んで。ね!」
「……どうやら歩美のヤツ、黄の気持ちに気付いてねえみてえだな」
苦笑するコナンに哀は「人の世話焼いてる場合じゃないわよね」と、クスッと微笑んだ。
「そういえば……オレもおめえの事『哀』って呼んでいいか?」
「は…?」
今更と言いたげな哀にコナンが顔をしかめる。
「今までは同居人を演じる都合上名前で呼んでたけどよ……おめえがファーストネームで呼ぶのを許したのは歩美だけだからな。だから元太達には許さなかったんだ。ま……呼ばせたくなかったってのが本音かもしれねえけど……」
顔を赤らめ髪を掻くコナンに哀は思わず吹き出した。
「ええ。いいわよ、コ・ナ・ン君」
「なんか……記憶を取り戻したおめえに『コナン君』って呼ばれるのは複雑だな」
「自分で付けた名前でしょ?」
クスクス笑う哀にコナンは苦笑すると「……さ、そろそろ行かないと遅刻するぜ」と元太達を促した。



<Attention, please.Sky Max Japan Airlines, flight two, three, eight to New York JFK International Airport...>
「見送りなどいいと言ったのに……暇な奴らだな」
成田空港3階の出発ロビー。哀が声を掛けると言葉とは裏腹に杏香は柔らかな微笑みを見せた。
「これ……歩美が先生にって。機内でお腹が空いたら食べて下さいって言ってました」
「そうか……礼を言っていたと伝えてくれ」
「はい、必ず」
「そういえば……村主家という後ろ盾がなくなってあの学園はどうなるんだ?」
「鈴木財閥が引き受けてくれるそうです」
鈴木財閥という単語に『あんたは米花総合学園サッカー部の広告塔なんだから。成績出さなかったら退学だからね』という園子の台詞を思い出しコナンは思わず苦笑した。
「それなら安心だな。志保、お前、弓道はどうするんだ?」
「続けます。せっかく始めましたし。先生に譲って頂いた弓かけ、大切に使わせて頂きます」
「お前なら上達も早いだろう。しっかりな」
「本当に……ありがとうございました」
「幸せにな、志保……いや、哀」
「はい、先生も……」
「江戸川、哀を頼むぞ。まだこの世界のどこに組織の残党がいてもおかしくないからな」
「……ですね。でも、これからはコイツと二人で戦っていけますから」
コナンの言葉に哀が黙って頷いた時だった。「ほお、偶然だな」という声が聞こえたかと思うと赤井秀一が三人の傍へやって来た。
「同じ便で帰国する事になるとは思ってもみなかったぜ」
「随分……手の込んだ悪戯だな」
「何の事だ?」
「とぼけるな。ジョディ・スターリングから空港まで迎えに行くという電話があった時、妙だとは思ったが……お前の差し金だったんだな」
「……バレちゃあ仕方ねえな」
「どういうつもりだ?」
杏香の鋭い視線に赤井はフッと笑うと「……明美の事を聞かせてもらおうと思ってな」と呟いた。
「明美の事だと?」
「志保の事はお節介なくらい教えてくれるヤツがいるが明美の事はあまり知らないからな、色々聞かせてもらおうと思ったのさ。それに……」
「勿体ぶらずにさっさと言え」
「12時間半あればどんなに手強い女が相手でも口説けると思ったんでね」
ニヤッと笑う赤井にさすがの杏香も一瞬言葉を失ったようだったが、「……勝手にしろ」とだけ言うと出発口へと歩いて行ってしまった。
「……次に会う時、柚木先生の事、『お義姉さん』って呼べると期待してるわ、お兄さん」
からかうような視線を投げる哀に赤井が苦笑する。
「『お兄さん』か。お前にそう呼ばれるのは初めてだな」
「実はね、私、記憶を失う前から自分にお兄さんがいる事を知ってたのよ」
「何だって?」
「母がテープに遺してくれて……『実はお母さんね、あなた達のお父さんと一緒になる前、他の男の人と結婚してたの。あなたには明美の他に父親違いのお兄さんがいるのよ』って……」
「そうだったのか……さすがオレ達のお袋、抜け目ないな」
「ええ」
「それはそうと……黄親子が日本に残るそうだな」
「海里君から聞いたわ。横浜に支店を開く夢があるからって」
「……ま、アイツが日本に留まったのはもう一つ大きな理由があるけどな」
コナンの言葉に哀が「そうね」とクスッと笑う。
「目的はどうあれせっかく残ってくれると言ってるんだ。何かあったら力になってもらうんだな」
「はい」
「じゃあな。志保を頼んだぜ、名探偵」
赤井はコナンの肩をポンッと叩くと出発口へと姿を消した。



「……行っちゃった」
赤井と杏香を乗せたジェット機が青い空へ消えると哀がポツリと呟く。その寂しそうな横顔にコナンは思わず哀を抱き寄せた。
「おめえにはオレがいるだろ?」
「歩美も元太君達も博士、フサエさんもね」
「……おめえな、こういう場面、普通『そうね』って返すもんじゃねえか?」
「あら、あなた、私が普通の女だと思ってるの?」
「……」
拗ねたように言葉を飲み込むコナンに哀がクスッと笑う。
次の瞬間、二つの唇がそっと重なった。