高校生になったと言われてもいま一つ実感が沸かないのは、附属中学からエスカレーター式に進学したせいだろうか?
校庭に舞う桜吹雪を窓からぼんやりと眺めながら、越水七槻は思わず溜息をついた。
本当なら自分は今頃、博多にある私立高校の入学式で胸をときめかせているはずだった。が、受験当日、前泊させてもらった親戚の家から電車に乗り、博多駅へ到着した七槻は事もあろうか殺人事件に巻き込まれ、合格どころか試験を受ける事さえ出来なかったのである。
(あ〜あ、あの時、あの車両に乗らなければなぁ……)
たまたま被害者の近くに立っていたため、七槻は参考人として警察に足止めされてしまったのだ。最初は大人しく刑事に言われるまま待機していたものの、早く試験会場に行かなければという焦りからか、七槻はいつの間にか独自に捜査を開始していた。幼い頃から推理小説が好きだった事もあり、結果、刑事達より早く真実に辿り着き、見事真犯人を暴いたまでは良かったが、時すでに遅し。すべてが終わり、晴れて解放されたのは午前中の試験が終了する時刻だったのである。中学2年生の一学期まで博多で暮らしていた事もあり、大分ののんびりとした生活が退屈で、高校進学を機に博多へ舞い戻ろうとした七槻の夢はこの瞬間、儚くも消え去ってしまったのだった。
はあ〜と再び大きな溜息をついたその時、3時限目の授業終了を告げるチャイムが鳴る。
「……それではこの続きは来週。各自復習しておくように」
『起立』『礼』という号令にダラダラと従い、椅子に座ったその時、一人の少女が七槻の傍へ近寄って来た。
「あの…人違いだったらごめんなさい。ひょっとしたらあなた、あの時の……」
「君は…!」
「やっぱり…!私を助けてくれた探偵さんよね?」
件の事件の際、七槻とともに参考人として警察に足止めされていた少女だった。警察に尋問されるという初めての経験にオロオロしていた様子が印象的だっただけに、今、こうして笑顔で語りかけてくる様子は別人のようだ。
「探偵さんは止めて欲しいな。ボク自身、そんなつもりは全くないし」
「でもあの時、越水さんの名推理がなかったら私、容疑者の一人として警察に連行されてたと思うから」
「え…?」
「実は…今だから話せるけど、あの殺された男の子、私の顔見知りでね。前に交際を断った事があるの。だから……」
「そういえば君、同じ車両に乗ってなかったっけ。その君がどうして参考人になるのか不思議だったんだけど……なるほどね」
納得したように腕を組む七槻に少女は寂しそうな笑顔になると、「……ごめんね」と一言呟いた。
「え…?」
「だって越水さん、本当は福岡女子を受験するはずだったんでしょ?それなのにあの事件で足止めされたばっかりに……」
「それは……でも、君が責任を感じる必要はないんじゃない?」
「だって……」
「その代わりと言っては何だけど、福岡県警刑事部長の口添えでとっくに願書が締め切られてたはずの付属の面接試験は受験出来た訳だし」
なおも元気なさそうな少女に七槻は「大体、君だってここが第一志望じゃないんじゃない?」と、彼女の心を見透かすような視線を投げた。
「ど、どうして分かったの…!?」
「校則が厳しい事で有名なこの学校をわざわざ外部から受験する物好きはそうそういないからね。君があの時間、あの電車に乗っていたという事はボクと同じく福岡女子を受験するはずだった……違う?」
「……さすがね。そう、私も福岡女子を受験するはずだったの。あんな事になって仕方なく親の薦めで受験して合格してたこの学校に入学したって訳。でも…これはこれで良かったのかな?」
「え…?」
「だって越水さんと友達になるチャンスが回って来たんだもの。未来の名探偵の成長を傍で目の当たりにするなんてそうそう出来ない経験じゃない?」
「未来の名探偵って……大袈裟だな、ボクが解いたのはあの事件が初めてだし、あれ以来、探偵活動らしき事なんか何もしてないんだけど?」
「表向きはね。でも、私、知ってるのよ?」
クスッと笑う少女の視線の先を見ると、いつの間にか校門の前に覆面パトカーが停車しているのが見える。運転席から降りて来た背の高いひょろっとした体格は3階の窓からでもその人物の名前が特定出来た。
「…ったく。『用があるなら授業が終わってからにして』って散々言ってるのに……ボクの学校での立場も考えて欲しいな」
「それだけ越水さんが頼られてるって事なんじゃない?」
無邪気な言葉に七槻は盛大な溜息をつくと、「……そういえば君の名前、まだ聞いてなかったっけ?」と、少女の方に振り返った。
「あれ?あの事件の時、自己紹介したと思ったけど?」
「悪いけどあの日の出来事は『福岡女子が受験出来なかった』っていう警察への恨みしか覚えてなくて」
七槻の返答に少女が「私、深田八生(やよい)。漫画の影響か、中学時代はみんなには『ハチ』って呼ばれてたわ」と、人懐っこい笑顔を向けた。
「深田さんね。こちらこそよろしく。それじゃ」
七槻は軽く手を挙げて見せると、駆け足で教室を後にした。



「『校門の前にパトカーを横付けするくらいならメールで呼び出して』って毎回毎回言ってるのに……君のその耳は飾り物?」
顔を会わせた途端、皮肉な言葉を浴びせる七槻にその男、玖珠署の浅倉刑事はハハハと苦笑いを浮かべた。
「何言ってんだ、君だって退屈な授業を受けているくらいなら事件現場の方が楽しいってこの前言ってただろ?」
「そりゃ…」
「ま、いいじゃないか。担任はともかく、校長は君の事情を知ってる訳だし」
「その担任が問題なんじゃないか。本当、他人事だと思って…!」
七槻が頬をブーッと膨らませても浅倉刑事は全く気にしないと言いたげに口笛など吹いている。
七槻の高校の校長と大分県警本部長が高校時代の旧友で、その校長が彼女の探偵活動を認めてしまっているのだからどうしようもない。しかもその活動は彼女が住む玖珠郡九重町に限ったものではなく、大分県中の事件に関して許されているのだから、七槻はしょっちゅう彼の車で県内を移動する羽目に陥っていた。
「……で?今日はどんな事件?」
「座席の隣に資料の山があるだろ?」
文句を言いながらも事件に興味をそそられるのは否定出来ず、七槻は早速、調書に目を通していった。
「これ、昨日湯布院で起こった殺人事件じゃないか…!」
「さすがにチェックはしてるみたいだな」
「一応、近場で起きた事件だし……でも、『遺書もある事から自殺と思われる』って狸が記者会見で言ってなかったっけ?」
七槻が言う『狸』とは大分県警本部捜査一課長の事だ。メタボリック・シンドローム一歩手前の身体にいつの間にか県警中の職員がそう呼んでいる。
「確かに遺書はあったが、それは携帯に未送信のまま残っていたメールだったんだ。遺体の状況から判断して捜査本部は殺人事件と断定して動いているよ」
「だったら何で記者会見であんな事言ったんだよ?」
「容疑者達を油断させるためさ。何せ容疑者三人には完璧なアリバイがあるからね」
「へえ、容疑者、三人まで絞れたんだ?」
「一応、俺達警察もそれなりに仕事してるんで」
その言葉に思わずプッと吹き出す七槻に浅倉刑事の顔からも笑顔がこぼれる。
「浅倉、ボク、今日の昼食、購買で買う予定だったから途中でコンビニへ寄ってくれる?あと、悪いけどしばらく集中したいから話掛けないで」
愛用のイヤホンで耳を塞いだ瞬間、七槻の表情が探偵のそれへと変わった。