翌朝、午前8時20分。
「遅刻!遅刻〜!!」
朝食代わりのパンを口に頬張り、学校へと走っていた七槻は「おはよう」という声に慌ててその足に急ブレーキを掛けた。振り向くと昨日話し掛けられたクラスメート、深田八生が穏やかに微笑んでいる。
「そんなに急がなくてもいいのに……」
「いい訳ないじゃん!ここから教室までボクの足でも15分はかかるんだよ?」
「だろうね」
「『だろうね』って……そっか、君、外部から入学したから知らないんだ。ウチの学校、遅刻したら反省文だけじゃ済まないんだよ?校庭の草むしりやら職員室の窓拭きやら焼却炉の後始末やら……校則が厳しい事じゃ全国的にも有名なんだから」
「それは知ってるけど……でも今日の一時間目、自習よ?」
「な……」
思わず絶句する七槻に八生が「名探偵さんは意外と素直なのね」と、悪戯っ子のようにクスッと笑う。
「……あのねえ、昨日知り合ったばかりの君にからかわれるなんて普通思わないじゃん」
プウと頬を膨らませる七槻に八生は携帯を取り出すと、「今後の事もあるし、良かったらアドレス教えて?」と笑顔を見せた。
「朝、慌てなくてもいいように連絡してあげるから」
「そりゃ…そうしてもらえれば助かるけど……」
「……?」
「……君、ボクのアドレス、誰にも教えないって誓える?」
「『誓う』だなんて……随分大袈裟ね。何か嫌な思い出でもあるの?」
「実は前のアドレス、玖珠署の署長が教えてくれ、っていうから素直に教えたらいつの間にか県警中に広まってて。お陰でちょっとした事件で何だかんだメールを寄越すもんだからサーバーがパンクしちゃったんだ」
「あらあら」
「だから今のアドレスは親しい友達数人にしか教えてな……あ、浅倉には教えてたっけ」
「浅倉さんって……もしかして昨日越水さんを迎えに来た刑事さん?」
「そう。人が好くて専らボクの運転手役をやらされている哀れな警察官。あれじゃ可哀想だけど巡査部長止まりだね」
「な〜んだ、そうだったの。私、てっきりあの刑事さん、越水さんの恋人かと思っちゃった」
「じょ、冗談止めてよ。確かに浅倉はいいヤツだけど、ボクの趣味とは正反対なんだから」
「そうなの?」
「上司の言いなりに大人しく女子高生のドライバーしてる男なんて趣味じゃないもん」
「でもそれは越水さんが探偵だからでしょ?いくら何でもただの女子高生だったらそんな事しないんじゃない?」
「そりゃ……でもボクはああいう従順なタイプはちょっと苦手だな」
遠慮なくズケズケ言う七槻に八生はクスッと笑うと、「じゃ、どんな人がタイプなの?」と探るような視線で尋ねて来る。
「そうだなあ、どっちかって言えば周囲の事なんか無視してガンガン突っ走る熱いタイプが……って、別にどうでもいいじゃん、ボクの好みのタイプなんか!」
うっかり八生のペースに乗せられていた事に気付き、七槻は慌てて会話を中断すると、「浅倉に興味があるなら紹介するけど?」と、試すような視線を彼女に投げた。
「残念だけど私、今、付き合ってる人いるから」
「へえ、それは朝からご馳走様」
「とは言っても遠距離恋愛なんだけどね。彼、北海道に住んでるから」
「北海道!そりゃまた随分離れてるけど、ネットか何かで知り合ったの?」
「ううん。実は私、生まれは北海道なの。父の仕事の関係で何回か引っ越してて」
「って事はつまり幼馴染ってヤツ?」
「幼馴染とはちょっと違うかな?知り合ったのは小学4年生の時だったし、部活は別々だったからいつも一緒って感じでもなかったし」
遠く離れた土地で暮らす愛しい人を思うかのように視線を遠くに投げる八生だったが、いきなり七槻の方に振り返ると、「それより昨日の事件の話、聞かせてくれない?」と目を輝かせた。
「へ…?」
「越水さんが遅刻寸前まで寝てたって事は昨夜家に帰って来た時間が随分遅かったって事でしょ?名探偵をそこまで悩ませるなんて一体どんな事件だったのか興味あるじゃない?」
一体どちらが探偵なのか分からないような八生のテンションの高さに七槻は思わず「……君、本当に変わった子だな」と、呆れたように肩をすくめた。
「私、ミステリーが大好きなの。彼と仲良くなったきっかけも同じミステリー作家が好きだったからなのよ」
「へえ……」
どうやらこの少女とは馬が合いそうで、七槻は鞄から今朝の朝刊を取り出すと、学校への道すがら昨日の事件について当たり障りない程度の内容を話し始めた。



「……で?その深田さんって子に事件のあらましを喋っちまったって訳か?」
放課後。玖珠署の会議室で七槻は大分でも有名な老舗饅頭にパクつきながら浅倉刑事の調書作りを手伝っていた。
「まあそういう事」
「『そういう事』じゃないだろ。無関係の第三者に事件の事を色々話しちまうなんて……俺達警察官には守秘義務ってものがあるんだぞ?」
浅倉刑事のこの言葉に七槻は待ってましたと言わんばかりにニヤッと笑うと、「だったら聞くけど、ただの女子高生にすぎないボクを捜査に加えるなんてもっとヤバイんじゃない?」と、からかうような視線を投げた。
「そ、それは……」
困ったように言葉を飲み込む浅倉に七槻は「心配ないない。個人情報に結びつくような内容は一切話してないから」とクスッと笑うと、饅頭の最後の一欠片を口に放り込んだ。
「それならいいが……とにかく今後は気をつけるんだぞ。いつその子が事件当事者になるか分からないんだからな」
「……ったく、心配性だな。そんなんじゃ禿げるよ?」
「大きなお世話だ」
仏頂面でそっぽを向く浅倉を丸無視して七槻は饅頭とともに出されたお茶を一息に飲み干すと、「ごちそう様!やっぱここの饅頭は最高〜!」と、満足そうにお腹を撫でた。
「それにしても浅倉、最近よく気が利くようなったよね」
「よく言うぜ。昨夜帰って来る途中、『随分遅くなっちゃったし、何か甘いものでも食べたいなー、あ、でももうコンビニ以外開いてないか〜』って鏡月堂の前を通りかかった時、恨めしそうに言ったのはどこのどいつだ」
「アハッ、浅倉でも気付いたんだ?」
「『でも』は余計だ」
苦虫を噛み潰したような表情で浅倉が七槻を睨んだその時、会議室の扉が開くと玖珠署刑事一課長、坂本警部が姿を現した。
「浅倉ぁ、お前、そんな調子じゃ今夜も午前様だぞ」
「す、すみません……」
「別に謝る必要ねえよ。お前に覚悟があるならな」
「覚悟って……課長、一体何の事です?」
「バーカ。お前、県警で七槻ちゃんがどれだけ人気あるか知らねえからそんな悠長な事言ってられるんだ」
ふいに坂本が手帳を取り出すと中から一枚のカードを取り出した。
「『大分県警 名探偵越水七槻ファンクラブ 会員番号7番』…って!何なんすか、これ!?」
「嘘ッ!?」
さすがの七槻も面食らってしまい、思わずそのカードに見入ってしまう。
「浅倉〜、お前、ただでさえこの名探偵のお抱え運転手って事で羨ましがられているのに、その上一緒に仲良く調書作りだなんて……こんな事がバレたらファンクラブ会員全員から恨まれるぜ?」
「は、はあ……」
「そういうアンタが黙ってればバレないじゃん」と、喉の途中まで出掛かった七槻だったが、自分が会員番号7番をゲットするのにいかに苦労したか熱く語る坂本の姿に乾いた笑いを浮かべる事しか出来なかった。