学生生活と探偵稼業の両立に月日はあっという間に過ぎ去り、七槻が自分なりの生活リズムを掴めるようになったのは7月初旬の期末テストを迎えようとする頃だった。もっともそれが可能となったのは、七槻を教える各科目の教師達が授業時間中に熟睡する彼女を黙認するようになったからに他ならない。授業中は爆睡、早退するのは日常茶飯事……それでも七槻の成績は常に学年でもトップクラスを維持していた。無論、名探偵にとって学業など朝飯前などというはずもなく、絡繰りあっての事だったが。
「はい、ナナ。期末対策の板書とレジメ」
八生から差し出されたコピーの束に七槻はサンキュと受け取ると、「ウワッ!こんなにたくさん……」と、げんなりした表情で呟いた。
「約一ヶ月半分だもの。これでもかなり絞り込んであげたのよ?」
親友のつれない返事に七槻は「あーあ、警察の調書と違ってなんでこういう物ってつまらないんだろ?」と、深い溜息をついた。
「ナナにとっていわゆる学校のお勉強は事件を解決する事ほど面白くないからなんじゃない?」
「学生の本分は勉強なんだけどねー」と、からかうように言う八生に
「……どーせボクは普通の女の子とは興味の対象がズレてますよ〜」
拗ねたように頬を膨らませると、びっしりと文字が書かれたプリントをパラパラめくっていく。
「あーあ、テストか。かったるいな〜」
溜息を重ねる七槻に「だったら人参でもぶら下げておく?」と八生が肩をすくめる。
「人参…?」
「私の場合、『テストが終わったら大好きなケーキ屋さんのケーキを思いっ切り食べてもいい』とか『前から欲しかった洋服を買ってもいい』とか色々あるけど」
「ケーキは事件解決した時浅倉に奢ってもらってるし、着る物にはあんまり執着ないからなぁ……」
「ナナ、いっつもTシャツにジーパンだもんね。土台はいいんだからお洒落すればいいのに」
「大きなお世話」と顔をしかめる七槻に八生は悪戯っ子のようにクスッと笑うと、「テスト終わった後の土曜日、特に予定ないなら私に付き合ってくれない?」と、ネット情報を印刷したと思われる紙を差し出した。
「九重ラベンダー園…?そういえばそんな名前、聞いた事あるような……」
「北海道出身だからかな?私、小さい頃からラベンダーが大好きなの。7月初旬から中旬にかけて満開になるみたいだから行ってみたくて。ナナ、行った事ある?」
「小さい頃親が連れてってくれたような気もするけど……記憶にないや」
「だったら行こうよ。私、お弁当用意するから」
熱心に勧める八生の様子に七槻は「……もしかして例の彼氏に告られたのがラベンダー畑だったとか?」と、ニヤッと笑みを浮かべた。
「え?あ……」
どうやら図星だったらしく、八生は顔を真っ赤にすると、「ナナったら!変なところまで推理力抜群なんだから…!」と視線を逸らせてしまった。
「アハハ、こんな簡単な誘導尋問に引っ掛かるようじゃハチに完全犯罪は無理だね」
「……」
七槻は何の反論も出来ないでいる親友に
「それじゃ、お弁当を楽しみに行くとしますかv」
小さくウインクしてみせると教室を後にした。



同日午後7時。玖珠署刑事課の警察官、浅倉は大分市内の居酒屋で同期会に出席していた。通算すれば1年以上警察学校で共に過ごした仲間だけに一番気心が知れた仲間と言えよう。
「浅倉、久しぶりだな」
乾杯の音頭が済むや否や浅倉の一番の親友で、現在は大分県警察本部の警務課に所属する柳田が声を掛けて来た。
「よぉ、久しぶり。お前、なんでこの前の同期会来なかったんだよ?」
「んなもん合コン優先させたからに決まってんだろ?」
「……ったく、相変らずだな。で?どうだったんだ?」
「どうもこうも……外資系の綺麗どころを集めた、って言うから高い会費払って行ったんだけどよー、とんだ貧乏くじだったぜ」
顔をしかめる柳田に浅倉は「成果の方も相変らずか」と苦笑する。
「随分余裕だな。そういうお前こそどうなんだよ?」
「俺か?俺は相変わらず募集中ってところかな?」
「は…?」
「な、何だよ、その反応……」
「お前、例の美少女探偵とはどーなってんだよ?」
「どうなるもこうなるもないだろ。相手は15歳の高校生だぜ?そんな気は更々……」
「バカだな、お前。3年も経ってみろ、女なんか滅茶苦茶変わるぜ?あれならキープしておいて損はないと思うけどな」
親友の口から出た意外な言葉に浅倉は「『あれなら』って……お前、彼女と会った事あるのか?」と目を丸くした。
「バーカ、この時代、ちょっとでも噂になった人間の顔はいくらでもネットに流れるっつーの」
ふいに柳田が懐から携帯を取り出すと電源を入れ、差し出して来る。待ち受け画面に現れたのは浅倉がよく知る人物、越水七槻の写真だった。
「世の中不公平だよなあ〜。こんなカワイ子ちゃんと始終ドライブしてるヤツもいればオレみたいにじじいの運転手ばっかやらされてる人間もいるんだからよぉ……」
「あのなあ……」
親友の大袈裟な態度に浅倉は「何がドライブだ。かの名探偵は現場へ着くまでは調書と睨めっこ、自宅へ送る道中は爆睡してるんだぞ?」と、両手を広げてみせた。
「は?じゃ、お前ら普通の会話とか全然ない訳?」
「ああ、ほとんど」
「……ったく、彼女の専属運転手になってもう3ヶ月以上経つっていうのに何やってんだか。俺がお前の立場ならとっくの昔にデートに誘ってるぜ?」
「デートって……女子高校相手にそんな事してみろ。下手したら首になっちまう」
苦笑いを浮かべる浅倉に柳田は呆れたように肩をすくめると、「ま、次会った時どんな展開になってるか楽しみにしてっからさ」と言い残し、他の仲間のテーブルへと移動して行ってしまった。



「いやぁ、見事な推理だったな。さすが名探偵と呼ばれるだけの事はあるもんだ」
事件現場となった洋館の玄関先。満面の笑みを浮かべて自分の肩を叩く臼杵警察署刑事課長、梅村の姿に七槻の顔が思わず引きつった。
「それにしても随分遅くなってしまったな。浅倉君…だったか?道中、運転には充分気をつけるんだぞ」
「はい」
浅倉は梅村に「失礼します」と頭を下げると車を発進させた。
「何だよ、アイツ!ついさっきまで『女子高生なんかに何が出来る』ってボクの事散々バカにしてたくせに…!」
車が現場を後にするや否や不満を漏らす七槻に浅倉が「警察はああいう輩が多いんだ。気にするだけ損だぞ」と苦笑する。
「あそこまで酷いのは初めてだったよ。ボクが女だってだけで最初は斜めに見てたしさぁ……」
「ま、あの人は元々男尊女卑なところがあるからな。女子職員からも嫌われてるってもっぱらの噂だ」
「男尊女卑…古ッ!」
「おまけに大卒だから高卒をバカにしてるしな。俺に対する態度も酷いもんだったろ?」
「……」
浅倉の言葉に七槻は考え込むように後部座席に横になると、「浅倉って見かけによらず大人だよな〜」と、独り言のように呟いた。
「おいおい、『見かけによらず』はないだろ?俺は君より12も年上なんだぞ?」
「でもこの前、坂本警部に言われたじゃん。『推理力以外はお前ら同レベルだな』って」
「それは…その……」
言われてみれば社会人になってからあまり成長を実感出来ずにいるのは事実で、そんな自分に浅倉が溜息をついたその時、七槻が身体を起こすと「そんな事より…ねえ、浅倉」と口を開いた。
「何だ?寝るんじゃないのか?」
「実は浅倉にお願いがあって……あのさぁ、今度の土曜って休み?」
「え…?」
妙な想像が浮かび、ドキッとしてしまうのは少し前、親友と会った時に変な事を吹き込まれたせいだろうか?高鳴る鼓動を抑えつつ、「あ、ああ…一応な」と答えを返す。
「その…ちょっと付き合って欲しいんだけど……」
「俺は構わないが……」
「一体何に付き合えばいいんだ?」と尋ねるより早く七槻がパッと顔を輝かすと、「実は期末テストが終わったらハチと九重ラベンダー園に行く約束したんだけど、調べてみたらあそこって結構交通の便が悪いんだよねー。悪いけど車出してくれない?」
「は…?」
「勿論、タダでなんて言わないよ。ラベンダーソフト奢るからさv」
大真面目な顔で言う七槻に浅倉は心の中で「……つまり俺はアッシーって訳ね」と呟くと、溜息とともに乾いた笑いを浮かべた。