「フワ〜、よく寝たぁ!」
九重ラベンダー園パーキング。車が停車するや否や後部座席から降りると七槻は大きな伸びをした。
「ナナったら……運転手さんにお構いなくグーグー寝ちゃって……」
「仕方ないじゃん。昨日家に帰ったの遅かったんだもん」
反論と同時に大欠伸する七槻の姿に浅倉が「構わないよ、彼女を深夜まで連れ回したのは我々警察だからね」と苦笑する。
「そうそう、大体いつも帰り道はこんな感じだし」
「事件ならまだしも今日は私達のお願いでここまで運転して下さったのよ?大体、寝不足は浅倉さんも一緒だと思うけど」
「その…浅倉って運転上手いじゃん?だからついつい眠くなっちゃっうんだよね」
「こういう時だけ持ち上げてもダメだぞ」
すかさず突っ込む浅倉に一瞬ウッと言葉を詰まらせた七槻だったが、
「んな事よりせっかく着いたんだからさ、早く行こうよ、ね!」
アハハと笑ってみせるとラベンダー園の入口に向かって一人さっさと駆け出してしまう。
「……都合が悪くなるとすぐに誤魔化すんだから」
八生はやれやれと言いたげに肩をすくめると、「浅倉さん、運転、お疲れ様でした」と頭を下げた。
「ど、どういたしまして」
いつも七槻に子分のようにあしらわれているせいか八生の丁寧な態度に逆に緊張してしまう。そんな浅倉の様子に八生は「ひょっとして私の事、もっと豪快な女子高生だと思ってました?」と、悪戯っ子のようにクスッと笑った。
「あ、ああ……名探偵がああいう子だろ?その親友っていうからてっきり……」
バツが悪そうに頭を掻く浅倉に八生は親友の後ろ姿を見つめると、「確かにパッと見は正反対に見えるかもしれませけど……ああ見えてナナって結構繊細なんですよ」と呟いた。
「え…?」
「事件を解決した翌日は決まっていつもボーっとしてるんです。多分、被害者だけでなく加害者にも同情しちゃうんでしょうね。何の動機もなく犯罪に走る人間なんてあんまりいないでしょうし」
「……」
八生の言葉に浅倉も思わず七槻を見る。いつも明るい七槻だが、彼女が解決した事件の中には残忍なものやいたたまれないものも少なくない。多感な年頃の女子高生がそんな現場を渡り歩いて果たして大丈夫なんだろうか…?
自分の中に沸き上がった疑問に我知らずその場に立ち尽くす浅倉を現実へと引き戻したのは「浅倉〜、何ボーッとしてんだよ」という聞き慣れた声だった。気が付けばいつの間にか七槻が目の前で呆れたように自分を見つめている。
「あれ?先に行ったんじゃ……」
「感謝してよ?さすがの浅倉でも全部は持てないんじゃないかと思って戻って来てあげたんだからさ」
「あん?」
「ホラホラ、早くトランク開けて」
促がされるまま車の後方に回り、トランクを開けると大きなバスケットが2つ入っている。それだけではない、レジャーシートや割り箸、紙コップが入った布袋、お菓子テンコ盛りのレジ袋が2つ、200mlのペットボトルが3本と、キャンプにでも来たのかと思ってしまう大量の荷物が積み込まれていた。
「浅倉はペットボトルとバスケットよろしく。残りはボクとハチで運ぶから」
「……」
ここへ来た一番の目的は何なんだ…?思わず言いそうになった台詞を何とか飲み込むと浅倉は言われるまま荷物を運び出した。



園内を一通り散策し、弁当が入ったバスケットを開けた瞬間、七槻は思わず「うわ〜!」と歓声を上げた。
「これ全部ハチが作ったの!?」
「一応ね。随分手抜きで申し訳ないんだけど……」
「手抜きって……これのどこが?」
「だってメインの鶏肉はハーブで香りづけしただけだし、マカロニサラダは夕べの残り物よ?隙間だってそんなに手の込んだメニューで埋めてる訳じゃないし……」
遠出と言えばコンビニ弁当で済ませてしまう自分とは雲泥の差で、七槻は弁当箱を持ち上げると「料理が趣味とは聞いてたけど……まさかここまでとはね〜」と感心したように呟いた。
「一応、料理教室にも通ってるしね」
「料理教室って……ハチ、もう花嫁修業やってんの?」
「まさか」
「じゃ何で?」
真剣に尋ねる七槻の様子に八生が「あれ?ナナにはまだ言ってなかったっけ?」と目を丸くする。
「私ね、ペンションのオーナーになるのが夢なの」
「ペンション…?」
「そうよ。北海道の富良野で大好きなラベンダーやハーブに囲まれて過ごすの。素敵でしょ?」
「北海道って……なるほど?ハチの将来は例の彼と二人仲良くペンションのオーナー夫婦って訳ね」
「べ、別にそこまで考えてる訳じゃ……」
「照れないv照れないv」
親友の初々しい反応に七槻は空を見上げると「将来の夢かぁ……」と独り言のように呟いた。
「どうしたの?ナナ」
「ボクはまだ自分の将来なんて真剣に考えた事ないからさ」
七槻の口からポロリと零れた言葉に浅倉は思わず「君の将来の夢は探偵じゃないのか…?」と口をはさんだ。
「そりゃ…謎や暗号を解いたりするのは楽しいけど……やっぱ色々あるじゃん。どんな理由があれ、犯罪は決して許されるものじゃないけど……被害者側にも加害者側にもさ。それを考えると事件背景を全く知らないボクが他人の心にズカズカ踏み込んでいいのかなって……時々疑問に思っちゃうんだよね」
「いいも悪いもそれが探偵って仕事だろ?」
「そうだけど……」
考え込むように視線を宙に彷徨わせたのも一瞬、「……ゴメン!らしくないよね」という台詞とともに七槻の顔に笑顔が戻る。
「さ、食べよ食べよ。いっただっきまーす!」



八生の弁当は見た目だけでなく味の方も秀逸で、バスケットの中はアッという間に空になってしまった。
「美味しかった〜!ハチ、ご馳走様、またよろしくねv」
満足そうにお腹を擦る七槻に浅倉が「おい名探偵、約束忘れてるだろ?」と彼女を見る。
「約束?」
「『ここまで運転する代わりにラベンダーソフト奢る』って言ったじゃないか。まさか忘れてるんじゃないよな?」
「あ…ああ、あれね。勿論覚えてるよ。でもさぁ、デザート思ったよりたくさんあったし、浅倉もお腹一杯じゃ……」
「それとこれとは話が別だ」
押し切るように言う浅倉に七槻は「……分かったよ。買って来ればいいんだろ?」とレジャーシートから立ち上がった。
「深田さんの分も買って来るんだぞ」
「はいはい。あ〜、今月お小遣いピンチなんだよなぁ……」
財布の中身を確認し、売店へと駆け出して行く七槻の背中を見送る浅倉に「……それで?」と八生は口を開いた。
「ナナには聞かれたくない話ですか?」
「気付いてたのか?」
「何となく、ですけど」
自分の意図を察してもらえた安堵感と女子高生に心の内をあっさり読まれてしまった失望感が入り混じり、浅倉は思わず苦笑すると「名探偵の事なんだけど……」と言葉を続けた。
「さっき君に言われて改めて思ったんだけど……彼女、まだ15歳なんだよな」
「ですね。他人から見たら『ズバズバ言いたい事を言うは、態度は大きいは』ってところでしょうけど」
遠慮ない八生の指摘に吹き出しそうになるのも一瞬、浅倉の表情は真剣なものになる。
「難事件がある度、お偉いさんはアイツを現場へ連れて来いって簡単に言ってくれるけど……やっぱり感心出来る事じゃないよな。年端もいかない女の子を事件現場へ連れ回すなんて……」
「……」
「な、何か俺、変な事言ったかな?」
「いえ、浅倉さんって優しいんだなと思って。刑事さんじゃないみたい」
「優しいっていうか…常識的な意見じゃないか?」
浅倉の言葉に少しの間黙っていた八生だったが、ラベンダーソフトを手に楽しそうに売店の店主と何やら会話を交わしている七槻に視線を投げると、「心配しなくてもナナなら大丈夫です」と穏やかに微笑んだ。
「ああ見えてナナは結構優いし、悩む事も多いと思います。でも、それ以上に謎解きが大好きな子ですから」
「しかし……」
「そんなにナナの事心配するなんて……浅倉さん、ひょっとしてナナの事……」
自分をジッと見つめる八生の視線に浅倉が「そ、そういう訳じゃ……」と頬を赤らめたその時、「買って来たぞー!」という声が二人の会話を遮った。
「おかえり、ナナ」
「ん?浅倉、顔が赤いけど……」
「え?あ…温かいコーヒーを飲んだからな」
慌てて水筒の蓋に手を伸ばす浅倉の様子に八生は穏やかに微笑むと七槻からアイスクリームを受け取った。
「あれ…?アイス2つしかないけど……ナナ、食べないの?」
「まさか。無理して3つ持てない事はなかったけど落としたら悲しいじゃん。ボク、ダブルにするつもりだし」
満面の笑みとともにそう言うと七槻は再び売店へと走って行ってしまう。
「『花より団子』か……名探偵らしいな」
呆れたように呟く浅倉の横で八生はクスッと笑うとラベンダー色のアイスを口に運んだ。