四つの策略



「うわっ!すっごいイケメン!」
メールに添付された写真をプリントアウトした瞬間、黄色い声を上げる歩美に元太と光彦は揃って顔をしかめた。
「ねえ、この男の子がロンドンに住むコナン君の友人っていう……」
「アポロ・グラス。テニス界の女王、ミネルバ・グラスの弟さ」
「小学生の時だっけ?確か猫を見付けたお礼に毛利のおじさんや蘭お姉さんとロンドンへ招待されたんだよね?」
「よく覚えてるな」
「そりゃ覚えてるよ。だってあの時初めて哀が私の家へお泊りに来てくれたんだもん」
「ウインブルドンの決勝戦を見てたらいきなり誰かさんの顔がどアップで映るんだもの。嫌でも忘れないわよね?」
皮肉めいた口調で言葉を添える哀にコナンの表情も渋くなる。もっとも当時、組織の追跡から逃れるために正体を隠して生きている身でありながら全世界にテレビでその姿を生中継されてしまったのだから文句の一つも言える立場ではない。
「で、それが縁で今回ミネルバさんの結婚式にオレと灰原を招待してくれたって訳」
「ずるいよな、お前ら二人だけなんてよぉ……」
「ロンドンはボク達少年探偵団にとってかのシャーロック・ホームズが活躍した憧れの地ですからね」
「仕方ないよ、さすがにロンドンまで博士に連れてってもらう訳にはいかないし」
口々に不満を漏らす元太と光彦に歩美が肩をすくめると「それにしてもアポロ君、本当、かっこいいな〜w」と、写真を手に溜息混じりに呟いた。
「それはそうと……コナン君は気にならないの?」
「気にならないって?」
「呆れた!本当、のんびりしてるんだから。こんなイケメンと哀を引き合わせちゃって大丈夫なの?取られても知らないからね」
「取られるって……たった5日間の旅行だぜ?おまけにアポロと行動するのはせいぜい1日か2日だけなんだし……」
「甘いなぁ、恋に日数は関係ないんだよ?」
「……」
思わず言葉を飲み込むコナンに哀はクスッと笑うと「歩美、江戸川君をからかうのはその辺にしておいたら?」と呆れたような視線を投げた。
「大体、私、面食いじゃないし」
「おい、灰原、それどういう意味だ?」
「さあ。それくらいご自分で考えたら?名探偵さん」
益々苦虫を噛み潰したような表情になるコナンを無視するように哀は「そんな事より……」と歩美の方に向き直った。
「歩美、お土産何が欲しい?」
「ロンドンのお土産かぁ……ウエッジウッドのマグカップなんて憧れだけど割れ物を買って来てもらうのは気がひけるし……そうだ、ハロッズのティディベア買って来て!」
「あら、この前リバティーのワンピースが欲しいって騒いでたのは誰だったかしら?」
「そ、それは……」
お土産に買って来てもらうには少々値が高過ぎると言いたげに苦笑する親友に哀は肩をすくめると「いいわよ、買って来てあげるから」と笑顔を向けた。
「本当!?」
「せっかく現地で安く手に入るんだもの。あらかじめこれが欲しいって言ってくれれば買って来るわ。あ……でも、もし指定されたデザインが無かったらどうしようかしら?」
「その時は哀が選んで来てくれればいいよ。哀、センス抜群だもん」
傍で交わされるガールズトークに元太が「ロンドンかぁ……」と視線を宙に投げる。
「イギリスってあんまり美味いものねえんだよなあ……」
「オメー、相変わらず食い物の知識だけは半端ねえな……分ったよ、ハロッズで日持ちするスコーンでも買って来てやっから」
「コナン君、ボク、ダックスのシステム手帳が欲しいです!」
「バーロー、いくらすると思ってんだよ?ハンカチくらいで手を打てっつーの」
「な、なんでだよ!?」
「そうですよ、どうして歩美ちゃんとボク達二人でそんなに差をつけるんですか?」
「仕方ねえだろ?灰原が歩美にはオレと共同で買う土産とは別にもう一つ何か買って来たいって言い張るんだからよお……」
「言い張るとは失礼ね。歩美には昔からご家族で旅行へ行く度に色々もらっていたんだもの。当然の事でしょう?」
「おい、歩美!どーいう事だよ!?」
「ボク達3人と灰原さんに一体どういう差があるんですか!?」
「差っていう訳じゃないんけど……旅先で可愛い小物とか見付けるとつい哀にも買いたくなっちゃって。男の子にあげても喜んでくれるとは思えなかったし……」
困ったような笑顔を浮かべる親友の横で哀が「ま、お土産に対する男女の価値観の違いってところね」と肩をすくめるとリビングの時計を見上げた。
「それにしても……博士遅いわね。パスポートの更新なんてとっくに終わってるはずなのに……」
「あれ?博士も一緒にロンドン行くの?」
「あの心配症の博士が江戸川君と私だけで海外へ行かせてくれるはずがないでしょ?」
「そうだけど……」
「ま、何だかんだ言って博士の第一目的はフサエさんだけどな」
「フサエさんって……哀、ひょっとして……」
「ええ、グラス選手のドレス、フサエ・ブランドのオートクチュールなの」
「どういうルートを使ったか知らねえがアポロのヤツがオレ達とフサエさんの関係を突き止めてさ。『姉ちゃんのドレスのデザイン、フサエ・キャンベルに頼めないか?』の一言だぜ。ったく……」
「さすがコナン君の友達。色々調べるのが得意なんだv」
納得したように歩美が笑顔を浮かべた瞬間、ドアホンが鳴り「哀君、ワシじゃ。悪いけどドアを開けてくれんかの?」という家主の声が聞こえた。
「噂をすれば……ね」
哀はクスッと笑うとフサエに渡す手土産で両手が塞がっているのであろう義父を迎えるため玄関へ向かった。



遅めの夕食を済ませ、リビングで今日買って来たばかりの推理小説を読んでいたコナンの鼻を珈琲の香ばしい香りが誘惑した。
「お、サンキュ」
栞を挟み珈琲カップに手を延ばしたものの、冴えない表情の哀に思わず動きを止める。
「どうかしたのか?」
「ねえ、やっぱりおかしいわよ」
「……またその話かよ」
「あなたや博士が招待されるのは分かるわ。グラス選手にとってあなた達はお母さんの命を守ってくれた恩人だものね。でも私はグラス選手と会った事すらないのよ?それに……グラス選手が本当に招待したいのはご主人との仲を後押ししてくれた彼女でしょう?」
「言っただろ?蘭も招待されたって。けどよ、仕事が休めないっていうんだから仕方ねーじゃねーか」
「だからってその代わりに私が行く必要は……」
「『あの子が来れないならホームズの弟子の彼女を連れて来て欲しいわ』ってミネルバさんが言ってるんだ。アポロのヤツも彼女連れて来いって五月蠅いしよ。遠慮したら逆に失礼だぜ?」
「……」
「灰原…?」
ロンドンはあなたが彼女に告白した思い出の場所でしょう……?
さすがの哀もこの言葉は切り出せず、不審そうに自分を見つめるコナンの視線から逃れるようにリビングを後にした。



ヒースロー空港の到着ホールに着くや否や「コナン!」というよく通る声が聞こえる。8年振りの再会ではあったが、しばしばメールで近況などを交換していた事もあり、コナンもアポロもすぐに互いに互いを認識する事が出来た。
「よぉ、久し振りだな」
「……ったく。『ホームズの弟子』を名乗るくせにロンドンへはあれ以来かよ?」
憎まれ口を叩くアポロだったが、コナンの背後に立つ阿笠と哀の姿を認めると「ロンドンへようこそ。長時間のフライトでお疲れでしょう。早速ホテルまでご案内します」と人の良さそうな笑顔を見せた。
「久し振りじゃの、アポロ君。すっかり逞しくなって見違えたわい」
「そういうミスター阿笠はあまりお変わりないようで……」
「哀君の厳しいダイエット食のせいでこの8年で5キロくらい痩せてしまったがのう……」
苦笑する阿笠の様子にアポロは哀に視線を移すと「アイ、君とは『初めまして』だね」と笑顔を向けた。
「そうね。もっとも江戸川君に始終写真を見せられてたからあんまり『初めまして』っていう感じはしないけど」
「それはボクもさ。コナンのヤツ、メールを寄越す度に君の事自慢してるんだぜ?『口惜しかったらお前も早く彼女見付けろ』ってさ」
「お、おい、アポロ…!」
真っ赤になるコナンにアポロはプッと吹き出すと「アハハ、今のは冗談。コナンのヤツ、君の写真を見せてくれって催促してもなかなか見せてくれなかったんだぜ?唯一見せてくれたのが小学校の卒業式の写真だったかな?ま、その1枚だけでもコイツが見せたがらなかった理由は納得出来たけどさ」とウインクしてみせる。
「それはそうと……荷物も多いしタクシーを使いたいのは山々なんだけどさ、今から中心地へ移動となるともろに渋滞にはまるんだ。地下鉄移動でも構わないか?」
「確かホテルはピカデリーサーカスの近くだって言ってたよな?ピカデリー・ラインを使えば1時間もかからないってガイドブックに書いてあったような……」
「ヒースロー・エクスプレスだと途中で乗り換えなくちゃいけないんだ。老齢の阿笠には酷だと思ってさ」
「これ!人を老人扱いするでない!」
顔を真っ赤にして反論する阿笠にアポロは「じゃ、もうひと頑張りして頂きましょうか?」と悪戯っ子のような笑みを浮かべると哀の手からスーツケースを預かり、先頭に立って歩き出した。



「教会の近くで世界のフサエ・キャンベルに相応しいホテルって言われるとここしか思い付かなくてさ」
そんな台詞とともに案内されたのはピカデリーサーカスから徒歩数分という絶好の立地条件に建つ5つ星ホテルだった。
アポロに促され、フロントがあるロビーへ入った途端「阿笠君!」という聞き覚えのある声に呼び止められる。
「おお、フサエさん、久し振りじゃのう!」
「嫌だわ、久し振りだなんて……去年の秋に京都で会ったばかりじゃない」
艶やかなツーピースに身を包んだフサエは思わず苦笑すると「それにしても……思ったより早い到着だったわね」と腕時計に視線を落とした。
「早いだなんてとんでもない!本来ならデザイナーをお願いしたわしらが出迎えなければならない立場じゃったのに……」
「何を言ってるの。阿笠君達は日本から、私はお隣のフランスからの移動だったんだもの。そんな事気にする必要なくてよ」
穏やかに微笑むフサエだったが、哀に視線を移すと「あ、そうだわ。哀ちゃん、到着早々申し訳ないけどパーティードレスの試着をお願い出来ないかしら?サイズが合わない所があったら明後日の式までに急いで直さないといけないから」と申し訳なさそうな表情になった。
「パーティードレス…?」
フサエの口から出た思いがけない単語に一瞬目を丸くする哀だったが、「……博士ったら。私はスーツで出席するからって言ったでしょ?」と阿笠を睨んだ。
「テニス界のキングとクイーンの結婚式に出席するんじゃ。いくら何でもスーツでは地味じゃろう?」
「地味って……結婚式の主役は花嫁なのよ?招待客が目立っても仕方ないでしょう。ブライズメイドを頼まれたならともかくパーティードレスなんて着る必要……」
哀の迫力に押され、何も言えないでいる阿笠にコナンは溜息を落とすと「まあまあ、博士はオメーにたまには可愛い服を来てもらいたいんだよ。せっかくフサエさんが用意してくれたんだ。親孝行だと思って着てやれよ」と苦笑した。そんな二人を不服そうに見比べる哀だったが、ここまで話が出来上がっている以上あまり駄々をこねるのも大人気ないと判断したのだろう。「式が終わったら速効で着替えるから」と恨めしげに呟くとフサエに続いてロビーを後にする。
「コナン君、30分くらいしたら112号室まで哀ちゃんを迎えに来てあげてくれないかしら?」
「はい」
コナンは小さく頭を下げると「……ったく、すっかり親バカだな」と呆れたように阿笠を見た。
「親バカとは何じゃ。ワシはたまには哀君にも女の子らしい格好を…!」
「博士の気持ちも分かるけどよ、あんまり柄にもない事させると後でどんな仕返しされるか分からねえぜ?」
コナンはアポロから哀のスーツケースを受け取ると近寄って来たベルボーイにチップとともに手渡した。
「ところで……コナン、お前達明日はどうするつもりだ?実はオレ、二次会の用意で予定がびっしり詰まっててさ。本当はロンドン観光とか付き合ってやりたかったんだけど……」
「オレ達の事なら気にするな。博士はどうせフサエさんにベッタリだろうし、オレは哀とちょっと郊外へ出掛ける予定だからさ」
「そっか。悪ぃな」
「これ、新一、哀君と一体どこへ出掛けるつもりじゃ?」
「心配すんなって。ディナーの時間までには戻って来るからよ」
なおも何か言いたそうな阿笠を無視するとコナンはアポロとともにホテルのティーラウンジへ足を進めた。



「ねえ」
「何だよ?」
「どうせあなたのお目当てはシャーロック・ホームズ博物館なんでしょ?方向が逆だと思うけど?」
「ああ、あそこは前来た時行ったから明日余裕があったらな」
「だったらあの子達のお土産でも買いに行くつもり?」
「バーロー、何が悲しくてアイツらの土産を到着早々買わなくちゃいけねーんだよ」
「じゃあ一体……」
朝食を済ませるや否や「灰原、出掛けるぞ」の一言で連れ出され、いくら行き先を尋ねても答えようとしないコナンの態度に哀の堪忍袋の緒が切れそうになったその時だった。
「ここって……」
「ああ、『高名な依頼人』でホームズが暴漢に襲われた事を助手のワトソン教授が近くにいた新聞売りから聞いた……」
「チャリング・クロス駅。コクーンであなたがジャック・ザ・リッパーと無理心中に旅立った駅よね?」
「うっせーな……」
面白くなさそうに呟くコナンに哀はクスッと笑うと「地下鉄で移動出来ない場所って事は……郊外にでも行くつもり?」と、バックの中からガイドブックを取り出した。
「ああ」
「目的地までどれくらいかかるの?」
「2時間くらいかな?」
「売店でお水を買って行ってもいいかしら?喉が渇くといけないから」
「オレも買って行くよ。炭酸は辛いしジュースは口に残るからな」
「ジジ臭い事言っちゃって」
「よく言うぜ、オメーだって同じだろ?」
自動券売機で二人分の切符を購入するとコナンは哀とともに手近にある売店へ向かった。



列車に揺られ、辿り着いたのはRyeという小さな田舎街だった。ガイドブックによればイギリスで最も美しい場所の一つとされているらしい。中世の面影を残すレンガ造りの町並みと石畳の坂道はまるで絵本の世界を切り出したようで、さすがの哀も「可愛い街ね……」と口に出さずにはいられなかった。
「で?どういう由来がある訳?」
「あん?」
「あなたの事だもの。どうせホームズ所縁の地なんでしょう?あなたにアンティークの趣味があるとは思えないし」
「あのなぁ……」
哀の問いにジトっとした視線を返すもののコナンはそれ以上何も語ろうとしない。仕方なく黙って後について歩く事10分弱、丘を登り切ると目の前に小さな教会が現れた。
「どうやらここがこの街の観光のメイン、St Mary's churchみたいね。ガイドブックに書いてあるわ。『16世紀に作られたというイギリスで最も古い時計台がある』って」
「へえ……じゃ、用事済ませたら寄ってみるか」
「用事って……あなたまさか事件の依頼でも受けてるんじゃないでしょうね?」
「ホームズじゃあるまいし、たかだか一介の中学生探偵が地球の反対側から依頼受ける訳ねーだろ」
「……」
なおも訝しげな視線で自分を見つめる哀にコナンはやれやれと言いたげに肩をすくめると「目的地はあそこだ」と教会の横を指差した。
「あそこって……墓地?」
「ああ。感謝しろよ?調べるの結構苦労したんだからさ」
悪戯っ子のような笑みを浮かべるとコナンはさっさと墓地へ入って行ってしまう。
「ちょ、ちょっと…!」
慌てて追いかけた哀がコナンに追いついたのは石碑に刻まれた文字が半ば消えかかっている墓石の前だった。
「Langford……これだな」
「知り合いなの?」
哀の問いにコナンは彼女の目を真っ直ぐ見つめ返すと「灰原、オメーの婆さんの墓だ」と呟いた。
「え…!?」
「オメーの母さん、よっぽど頭が良かったんだな。この街に住んでたのはほんの数年、ロンドンの名門パブリック・スクールへ進学した後の消息は地元の人も知らなくて……ここまで辿り着くのに随分時間かかっちまった」
「私の…お婆さん……」
「オメーの婆さん、どうやら未婚の母だったらしくて爺さんを突き止める事は出来なかった。おまけに天涯孤独だったらしくてその先の祖先までは……な」
「私以上に……寂しい身の上だったなんて……」
墓石に触れたまま言葉を失う哀の肩にコナンの手がそっと触れる。
「悪かったな、灰原」
「え…?」
「初めてイギリスへ来れる事になった時、オレ、ホームズの聖地に行けるってだけでワクワクしちまって……オメーの事少しも考えてやれなかった。本当は日本人とイギリス人のハーフであるオメーこそ来たかったはずなのに……」
「工藤君……」
「本当、すまねえ」
「……バカね。あなたはこんな所まで私を連れて来てくれた。それで充分よ」
「灰原……」
「一つだけ言わせてもらえばお墓参りに来るなら来るでそう言ってくれれば良かったのに。手ぶらで来たんじゃご先祖様に怒られちゃうわ」
「そう言うだろうと思ってちゃんと用意してあるぜ。オメーが持ってるトートバックの中を見てみろよ」
「え…?」
見ればいつの間にか小さな花束がミネラルウォーターの横を陣取っている。
「なるほど?この前黒羽君が来てたのはこの技の取得が目的だったのね」
苦笑するコナンに肩をすくめると哀はバックから花束を取り出し、墓石に手向け手を合わせた。